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軟骨無形成症の洋服作り奮闘記…No.11【広がる世界】

身長は小さく頭が大きい、手足や指が短く、お尻が大きく太ももは太い…そんな特徴を持つ軟骨無形成症という病名にも慣れ、周りからの見られ方にも、心ない言葉に対しても自分なりの回避の仕方や、自分自身のご機嫌の取り方を少しずつ習得していく毎日。そうして次なる世界へ…

【広がる世界】

何が出来て、何が出来ないのか…

もちろん病状によって人それぞれではありますが、我が家の次男くんは合併症が軽いため中高一貫校の受験をし《1人で通学》という道を選びました。

選択は2つ…最寄りの駅まで商店街を抜け、電車で1駅。そこからバスに乗って登校。
こちらのバスは通学時間には1時間に何十本とバスがやってくる都内の主要道路。下手すると3台ぐらいバスが連なって運行しております…間違いなく乗り遅れても、何の心配もないという特権。
そしてもう一つは、自宅から歩いて12、3分にあるバス停で、この1本でバスに乗って登校出来るという特権。ただし、乗り遅れると30分以上バスはきません。もちろん乗り遅れれば、遅刻は確定です。

私なら家の近くのバス停を間違いなく選択するのですが…次男くんは、もし遅れても大丈夫なように
ということで、電車を使ってバスに乗る…という選択をしました。
いやいやいや、電車に乗るために少し早く家を出ているんだったら、その時間を近くのバス停に行く時間に使えばいいのでは?と、説明しましたが
『1本しかチャンスがないと思うと落ち着かない…』という理由で、一年ほど少し遠回りになり、乗り換えもある方法での通学をしておりました。

一年…そう、一年で次男くんの不安は解消され、遅れたときは仕方がない…いや、遅れても大丈夫なんとかなる…と自分なりに納得出来たようで、安心してからは、自宅近くからバス1本に変更しておりました(まぁ、これも人それぞれのペースがあるのでしょう…)

小学校の登校のときは、O脚強制のために右足の付け根から踵まで曲がらないようにということで金属製の装具をつけていたりして、片足は常に伸ばしっぱなしでした。小学3年までは、朝は登校班と一緒に、帰りは友達と一緒に車椅子を使っての送迎。装具を外したあともお医者様から小学生の間はあまり思い荷物を持たないようにと注意を受け、結局6年間きっちり荷物持ちとして送り迎えすることになりました。
そんな時期を経ての中学からの『1人で通学』…
教科書は『置き勉』許可をもらい、宿題でよく使用するものは学校と家との『2冊買い』をし、出来るだけ荷物を減らすということで、学校の方にはご協力していただきました。
駅にはまだエスカレーターがなかった時期もあり、汗をかきながら階段を登りきってました。(エスカレーターは通学の途中から全駅に設置されました…エレベーターは乗るのが嫌らしく拒否してました。いまでもあまり乗りたがらないかな)

バスに乗るときも、ノンステップバスがかなり普及はしていましたが、それでも手足が短い体型のため、場所によっては乗り降りの際、苦労をしていました。足を真っ直ぐ上げることが苦手な軟骨無形成症の人達は、斜めから足を上げ段差を登るからです。
階段など幅や段差があると、軟骨無形成症の体には負担がかかるものとなります。
(ちなみに、階段を登る姿だけでなく、走る姿も軟骨無形成症は足を上げて前に伸ばすという動作が苦手なため、摺り足で横から前に出して走る大きく手を振ることで体が左右に揺れる…という独特のポーズはみんな一緒で、いわゆる軟骨無形成症あるあるとなります)

どれも急がなければ、工夫すれば出来ることがほとんどです。
人より歩幅が小さいのであれば、15分ほど早く行動すればなんとかなりますし、重たい荷物だって、荷物を減らす工夫をすればなんとかなる。トイレや手洗い場が届かなければ小さい台で問題解決。学校の購買部では、販売のおばちゃんを味方につければ、高いところにある飲み物も食べ物も好きなものを食べられる。
もちろん、次男くんを好きでいてくれる友達が近くにいれば、いつも当たり前のように手伝ってくれる。
本当に有難い世の中だ…。
何が出来て、何が出来ないのか…それが周りに明確に伝わっていれば、手を差しのべる方も分かりやすいはずです。
助けてもらうことは多いけれど、次男くんも次男くんなりに出来ることをやりなから、感謝も忘れずに一生懸命生きている。そうやって少しずつ広い世界に出た中学校生活が始まったのです。


→次回につづく


今日も最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
我が子だけではなく、多くの軟骨無形成症の方も前向きな人が多いと思います。たまに悲しくなるような言葉や態度をとられることもあるけれど、時間がかかるかもしれませんが、落ち込んだあとはちゃんと復活しています。
もちろん、言われたことや態度を忘れた訳ではりません。自分の病気を理解して、中には少しの諦めもあるのかもしれませんが、それでもちゃんと前に進んでいます。
ただ、上記でも書いたように…少しの工夫をすれば1人でもなんとかなるということが、軟骨無形成症の人々にとって逆に大きな試練となっているように感じるときがあります。
障がい者をからかう心理はなんでしょうか?
障がい者の社会ではなく、健常者の社会の中で生活をしていることが原因でしょうか?
この軟骨無形成症が持つ体型も位置付けも、中途半端すぎることが問題ですか?
指定難病である軟骨無形成症は、軟骨無形成症という病気だけでは障害者手帳を手にすることは、とても難しいのです。それは身長が低くても、手足が短くても自分のことが自分で出来るという理由からです。
健常者の中に入ると見た目から障害者と扱われ、障がい者の枠に入ると、ある程度のことは出来るから申し訳なく感じたり違和感を覚える…
多様性』『マイノリティー』…最近よく耳にする言葉ですが、必要とする人にちゃんと使われてこそ、初めて意味を成すものだと思います。
その言葉でまとめれば、上手く収まったように感じますが、果たしてその言葉は正しい使い方を理解し使われているのでしょうか?
言葉を知っているだけ、その言葉の意味を知ってるだけになっていないでしょうか?
以前にもよく似たことを記載したと思いますが、
これはあくまでも私のイメージですが…例えばいろんな人達ががいる【白色】という世界に、『多様性』を理解しようとしてくださる【赤色】の人達が所々点在する感じ…とでもいうのでしょうか。
全てを【赤色】にしたいわけではありません。どちらかというと全体から白が無くなり【ピンク】になることが大切で、それだけで十分なのです。
それは攻撃をしない、傷つく要素が減るということ…その言葉を必要とする人達が生きやすい世の中になるということに繋がらないでしょうか?

障がいをお持ちの方に限らず、誰に対しても(もちろん自分自身に対しても)ほんの少しの配慮や優しさが必要だと思うのです。
ここ3、4年…とくに小さいお子さまだけではなく、中高生をはじめ小さいお子さまを持つ若いお母さまが、お子さんと一緒に傷つく言葉や態度を行う姿を見かけることがあります。
そういう姿を見かけたり、その事によって傷つかれた人の姿を見たりすると、とても残念でなりません。以前は、お子さまからの『なぜこの人小さいの?』という質問に、お母さまが場の雰囲気を察して慌てたり、気遣ってその場を急いで離れるという方がほとんどだったように思います。
聞かれれば答えることが苦ではない軟骨無形成症の人達ですが、その時のお母さまの気持ちも行動の意味も理解はできます。ただ、その場を離れたあとしっかり《病気の人》だということをお子さまに伝えてもらえれば、有難いなぁと感じます。小さいことですが…その一言が世界を【白色】から【ピンク】に変えるきっかけになるのではないかと思っています。
受け止めてくださる方々が、ちゃんと『多様性』や『マイノリティー』という言葉を一種の流行りの言葉にせず、理解して使ってくださる日が来ることを、心から願っています。

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