素晴らしい世代

日本の未来は明るい。
なぜなら、米津玄師、Vaundy、Mega Shinnosukeがいるからだ。
みなさんコンスタントに作品を発表しているにも関わらず、毎回のクオリティのレベルが高い。どういう脳みそをしているのか、一度見させて欲しい。本当に素晴らしい。おかげで毎日が楽しい。

素晴らしいミュージシャンというのは今までもいたわけだけれど、この三人には今までのミュージシャンにはない特色があると思っている。


脈絡のないリファレンス

音楽作品というものを、音楽の歴史を自分なりに昇華し、そこに自分の個性を加えたものと捉えた場合、大抵は特定の領域にリファレンスが集中することが多い。長く音楽を聴いていると、「あぁ、このミュージシャンはあそこから影響を受けているな」と、大体わかるようになってくる。

しかし、上記の三者に関しては、過去の音楽をどのような文脈で参照しているのかが掴めないという点で、新しい世代を感じさせる。グランジからの影響が見られるかと思えば、J-Popを参照したような楽曲もあり、今までの常識からは理解できないものが多い。ただ単に引用元が多いという話ではない。例えば、コーネリアスの『Fantasma』には様々なオマージュが散りばめられているが、それらは東京文化圏の空気を知れば理解できる。しかし、彼ら三人の場合、曲ごとにリファレンスも曲調も大きく変わる。

彼らの音楽は、膨大な音楽知識をベースに、ただやりたいことを形にしているだけのように感じられる。そのため、最初にトラックだけを聴いた時には、アーティスト名を当てられないことが多い。記名性のない音楽作りをしている。どこかAIのような感覚すらある。

一貫性がないと感じる人もあるかもしれないが、私には自由にそして楽しく創作活動をしているように映る。変なジャンルの縛りに囚われることなく、自由に活動している点を、とても好ましく思っている。


コンプレックスからの解放

細野晴臣のライブを見に行った際、ブギを演奏する流れの中で「我々は呪われていて、この呪いからは逃れられない」といった趣旨の発言があった。真意を正確に捉えられているかはわからないが、私はこれを、日本人が表現をする上で避けがたい外国への憧れやコンプレックスについてのコメントだと理解している。
かつての日本には、「欧米のものが優れていて、日本のものはダサい」という妙なコンプレックスが確かに存在していた。そして、みんながそれを自覚していながらも、あまりに我々と一体化していたために、逃れたくても逃れられないものとなっていた。
しかし、彼ら三人は、まるでそんな時代を知らないかのように、軽やかにあざやかに克服している。ただ、ごく自然に、フラットに表現活動をしているように見える。
これらも同様に好ましいことだ。

毎日こんな音楽を聞けて本当に楽しい。いい時代だ。最高だ。

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