月曜日など怖くない
吉田棒一(lucky rice field,rod first)さんの「キルマンデイ」を読んで『月曜日など怖くない』という曲を作った。水曜日18:00まで読めるらしいよ
「キルマンデイ」はあの手この手で忌み嫌われた月曜日が来るのを阻止しようとする話なのだが、これを読んで思ったことがある。
僕は月曜日が嫌いでもなければ恐怖もない。憂鬱にもならないのだ。「面倒だ」とも思わない。一週間を通してフラットな気持ちで過ごしていることに気付いた。
いつからこうなったのだろう、ブラック企業に勤めていた時は毎日が憂鬱だった。何しろ朝5時に会社に行き小便を漏らすほどの剣幕で1日中怒鳴られてサービス残業で22時過ぎに帰る日々だったのだ。壁一面にモチベーションアップ株式会社のポスターが貼られているような会社だった。
その頃は全身に蕁麻疹が出るようになっていた。
僕が勤めていたブラック企業は高卒新入社員でそのまま長年勤めている人が多かった。要は何も知らない子供を連れてきては洗脳して社畜に育て上げていたのだ。そして自然とブラック企業に適応できる人間だけが生き残るので世間の常識などは通用しなくなり負の連鎖が生まれる。
そこから転職して現在に至るのだが10年近くも同じ場所に居れば状況が変わってくる。少し立場が上がったことや嫌な奴が居なくなったりしたこと、意外にも好意的に接してくれる人がいること、金銭的に困っていないことなど特に自分から働きかけたわけでもないのに状況が良くなっていった。
たぶん今年度は一度も嫌な気持ちになっていない。なんということだ
制作活動を続ける上で安定はあまり良いことではないのではないか?不安定であるからこそ心を満たそうとする欲求が制作へ向けられるのではないか?と考えていたのだがどうやら思い違いだったようだ。余裕があるから新しいことに挑戦することができるのだ。
今の状態を目指してかなり前からイメージしていたことをゆっくりなぞってここまで来た。ああ、やっぱり間違ってなかったなと思う。それなりに考えて身の丈に合うことを腐らずに続ければ大概なんとかなると実感した。
同じことを何度も言うことに抵抗があった。しかし「この状況でまたこの言葉を使いたい」と思うことがあり言葉の使い回しを許容することにした。
そもそも自分はいつも言いたいことは同じで一つのことを角度やニュアンスを変えて別の曲に仕立てているだけに過ぎない。その言葉が誰かの真似というわけでなければ良いのではないか、メロディにしてもそうだ。いや真似でもいいのか、この世の全ては所詮真似事だ。どんどん真似しよう
そういえば『生きているだけで偉いだとか』を買ってくれる人が思ったより多かった(ありがとうね)
これを作ってみて少し道が開けた感じがあるのでもう少し詰めてみようと前回『大きな塔』を作った
この曲が自分の中では手応えがありこの流れでやってみようと『月曜日など怖くない』を作る(最上部に戻る)
この動画も新しい動画も何年か前に撮った素材を今の自分のやり方で編集した。2秒刻みでリズムをつけていく感じ。
若者の間では「ユーチューブなんてもう誰も見ていない」らしい。
結構見てるんだけどなあ…と思ったところで自分はもうおじさんだということに気付いた。なるほどね〜
YouTubeとInstagramは出かける前にアップして人が見てそうな時間にYouTubeショートに載せる。ショートはタグ付けのコツが掴めれば一定数は伸びるのでまあ、一応。データを見ると大体30秒くらいしか見られてないからショート動画でいいんだろうな
声の出し方と編集を少し変えてみてしっくりきたのでこの感じで作ったやつを年内には纏めたい。僕は適当に文句言ってる感じが丁度いいなと思う。
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