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だからまだ、言葉を手放したくないんだ
12月から3月まで参加していた、ほぼ日の塾5期。
こちらが公開された最終課題です。テーマは指定なし、「文章講座」ではよくある添削も一切なしのまま公開されています。
私は、ここ半年間なんどもおじゃましている東京都最西端の奥多摩町・小河内(おごうち)地区で活動するまちおこし団体・Ogouchi Banban Company(オゴウチバンバンカンパニー)、通称・OBC(オービーシー)のことを書きました。
OBCの中でも中心になって活動されているお二人へのインタビューと対談、そして私の考えたことの5本立てです。
【東京最西端から最先端のまちおこし】
— OgouchiBanbanCompany (@ogouchibanban) September 5, 2018
東京にもまちおこしが必要な場所がある
奥多摩町小河内(旧小河内村)
‘‘超’’限界集落とも言われるこの土地に、突如現る救世主
その名も・・・
Ogouchi Banban Company!! pic.twitter.com/7xKzjyISa2
最終課題で「今の自分が本当に書きたいものは何か」を見つめたときに、当たり前のようにすっと心に思い浮かんだのがOBCでした。
なぜなら、小河内とOBCのお二人との出会ったことで、私の価値観が大きくひっくり返ったから。
特に、私がずっと頼りにしてきた「言葉」については衝撃的でした。
「言葉にすることに意味はないのでは?」
「言葉は無力では?」
「他者が言葉を付与することは暴力では?」
「それでも私が言葉を使って表現を続けるのはなぜ?」
小河内に来るたびに、OBCのお二人と会うたびに、これらの問いにぶつかり続けてきたから。(お二人はとてもとてもお優しいのでそんなことは言わないよ)
地域を表現する責任の重み。自分にとっては目新しかったり興味深かったりしたとしても、そこで生きることを選んで暮らしているひとたちがいて、脈々と受け継がれてきた歴史がある。そうやって大切にされてきた文脈に自分本位一辺倒のまま土足でずかずか入り込んでいないか、常に自分に問いかけたい。 pic.twitter.com/Arjvu2nBcj
— 菊池百合子 (@kikuchi410) March 4, 2019
だからこそ、「言葉にすること」を学んでいるほぼ日の塾で、OBCを題材にして「言葉にすること」そのものと向き合いたい。言葉にすることを前提にしている学びの空間で、アンチテーゼのようなOBCを言葉にすることの意味を見出せるかどうか、闘ってみたい。
そして、地域の分野に片足を突っ込み始めた今だからこそ、地域に対して外から入る自分が、何をどこまでできるのか。私がずっと力を借りてきた「言葉」が本当に無力で暴力にしかならないのか、あがいてみたい。
(撮影/Ogouchi Banban Company)
そんな思いからOBCのお二人に、ド深夜に長文でお願いしたところ快諾してくださって、時間の猶予がない中で走り出しました。
この原稿に向き合う闘いは簡単ではなかったけれど、本当に書きたいと思って書いている原稿だからこそ、「明日人生が終わるとしても今この原稿を書いていたい」と思い続けられた一週間はとてもしあわせな時間だったな、と書いていた当時も今も思います。
(撮影/Ogouchi Banban Company)
「考える」ことに時間がかかった分入稿がギリギリで、説明不足も読みにくいところも誤字も多々多々あります。そして言葉はともかく、使えていない写真素材がたくさんある。そこはOBCのお二人にも読んでくださったみなさまにも、頭が上がりません。
私の力不足ゆえに読む人にやさしくない原稿なのに、読んでくださって、さらに思ったことを言葉にして届けてくださっている方々がいること。これはお二人がとっても魅力的であるからに他ならないです。
その魅力をわかちあえている喜びを噛み締めて、「でしょでしょ!?」ってにんまりしています。だって本当にすてきなんだもん。読んでくれたみなさま、共犯者になってくれてありがとうございます。
なによりも、書きたいと心から願った原稿を公開できたこと、この闘いとほぼ日の塾のおかげでもう一度「言葉」を信じたくなったことがとてもすがすがしく、心からしあわせです。
やっとこさ3月の仕事が落ち着いたので、この闘いの舞台裏について書いてみます。そして使えていない写真を大放出!
言葉にすることに「意味」はあるのか
最終課題のインタビューにお付き合いいただいたのは、まちおこし団体「Ogouchi Banban Company(OBC)」の中心メンバーのお二人。
代表であり裏方全部を担当している酒井さん(右)、そしてパフォーマーとして歌って踊っているOBCの顔・かん先生(左)です。
OBCの存在をきちんと知って酒井さんに初めてお会いしたのは、去年の秋のことでした。それより前にTwitterで見かけていたけれど、「オゴウチバンバンカンパニー…とは……???」ってなっていた、そんな時期もあった(笑)。
OBCが活動する奥多摩・小河内地区を10月上旬に初めて訪れて、「この自然の中でひとがおじゃまさせてもらっている」暮らしにびっくりして。
もう一度行くための言い訳欲しさに企画を提出したところ制作が実現し、10月末に今度は取材を名目にして奥多摩入り。そのときに完成したのがこのSPOTの記事です。
(撮影/谷木諒)
2泊3日の怒涛の取材の中でたまたまお話を聞かせていただけることになった酒井さんにお話をうかがって、衝撃を受けたことを今でも覚えています。
というのも、ただでさえ「普通」に暮らしていくのが大変に思える小河内地区の中で、酒井さんは東京で一番標高が高くて人家が8軒しかない集落に、お子さんも含めた家族で暮らすことを選んでいるから。
(酒井さんが暮らしている集落から見える日の出と雲海
撮影/Ogouchi Banban Company)
お話をうかがった当時の私は住む場所の選択には「理由」が伴うものだと思っていたから、酒井さんが聞かせてくれた
「僕が住んでいることで、誰かが引っ越してくるきっかけになるかもしれない」
「でも、自分が住みたいから住んでいるだけかな」
の言葉。
そして、それまで移住者がほとんどゼロに近かった小河内に、私の知人3人が酒井さんをきっかけにして引っ越した、その事実。
今思えば「全てはここから始まった」と言えるくらいに、酒井さんとのお話は私の中に「問い」を残していってくれたように思います。
そのときに酒井さんのお話を受けて書いた取材後記がこちら。言葉になっていないことを前にして言葉に落とし込みたくなっている衝動が見え見えだけれど、根っこで考えていることはあまり変わっていません。
そしてもう一つの裏・取材後記がこちら。
あなたの隣であなたがとつとつとこぼす言葉をそのままに引き受けて、あなたの人生に言葉を付与するという行為を「暴力」じゃなくて「希望」にできないかな。
どうか、どうか。
私があなたのことを「言葉」にするという行為が、名前をつけて物語にして世に出す行為が、あなた自身から、私自身から、離れていきませんように。
私が仕事をする上でずっと覚えておきたい祈り。
この頃から少しずつ、「言葉になっていないけれど大切なもの」がたくさんある小河内で、自分が言葉を使って表現する行為がはらむ暴力性や、その大切なものを言葉にできない無力さを感じ始めていたんだと思います。
大切なものを「持っている」から、二人を描きたかった
その後冬を迎えた小河内は私が住んでいる滋賀よりもずっと寒く、最低気温マイナスの日々が続いてしばらくご無沙汰していました。
ただ、その間にも例えばもりちゃんのいる福井県鯖江市に行くなどして、「居場所」だとか「関係」について考えるきっかけがふりつもっていき、酒井さんにうかがったお話とつながったり離れたり。
役に立つとか肩書きとか一切関係なく、「ただいま」を言えて「おかえり」を言ってもらえて、安心してそのままの自分で「いることができる」場所の存在が、あまりにもとうといのだ、と気づきはじめてる。きっと切実に求めているひとが本当は少なくなくて、でもお金だけじゃ手に入らないんだってことも。 pic.twitter.com/d8xy8uUVTf
— 菊池百合子 (@kikuchi410) February 21, 2019
東京にいても「なんでいるの?」とは聞かれない。理由を聞いた瞬間にそこは「理由がなきゃいちゃいけない場所」になる。「今ここにいたいからいる」っていう意志と、存在そのものを尊重できるひとでありたいなとあらためて。いたい場所にいるのだと決めることに、理由なんていらないのかもしれないな。 pic.twitter.com/QLlbAxqTsg
— 菊池百合子 (@kikuchi410) February 22, 2019
このとき私は酒井さんが「そこで暮らしたくて暮らしていること」に外から理由を求めることは違うのだ、と実感したように思います。だって、福井でも奥多摩でも、私がそのままの自分でいられる場所では、誰も私がそこにいる理由を求めなかったから。
そして気づいたら、正直経緯が記憶にないのだけれど、福井に行った次の週の仕事での東京滞在を延ばし、週末に奥多摩に泊まる予定を入れていた。
それが、ほぼ日の塾で言うと課題②を提出して最終課題のテーマを考え始めるタイミング、2月の最後の週末でした。
福井に行って一週間。価値観がばちばちに破壊されて脳天がしびれたまま、こんどは奥多摩へ。人生の自由研究。いる理由はないのだけれど、受け入れてもらえてほっとした〜〜https://t.co/YTO5zDy797
— 菊池百合子 (@kikuchi410) February 23, 2019
ここから4ヶ月、何を思って帰るんだろうな。夏秋とぜんぜん印象が違う冬の奥多摩、おじゃまします! pic.twitter.com/pI6iagpr0E
理由はなかったらしいです。
そしてこの滞在では、OBCのSNSでずーっと目にしていながらお会いできていなかったパフォーマー・かん先生にナンパのメッセージを送って初対面が実現し、10月ぶりの酒井さんにもお会いできることになり、それぞれ2時間ほどお話を聞かせていただきました。
OBCのライブで使っている曲の作詞作曲振り付け、そしてパフォーマンスを担当されているかん先生。いつもOBCの「顔」として活動しているかん先生がどんなことを考えているんだろうって気になっていたので、ライブや子どもたちのお話を中心にうかがいました。
ちなみにライブの写真を見ているとすごくテンションが高い人に思われがちなのですがこれは「憑依モード」で、通常モードはよく「おとなしい」と言われるそう。そのギャップが最高だよね。
そしてもう一人、「かんが送ってきたアイデアを形にするのが僕の仕事」と話してくださった代表の酒井さん。OBCの活動拠点「co*bc」に初めておじゃましました。
お会いするのが2回目なのに「このテーマを酒井さんに聞いてみたいな……」と勝手にストックしていたので、お会いしていない期間に私が考えたことをきっかけに、地域のこれからのこと、そしてやっぱり気になっていた酒井さんの「暮らす場所」への決意のことをうかがいました。
あとはかん先生と酒井さん、このお二人の関係にすごく大切なものがつまっている予感がしたので、酒井さんから見たかん先生のことも。
新メンバー谷木くんのお友達で、秋に奥多摩のことをめっちゃ詳しく記事にしてくれてた菊池百合子さん@kikuchi410 と山川撮影です
— OgouchiBanbanCompany (@ogouchibanban) February 24, 2019
その記事はこちらhttps://t.co/k0gKRghNOi
奥多摩のこともOBCのことも大好きになってくれたみたいで嬉しい
酒井と島崎と順番こでおしゃべりしました
また来てね〜 pic.twitter.com/D31nTUldqc
このとき私はほぼ日の塾の最終課題で何を書くのか考えていなかったので、アウトプットが全く決まっていない状態でお二人にお時間をいただいたわけです。「人生の自由研究」として、うかがったことを将来的にnoteにまとめられればいいのかな、って(本当に頭が上がりません)。
最終的には、ここでのお話が連載の②と③になりました。
そして次の週末、ほぼ日の塾での最終課題相談会に向けてテーマを考えはじめたときに、自然と浮かんだテーマがOBCのお二人の「関係」。
お二人はそんなことしないのだろうけれど、私は例えば喧嘩しても元に戻れるくらいに「言葉」を超えて信じ合える関係を持てていない気がしていて。私が頼りきってきた「言葉」を使わなくても、大切なものを共有できているように見えるお二人の関係がうらやましかった。
難易度の高いことをやろうとしていることはわかっていたし(だって「言葉にならないことを言葉にする」って字面だけで難しい)、相談会でも古賀さんに「難しいだろうけれど、もう取材してみないとわからない」と言われたし、自分でもどんな最終形態になるのか全く想像がつかなかったけれど。
それでも、やっぱりやりたいと思った。この時点ではなぜだかわかっていなかったけれど、この「ほぼ日の塾」の場でやる必要がある気がしたから。
(撮影/Ogouchi Banban Company)
というわけで相談会が終わった土曜日の深夜、「明日、お時間をいただけませんか……?」とおそるおそるお二人にご連絡して、今度はお二人一緒にお話する機会をいただけないかお願いしました。
私と会うの2週連続だし、何がしたいのかよくわからないのに(この段階でお送りした企画内容とアウトプットは結構違う)、それでも前日ご連絡して翌日お時間をくださったこと、感謝で奥多摩湖を埋め尽くしても足りない。
しかも奥多摩に来る想定ではなかったので、東京住みでない私はカメラを持ってきておらず酒井さんにお借りし、かん先生に送り迎えをお願いし……感謝で奥多摩の山を埋め尽くしても足りない。ただの迷惑行為。
(コーヒーを淹れてくれるかん先生。おいしかったです)
お二人が揃っている様子を見るのは、これが初めて。お二人が何気なく翌日以降のOBCの活動のことを話していらっしゃる様子を見ていたらうっかりそれだけで満足しそうになるくらいに、この機会をいただけて幸せでした。
このときうかがったお話が連載の④になりました。
この④に関しては、「酒井」だった酒井さんの表記が突然「たくま」に変わっているという読者に不親切な大問題が発生しているのですが、これは自覚症状です。どうしても「かん」「たくまくん」と呼び合っているお二人を前にしてこの関係を表現したいと思ったからそうしました。
講評でもわかりにくかったと書いてあったけれど、すいません、わざとです。補足を入れられればよかったね。
あとこの④が一番入稿ぎりぎりだったので、いろいろと写真・動画が足りていないままにOBC専門用語が多発しているのですが、一枚だけ補足するとしたらやっぱりこれがいい。
(こちらからお借りしました)
左下に写っている緑色のびん。そう、これがかん先生のオリーブオイル。
かん先生はレコーディングのときにオリーブオイルを飲むのです、まずくても。これぞ大人の覚悟。かっけえなあ、って思わずにはいられなかったよ。詳細は④へどうぞ。
(かわいすぎるかん先生のサイン。「欲しいです!」ってお願いしたら、取材後に直筆サインを書いたCDをくださいました。うれしい)
というわけでお二人のご協力により必要な取材が済んだのが3月3日、課題提出日は3月11日午前。残り8日の時点で一週間前のお二人のお話の文字起こしを全く終わらせていなかった私は、2週間の取材で合計6時間分くらい+別音源2時間分の文字起こしからスタートしたのです。
(おそらく大きな謎を残したであろう記事中の「パンツを投げたい」の話はこの動画でわかります。1分過ぎたあたりを見逃さないでね。あと「くっつき虫」はこちらの動画の話。どちらもOBCらしさ満点の傑作です)
「100%ではなく70%で届ける」ことの意味を知った
(かん先生がめちゃくちゃ頑張って手作りした飾り、かわいかった)
ここから一週間、止められるものはほぼ全て止める、または遅らせてもらって、OBCのお二人にうかがったお話と向き合う日々がスタート。
なにしろ2時間で50回くらい「よくわからない」が登場したインタビューです。そういうことはしないけれど例えば準備どおりの質問を順番どおりにぶつけたところで、「ここでこういう答えが欲しい」なんてお決まりのわかりやすい回答はもらえません。
そして、外からぺったりと貼り付けられた、ぶかぶかな言葉で自分たちのことを表現されたくない(ように見える)お二人です。
なによりも、その違和感や「よくわからない」をごまかさないところ、きちんと「違う」「わからない」と言えるところをこそ、私は尊敬しているし大好きだと思っているお二人です。
(さっきの飾りが実際に飾られている様子がこれ)
私が表現しようとしているのは、言ってしまえば「言葉になっていないことを言葉にすること」を望んでいないはずのお二人。
私がインタビューしようとしなかろうと、今日も明日も自分たちが大切にしていることを大切にしながら暮らしていくお二人。
そのお二人の日常をとうといと心底思っているのに、私が外からの目線でお二人を描き出すことは暴力じゃないか、なんのために書くのか、ただ「書きたい」だけの自己満足じゃないか。
「書くこと」を仕事にしている自分に対して、そう何度も何度も問いかけました。
でもなにより怖かったのは、時間もないとわかっている中でお二人を表現することで、協力してくださったお二人の顔に泥を塗る結果にならないか、そしてお二人との関係が崩れてしまわないか、ってことだったんだと思う。
もう私にとってお二人が大切な存在なのに、「こんなアウトプットするきくちとは、これからは関わりたくないね」って静かに去らざるを得なくさせてしまうきっかけを自分でつくってしまったら、どうしよう。すでに取材段階でだいぶ巻き込んでしまっていたので、それが一番怖かったです。
その怖さの理由、そして私がほぼ日の塾に参加した原点である「言葉への懐疑」の根っこにあるものに気づかせてくれたのが、隣町のまちおこし団体「ONE SLASH」の代表・ひろさん。
このタイミングでこの人に出会っていなければ、この原稿は完成しなかった、それくらい大きなきっかけをくれました。尊敬しているだいすきな人。
ほぼ日の塾の最終課題と闘う一週間の中で少しだけ入れていた予定の一つが、ひろさんとのごはん。お会いするのが2回目にして7時間話し続けたわけですが、このときひろさんが持ちかけてくれたお話が、ひろさんを含めたチーム「ONE SLASH」のメンバーにインタビューすること。
ひろさんは、「地元の人口4,000人全員を雇用するために帰ってきた」という言葉だけで伝わってくるくらいに、覚悟がばちばちに決まっている人です。そういう人が「誰にでも簡単に頼むわけじゃない」と言いながら、私に依頼してくれたわけで。
そのとき正直に「やりきれるか、ちょっと怖いです」と言った私に対して、ひろさんが教えてくれたこと。それこそが、私のほぼ日の塾最終課題を一気通貫するテーマとなった「信じて、託す」ことでした。
(撮影/Ogouchi Banban Company)
「ひゃくちゃん(私)が100%のものを出せなかったとしても頼んだのは俺だから、それなら70%のものを出してくれればいい。あとの30%は俺たちが引き受けるから、そうやって一緒につくっていこう」
この言葉を聞いて初めて、ああ、私はずーっと「今この瞬間の自分の100%」しか信じられていなかったんだ、と気づいた。
やれる限りの70%をやって、あとは仲間や未来に残す選択をとるなんて考えたことがないくらいに、信じることが怖かったんだ、と知った。
これは私にとってあまりにも衝撃的な発見でした。
ほぼ日の塾で「コンテンツをとおして読者との信頼関係を築いていく」「自分の中の100%を表現しきれなくても、読者の方が補ってくれる」と聞いても全然ピンときていなかったのは、「あ、私が信じられていなかったのか……」って。
(撮影/Ogouchi Banban Company)
その言葉を聞いてからもう一度最終課題への材料と向き合ってみたときに、言い訳と言われようとなんであろうと、言葉にしきれないところも含めて表現したい。あとはこれを読んでくれる方に託そうと思えた。
初めて「読者」を「信頼」したい、と意識できた気がしたのです。
そしてOBCのお二人との信頼関係が壊れることを(勝手に)恐れている時間があるなら、お二人との関係を(勝手に)私が信じて、やれるところまでやってみようと。そう決めることができました。
そしてもう一つ、ひろさんのおかげで気づけたことがあります。
OBCが私にとって革命的であると思った、いくつかの要素たち。
OBCのお二人は、OBCの活動を「自分がやりたいからやっている」と話されているけれど、主語が「自分が」であっても全く利己的に感じないところか利他的であるように感じる部分とか。
酒井さんが「誰かが引っ越してくるきっかけになるかもしれないから住んでいる」こと、かん先生の「僕を踏み台にして小河内で誰かが挑戦してくれたらいい」と思って「自分が町の顔になる」ことって、私からしたらとんでもない覚悟を背負っているように見えるんだけれど、「覚悟かあ……ないねえ」ってお二人でかろやかに笑っていらっしゃることとか。
お二人を含めてチームで活動しているけれど、「こうしていきたい」と言葉にしていなくて、それでもOBCがOBCのままに全然ブレないところとか。
(撮影/Ogouchi Banban Company)
ひろさんの言葉を思い出しながらお二人のことをじっくり考えてみたときに、少しだけ「私が革命的であると思っている理由」に近づけた気がした。
これも、「信じて、託す」ことなのかなって。
小河内でお祭りを開催して人を呼ぶことも、あくまで「自分が」の主語に引き寄せられるものであって、ご自身も心から楽しんでいる。
私からは重たい覚悟を背負っているように見えていたけれど、その重たさに押しつぶされないでいられる。そもそも覚悟だと感じずにいられる。
OBCとして大切にしているものを決めていないけれど、子どもたちが楽しんでくれるからコンテンツのクオリティーにはこだわりを持っている(それはもう、オリーブオイルを飲むくらいに)。
そしてお二人が、無理に言葉にしなくても、言葉に頼りすぎなくても、どこに向かっているか自分たちでもよくわからなくても、OBCとしてこれをやる・やらないをジャッジできる。
お互いがやろうとしていることを、お互いに見守って応援できる。
それってぜんぶ、自分と、相手と、未来を信じているからじゃないかなと。
「自分が」の主語が自分という点じゃなくて、そこからつながっていく「いつかこの地域に来るかもしれない誰か」「この地域で生まれ育っていく子どもたち」「自分たちの生まれ故郷の未来」、そして「相方」。
自分が大切にしていて信じているものを、「自分が」の主語に含められているからじゃないかなって。
逆に言えば、だから「これは違うような気がする」「これはいやだ」の違和感をごまかさないんじゃないだろうか。
だって、自分がいやなだけじゃなく、子どもたちにも、これからこの地域にやってくる移住者にも違和感を背負わせてしまうことになるから。
そんな「点」ではない主語の広がり、そして顔の見えない誰かも含めた未来をも自分ごととして捉えられる時間軸。
それが私にとって未知で持っていないものだったから、OBCに惹かれたんだなあとようやく気づけたように思います。
もちろん今後もOBCと小河内を見つめていく中で、そして私自身また地域のことをたくさん考える中で、また変化するかもしれないけれど。
ここまで考えたときにようやくOBCに少しだけ近づけたような気がして。そこからはこのニュアンスを届けるためにひたすら書いて編集して、原稿と向き合い続けて。
普段のインタビュー記事だと自分のノートを1〜2ページ使うのですが、今回は8ページ使って、大量の付箋で机を埋め尽くし、お二人のエッセンスを書いて書きまくって。
曲を覚えるくらいにはOBCの動画を見入り、そのたびに「あれ、今何していたんだっけ」と我に返り、最終的にはタブを開きすぎて「どこからかわからないけれどかん先生の声が聞こえてくる」状態の提出直前期を経て。
かん先生にもらった缶バッジをパソコンの隣に置きながらなんとか完成したのが、この最終課題になりました。
書けるだけ書いたその先に
課題を提出してから公開までの一週間、ほぼ毎日この原稿の夢を見るくらいに、やりきれなかった部分もあればやれたと思う部分もあり、とにかく悶々とする日々。
ライターの菊池百合子さん@kikuchi410
— OgouchiBanbanCompany (@ogouchibanban) March 20, 2019
OBCのことを記事にしてくださいました
ほぼ日刊イトイ新聞が運営している文章を学ぶ教室「ほぼ日の塾」に参加していて、その最終課題なんですって
ここまでOBCについて詳しく書かれた記事は初ですよ〜
ぜひ読んでみてくださいhttps://t.co/LXMonj43TV
そして3月19日、公開。
公開されるまでなんだか顔向けできない気がしてご連絡できていなかったお二人にようやくメッセージを入れ、ほっとして若干発熱し、その後たまたま別件で用事を入れていたので、3月22日に奥多摩へ。
最終課題の公開から一週間。今日も滋賀でOBCのことを話しながら、もっと表現したいと思った。また取材して、そのときにしか書けない言葉をつづりたい。
— 菊池百合子 (@kikuchi410) March 26, 2019
この前OBCが育てているホップの畑を見学させてもらえたことも、記事のお礼を直接お伝えできたこともうれしかったなあ。ホップの生長がたのしみ! pic.twitter.com/yaGFP9imbm
またお二人が会ってくださって、直接記事のお礼をお伝えできたこと。OBCとして栽培しているホップの畑の作業風景を見せていただけたこと。一緒に行った私の友だちにも会ってくれたこと。とってもうれしかったです。
そして、原稿を書く前に私がぶつかっていた「お二人との関係が崩れるのではないか」はすごく勝手な不安だったとようやく気づきました。ほんと、まだまだ自分のことに大忙しだなあ、私。
お二人のご家族ともお会いできたことで、お二人は本当に人生における優先順位がはっきりしていて、この原稿があろうとなかろうと大切なものをずらさない人たちなんだよね、ともう一度気づかせてもらいました。
特にお子さんとお会いできたことで、酒井さんが以前お子さんについて「いずれ町での暮らしも経験するのだから、山での暮らしも知った上で選べたらいいなと思って」とおっしゃっていたことに心から納得した。
すくすくと育っている酒井さんのお子さんたち、筋力がすさまじくてホップ畑の棒をひょいひょいのぼっていて、しかも保育園でかん先生のクラスにいるというね、最高。
小河内にいることをめいっぱい楽しみながら、愛されて育っていることを強く実感しました。
ライターの菊池百合子さん@kikuchi410 によるOBC独占インタビュー記事が大好評なので、ホームページにも掲載させていただきました#奥多摩 #小河内 #まちおこし https://t.co/SyPgADzgah
— OgouchiBanbanCompany (@ogouchibanban) April 2, 2019
公開されて2週間ほど経った今でもOBCのお二人がこうして広めてくださっていて、だからこそ今あらためて、ほぼ日の塾の同期・つぐみさんが最後の授業の質問で言っていたことを思い出します。
課題を提出したときは、もうこれ以上のものは書けない、これが書けたら死んでもいいと思っていたけれど、公開されて評価メモを読んだいま、ぜったいに死にたくないなと思っている自分がいます。
これにはぶんぶんうなずいた。
課題を出した瞬間の自分としては、やれるところまですべてやりきったけれど、課題が公開されて最後の授業に参加して、そして一番は、取材させてくださったお二人がこの記事を広めてくださっているのを見て。
広めてくださってうれしいからこそ、まだ「死にきれない」と思った。
広めてくださればくださるほど、「もっとやれるんじゃないか」という気持ちがむくむくと湧いてきて。どうかまたOBCを取材させてほしい、また表現することにチャレンジさせてほしい、と願う気持ちが大きくなっていく。
この記事を書く上で大きなヒントをくれたひろさんも、最初から最後まで読んでくれて。
OBCの人がコメントをつけて拡散していて、そこにまたコメントがあって。そこに俺は感動したんよ。ライター冥利に尽きるんやろなと思って。
表現者である自分をできるだけ消して表現したものに、実はすごく自分が出ていて、その表現を受け取った人が自分の中からリアクションを発する。それってアートだよね
と言ってくれました。
とてもうれしいからこそ、まだやれる、また書きたい、もっと書ける。そう思う私がたしかに存在しているのです。
個人的にとても満足しているのは、この記事を読むと私にはあのお二人の声が聞こえてくること。
ああ、お二人、こう言うなあ。かん先生「はははは」って笑うよなあ、酒井さんこういうトーンで話すんだろうなあ。自分の原稿を読みながらそう思えたのは、初めてかもしれない。だから何度でも読み返したい原稿になりました。
去年の秋に奥多摩のおでかけ記事を書いた時点で言ってくださっていた冗談が、半年後に2万字で実現されるとは……人生っておもしろいよね。
書かない理由がたくさんあるから「書く」
ほぼ日の塾に応募するとき、私はほぼ日でいちばん好きなコンテンツとして送ったのは、永田さんの『書きかけてやめた、福島のことを、もう一度。』でした。
なにかをやろうとするとき。
「やったほうがいい理由」と
「やらないほうがいい理由」を比べていったら、
きっと「やらないほうがいい理由」のほうが多い。
自分の中で多数決をしていたら、
たぶん、ずっと、なにもできない。
そして、これはとても大事なことだと思うのだけれど、
なにもできないことを、誰も責めはしないし、
事実、責められるようなことは、なにひとつないのだ。
だから、そんなふうにしているうちに、
月日はあっという間に過ぎてしまって、
「やったほうがいい」と思っていた自分は、
まるで、最初からなかったことになってしまう。
たぶん、ぼくは、そういったことがいやだったのだ。
それで、書かない理由がたくさんあるからこそ、
こうして、書くことにした。
誰の心も傷つけたくはないが、
誰かが傷つくかもしれないということを言い訳に
ぜんぶの表現や、そのもととなる気持ちを、
最初からなかったことにしてしまいたくはない。
「表現することへの絶望も手のひらの中にあるいま、そこに希望を見出してみたい」「自分が表現することの無力さを痛感しているからこそ、私が表現する意味があるのかを考えたい」と応募したほぼ日の塾の過程の、そのすべてを終えて。
初回の80人クラスで、応募のときに同じく上記の永田さんの文章を選んだと話しかけてくれた日本仕事百貨の中川くんに、最後の打ち上げで
「これからどうする? 書き続ける?」
と聞かれて、
「書くしかないでしょう。今は、書きたい」
と即答した自分がいました。
自分を信じて、相手を信じて、未来を信じて、また「書きたい」と思う自分がたしかにいるのです。
「私ごときが書いていいのか?」と書く人は誰しも悩む。けど、思えば社会はみんなが「私ごときが」を乗り越えることで成立している。私ごときが、お金を預かり、手術をし、飛行機を操縦し、人を裁き、教え育てる。私ごときだからこそちゃんとやることで世界は面白くなる。ちゃんとやろう、私ごときも。
— 永田泰大(ほぼ日) (@1101_nagata) March 28, 2019
だってまだまだ、死に切れない。「私ごとき」だからこそ、全力の「私ごとき」で書きたい。
もう一度言葉を信じて、言葉で伝わる分量を信じて、言葉を託してみたい。
そう思わせてくれたことが、ほぼ日の塾での一番大きな「おみやげ」だったのかなと今は思っています。
エンドロール、そしてはじまり
仕事の期限を延ばしてくださったクライアントさん。「連絡断つよ!」という謎宣言を受け入れてくれた仕事以外のみなさん。確定申告も迫っている中、リビングを占領し続けた私に遠巻きに気を遣ってくれた同居人ず。そしてひろさん、ひろさんと出会わせてくれたとの。
引っ越してきたくせに、暮らしはじめた地域ではなくなぜか違う地域のことを全力で表現している私に対して、その表現を受け入れてくれた長浜のみなさん。メッセージをくれた市役所のおにいさん(うれしかった)。
さりげなくあたたかく見守ってくれるまにあさん。いつもお家を使わせてくれてご飯とお布団と安心をくれるこすげにい。最終課題でOBCを書くことに躊躇した私の背中を最後に押してくれて、なにより酒井さんと出会わせてくれたたにきちさま。
この3人をはじめとして、いつもおじゃまするたびにお世話になっている小河内のみなさま。
最後の授業に行くのが正直怖かったけれど、行ったからこそ「まだ、もっと書きたい、表現したい」と思わせてくれたほぼ日の塾5期のみなさま。私を参加させてくださったほぼ日の塾チームのみなさま。この原稿に向き合って講評をくれた、やっぱり叶わないなあと思わせてくれる永田さん。
みなさまのたくさんのご協力のおかげで、なんとか最後まで走りきることができました。本当にありがとうございます。
そして。
もう何も言い切れないのですが、かん先生、酒井さんへ。
お会いできたこと、取材させていただけたこと、言葉を書かせていただけたこと、本当に幸せです。
私にとって、大切なもの、ほんとうだと思うものはぜんぶ小河内にあるような気がしています。だからこそ小河内に惹かれるし、行くたびに「じゃあ自分はどう生きるか」を考えてざわざわするし、ここにも書いたように奥多摩で「ただそのままの自分」でいられるのです。
かん先生は今日も出勤途中に車を停めてキラキラした奥多摩湖の写真を撮って、帰ったら奥さまとコーヒーを飲んで、お休みの日は猫を愛でに行くんだろうなあ。酒井さんは朝一番にヤマセミを探しに行ってホップに水やりをして、元気いっぱいすぎるくらい元気なお子さんと過ごすんだろうなあ。
そうやって大切なものを大切にしているお二人の、とうとい日常を自分の中にありありと思い描けて、お二人の未来の捉え方を知っているだけで、これから先の生き方がずいぶん大きく変わってくるような気がしているのです。
次のコンテンツをつくれることを楽しみにしながら、これからもOBCの活動を見ていたいと思います。またお会いしてお話できることが楽しみです。最高の概念であるOBCとお二人に、心からの感謝を。本当に本当に、ありがとうございました。
小河内でもまもなく桜が咲く頃でしょうか。OBCの投稿で桜が見られるのを楽しみにしています。
風景およびライブ写真・アイキャッチ画像の提供/Ogouchi Banban Company
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アイキャッチ画像は、かん先生の一番のお気に入り。他にもOBCがアップしている小河内の日常は美しくてとうとくて大切なものがいっぱい詰まっているので、ぜひチェックしてみてください。自信を持っておすすめします。
そして小河内に行きたくなった方、こっそり教えてくださいね。
ああ、早くまた小河内に行きたいなあ。
(おわりです)
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