彼女の見つめる先
霧雨と湿気がまとわりつく梅雨の日。
一人暮らしの女性のお宅にトイレの水漏れで臨場した。
到着してすぐ、彼女は不安そうな顔で私をトイレに案内してくれた。
彼女「トイレの後ろの金具から水が漏れてて…。下の階に行ってたらどうしよう…。」
菊池「ここのアパートは鉄筋コンクリート作りですし、この程度の漏れなら大丈夫ですよ。^ ^ 」
説明を終わらせ作業に取り掛かる。
在宅ワーク中の彼女は作業中何度も様子見がてらに話をしに来てくれた。
彼女「清潔感のある方で良かったです。」
「お兄さん。話しやすい。」
少しだけ補足すると、私は現場では男性になったり女性になったりする。
理由は幾つかあるのだが、お客様を安心させる為、否定しない為、論点を作業からズラさない為、説明が面倒な為。である。
水道屋として稼働してすぐに御高齢の男性宅に訪問した際、「兄ちゃん女みてぇに色が白いな。」と言われた。
即座に私は「女ですよ。私。」と返した。
その瞬間、男性の私に対して見る目が一変した。
「女なんかに出来んのか?俺でもよくわかんねぇんだぞ。」
そう一言発して任せてくれていた作業が応急処置のみの作業に変更になった。
男女平等だの女性差別反対だの言われる世の中にはなったが、一人の人間に刷り込まれた固定概念なんてそう易々変わるものではない。
"水道屋=男の仕事"
幸い(?)私の容姿は男性に見られる事の方が比較的多い。その為男性と認識したお客様に対しては余程女性とお伝えした方が相手にとってメリットではない限りは男のままでいる事にした。
そしてそれは最後の日まで変わる事はなかった。
話は戻って女性宅のトイレ。
少し開いた個室の窓からさっき迄の霧雨が大粒の雨に変わった音が耳に入る。
彼女は奥の部屋でPCを触りつつお洒落なカフェで流れる様なジャズの音楽を流していた。
穏やかな気分で作業が進む。
彼女が様子を見に来る度、振り返って微笑む。
彼女も優しい眼差しを私に返して会話をする。
そんな心地よい時間も終わりを迎え、お会計の時となった。
作業後の説明をし、料金を受け取る。
雨音とジャズの耳触りの良いシンクロがもうすぐ消えてしまうのか…。
そんな事を考えていた時、彼女の目線が私の一部に注がれている事に気付く。
"フッ。どうしたって言うんだい?そんなトコをマジマジと見つめて…。"
目線の先は私の下腹部。
余裕な顔したなりきりイケメンは自身のそこに目をやった。
ズボンのチャックが開いていた。全開で菱形状にバックリと開いていたのだ。
作業着の股下は深い。その為お洒落な服とは違いチャックも長めに作られている。
そしてあろう事か中の黒地に赤の水玉模様のラブリーな下着までしっかりと見えている。
お気に入りのパンツだ。
いや。お気に入りのパンツとかどうでも良い。
何がジャズた。何が雨音だ。何ちょっと褒められたからって調子に乗って微笑んでみたりして…。
頬が一気に真っ赤になった。
菊池「あの!大丈夫です!大丈夫!大丈夫!!」彼女「!?!?!?!?」
何が大丈夫だろうか。さっきまで男になりきってカッコ付けてたのに。言ってる事意味不明。頭の中はパニック。
菊池「あ。自分。女なんです!だから!大丈夫!!」
彼女「!?!?!?!?!?!?」
余計に彼女を混乱させてしまった。一言謝ってチャックを上げて帰ればいいものを何を言ってんだ。辛い。誰か助けて。
彼女「あ…。あの。じゃあ…。大丈夫…。ですね。」
"いや。お客さん!大丈夫じゃないやろ!なんかよく分からんけど取り敢えず気ぃ使って合わせてみたみたいな感じやめて!死にたくなる"
パニックになった私とチャック全開のお兄さんが突然女になったという訳の分からん事実を突きつけられた彼女。
カオスな状況でお互い頬を赤めて沈黙の時が数秒流れた。
菊池「あ。じゃあ…。以上です。帰ります。」
彼女「あ。はい。ありがとうございました。」
「あの。大丈夫ですからね。」
"!?!?!?追撃!?!?!?"
…優しいお客様で良かった。そして…。ごめんなさい…。
土砂降りの雨の中、軽バンまで足を進める。
もうジャズの音は耳に入っては来ない。滝の様な轟音だけ。
ゴーイングステディの「童貞ソーヤング」を大声で歌いながら歩く。
全て雨が洗い流してくれた気がした。
菊池真琴