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【短編小説】港の見える公園で

「きみの夢を何度も見たんだよ」と僕は言った。
「いまさら?」
「うん」
僕らは何を話すべきか分かっていたけれど、言葉はそれを直接に扱うことを許さない。
夜の風が、海の匂いを運ぶ。遠くに港のクレーンが見えて、先端の赤いライトが点滅していた。

「まだ、覚えてる?私が遠くに行く前のこと」
君がつぶやく。僕は君の眼を見て、すこしだけうなずく。
「不思議だね。数えてみると、たった10回くらいしか会ったことがないのに」
「互いを詳しく知らないからこそ、感じられることもあるんでしょ」
季節は初夏で、僕らは高台にある公園に座っていた。すぐ下の港町で、まずまずの夕食を取った後だった。ペスカトーレの匂いを、まだ鼻のあたりに覚えている。
君はいたってさりげない感じで、左手の腕時計を確認した。薬指には、銀色の指輪が。
「明日は早いの?仕事」と僕が聞く。埋めたくなるような沈黙があったから。
「いつもと同じ。でも、品川まで帰らなきゃいけないんだよね」
「君は遠くで、帰る場所を見つけてきたんだ」
「なんか意地悪な言い方」
君は苦笑いして、足元に置いてあったペットボトルを手に取る。僕の方に体を傾けて、灰色のブラウスが右肩に触れた。地面に並んでいた、ふたつのジンジャーエール。置かれたままの僕の方は、もう空っぽだ。
「なんて言えばいいか分からないよ」
「きっと、季節が合わなかったんだよ。冬に咲くはずの花だった。そんな感じ」

「いっそう分からないのは」と、僕はシャツの袖をまくる。
「うん」
「君が離れるたびに、君のことを考えてしまうんだ。今もそう。君がいなくなる時間が近づいてくると、どんどんひどくなる」
高速道路を行く車列が、星座のような明かりを放つ。
「それがとても辛い」
「そんな風に打ち明けられても、困るなぁ」
君はそこで言葉を切った。まるで深呼吸しているみたいに、一拍置いて。
「私だって、いくつか言いたいことはあるよ」
「ただ、君が同じ気持ちかどうかが知りたかったんだ。それさえ分かればって思って」
「それは、確かめちゃいけないことなんだよ」
君は海のある方を眺めていて、僕からは頬の輪郭までしか見えなかった。

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