コミュニケーションとは、共有すること
今から3年近く前。オンラインで、よかよか学院主催の「コミュニケーション学院」という講座を受講しました。ちょうど、二男を妊娠中でした。
そのときに、「コミュニケーションとは、相手と自分の間の世界を共有すること」と教わりました。
なるほど、納得ですね。
ちなみに私はどういう人とのコミュニケーションが苦手かというと、
押しの強い人や、逆に反応のない人、つまりマイペースがすぎる相手とのやりとりが苦手です。
そんな相手とうまくコミュニケーションが取れなくて。自信をなくしていました。けれど、せんせいから「皆さんはコミュニケーションの達人ですよ」と言っていただき、嬉しくなりました。
自分が「コミュニケーション下手」という前提で入学したのですが、先生からは「コミュニケーション上手」という前提でスタートしていただいたのです。これって、何気にすごいことのような気がしています。
なぜなら、一般的に講座というのは、「できる」講師が「できない」生徒をできるようにするというイメージがあるからです。
前提を変えて振り返ると、相手の未熟さや逆に自分ができている部分も見えてきました。
そうすると、自分のコミュニケーションを自分で認めることができるようになりました。
引っかかったコミュニケーションは、講座の中でペアを組んで再現もしました。自分の立場でどう伝えたかったか、やり直すのもいい体験になりました。逆の立場を演じるのも面白かったです。
講座では、自分にとって共有とは。
人生において、共有できた瞬間も振り返りました。
私は、同じ時同じ場所で、一緒に応援していたり。
そばにはいなくも、その人の存在を感じられ。
自然の中で、一体感を感じる。
そんな瞬間に「共有できた」と感じます。
共有できたときのポーズというのも問われて。
よくわかりませんが、外だったら空を見ているかもしれません。
そういう時って、あまり言葉がいらないような気がしています。
実際に英語でもない自分語でコミュニケーションするワークもしました。
表情やしぐさで、気もちのやりとりはできるんですよね。
言葉のやりとりが、かえって誤解を産んだり。
実生活でも、そんな経験ありませんか?
そして今こうして書いていて思うのが、自分と相手が違う以上、完全にお互いをわかりあうというのは至難の技だろうということ。
だから、少しでもできているなら、自分を認めてもいいんだと思えました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
読んでくださるあなたがいて、私がいます。
カンパイ!