その腐れ縁、本当に腐ってるかもよ
先日久しぶりに友人Aから連絡がきた。
昔関わっていた事務所で出会い、歳が近いこともあり公私ともに仲良くなって、よくご飯を食べに行ったり、遊ぶことが多かった人だ。
遊ぶといっても元々ギャンブラーなAと会うときは決まって勝負の場に赴くのだが、いつも友人ばかり大勝ちして私は大負けをこいていた。
友人曰く、「うちは隣の人の運気を吸い取るんよ!ww」
故になるべく友人とは一緒にギャンブルをしたくないのだが、一個人としては信頼感もあったし、波長も合ってよくつるんでいた。
確かに負けはしてるが、一緒に遊んでいる分には楽しかった。
いわゆる腐れ縁的な人だ。
Aは良いことがあると自慢せずにはいられない性質で、こちらがいかに痛手を食らっていてもそんなことお構いなしに自分の武勇伝が止まらなくなる。
個々で勝負している以上、私は自分の選択で負けているわけだから、Aに当たっても仕方ないとその都度笑って流してきたが、さすがに我慢の限界がきて一時的に距離を置こうとしたのだ。
そんなAからの久々の連絡は、
なんてことない近況報告とそろそろパートナー欲しいといういつもの愚痴で、「なんだ、ただ雑談がしたいだけか」と思っていた。
しかし、二の次にはギャンブルで大勝ちした報告が始まった。
私は「またか…」と既読スルーをする。
こんなやり取りが距離をおいてからも数回繰り返されていた。
別にAが嫌いなわけじゃない。
つまるところギャンブルにおける「引き」が弱い私の僻みでもあるし、割り切れない弱さでもある。
でも一番はせっかく断とうとしている「ギャンブル欲」を定期的に呼び起こされることがつらかった。
欲を断つために一番大事なことはその根源の情報を一切見ない、入れない、触れないこと。まさしく情報の断捨離だ。
しかしその情報は、時に悪意のない友人の一言だったり、何の気なしに流れてきて目に入ったツイートだったり、電車の席の隣の会話だったり、日常生活の至るところで関わってくる。
完全な情報の遮断は、今この時代においてはほぼ不可能と言えるかもしれない。
でも自分で選ぶことはできる。
自分が生きやすいかどうかを天秤にかけたとき、はたしてその付き合いは建設的なのか。その行動は意味があるのか。
精神衛生上、あなたの足を引っ張っていないか。
じっくりと精査して、思い切って断ち切ってみた方が気持ちが楽になったりする。
今はもう私からAに連絡を取ることはない。