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時期について

雨の降りしきる日だけを頼りに、ある土地を醜いと判断する人はいない。むしろ僕らは、雲が動き去るのを待ちわびて、やっと日光が差し込んできたある瞬間を、風景を考える際の第一の指標とする。そして、ひとたびその場所が気に入ると、たとえ次の日が嵐だとしても、気にならない。だって僕は、晴れの日の美しさを知っているから。

このとき感じるのは、最高に見えるものも、最悪な時間を経験するということだ。そしてもっと大切なのは、その最悪な時間は、景色の美しさに対して、全体として打ち勝つことはないということだ。最高の景色のなかの最悪の時間。この現象を、ごく当然のこととして捉えることが必要だ。

これは場所のみならず、人についても言える。僕の恋人の機嫌が崩れるとき、テーブルにつめたい空気がはりつめるとき。こういう瞬間を理由に、彼女を嫌うことはどうもできない。僕が最高だと思う庭園にも、嵐の日や日照りの夏は来る。それによって僕が動揺しないのとほとんど同じことだと思う。

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