人生はパズルのピースだ
以前、「パズルのピースを集める」という記事を書いた。
人生において起こることは、全て自分のパズルを完成させるために必要なピースだ、という考え方だ。
これは本当に腑に落ちる考え方だったが、ある朝、いつものように瞑想をしていた気がついたことがある。
それは、
「自分のパズルもまた、もっと大きなパズルのピースにすぎない」
ということだ。
自分が生きることを通じて完成させるパズルはきっと、それだけで完結するものではない。
自分が完成させて初めて、もっと大きなパズルのピースとなれる可能性を含んだものだ。
そして、そうやって完成させた大きなパズルもまた、さらに大きなパズルの中の一つのピースに過ぎないのだろう。
そう思ったらよけいに、自分のパズルはちゃんと完成させなければ、という気持ちになった。
自分のピースがどんな隅っこの小さなものだったとしても、きちんと完成させなければ「全体」は完成しないのだ。
私は私のパズルを、無事に完成させられるのだろうか。
あとどれぐらいの時間が残されているのかわからないが、少なくとも生きている限りは、完成に向けて努力し続けようと思う。