毒親を介護するという事
毒親だと気付くまで
20歳の時に嫌だった家を飛び出した!
その頃は、何故か?
なんでかわからなくて
ただ嫌だったから飛び出した。
その時の感覚は今でも忘れない。
透明のロープがグルグル巻きになってた物が
外れた感覚だった。この時も何故か?わからなかった。
そして21歳の時に彼と出会って、同棲して
28歳で結婚した。この時母親は、私に
「あんたなんかでよいと言った?」何言ってるの?と思った。
そして32歳の時、旦那さんが統合失調症になった。
凄く辛かった。そこに旦那さんの親が、お前のせいだ。
と言われた時は、今まで張りつめていた心が音をたてるように
崩れていった!「もうダメだ。」そう思って母親と父親を、
旦那さんの親にあわせる為に呼んだ。
そして、母親は「この子もしょうがない子だもんでね。」
と言った!え?助けてほしくて呼んだのに…
その後は旦那さんの親だけが残った。
ほら、「おかあさんも言っていたじゃないか。」
「お前が悪い。」また傷いた。もうこの場所には
いられなくなって。逃げ出した。
結局、私は7年後に離婚する事になった。
毒親を介護するという事
今、母親を介護していると…
こんな感じのエピソードが頭の中にグルグルまわる。
認知症の介護は、本人の言ってる事は否定してはいけない。
という定義がある。
何なの?私は、この親に否定されまくってきた。勿論褒めて貰った事など
ない。なのに否定するな!褒めて介護しましょう。だって
なんて残酷な事なんだ!この人「毒親だよ。」
そう
思える事が次々と浮かんでくる。
83歳だろうと、オムツを付けていようと、癌になろうと、認知症になろうと
変わらない。毒親だった。むしろエスカレートしている。
また、わたしの心が崩れていくのを感じる。
お金の事も考えなくてはいけないから、早くから施設に入れるのは
厳しいと。姉(次女)は言うけど、私の中では、もう無理。
傷つくのは、もう嫌!と心が叫んでる。
姉とも、喧嘩するようになってきた。
お互いにいら立ってるからだろう。
毒親の介護は地獄です。
逃げたい。
長女は、逃げていなくなったから…
その気持ちも、わかる気がする。
逃げて正解かもしれません。
私は姉(次女)に、裏方にまわる。と言った。
母親と直接会わないという事
NOTEに、気持ちを吐き出してみた。
少しは、楽になったかもしれません。