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街裏ぴんくと世の中

街裏ぴんくがR-1グランプリに優勝した日から1ヶ月が経とうとしている。

あの夜ぼくは仕事でもお世話になっている高校の同級生の新築にお邪魔し、幼なじみ含めた数人での飲み会に参加していた。

街裏ぴんくが優勝。テレビ越しに見たその現実に、何が起こっているのかまったく把握出来ていなかった。しばらくしてだんだん実感が湧いてきて、感情が抑えきれず友人の前でひとりおいおいと泣いてしまった。

というのも、かれこれ7、8年前のある時期に、街裏さんとは付き合いがあった。
当時ぼくは東京で音楽活動くすぶり真っ只中の時期で、ライブは重ねていたものの大して注目されることもなく、大東京のノイズの一端にも満たないくらいに埋もれまくっていた。
そんな中、ひょんなことがきっかけで街裏さん(世間では「ぴんくさん」と呼ばれているがぼくの中ではこの呼び名)と知り合った。確か音楽の友達を介してだったと思う。それから何度か街裏さんのライブを観に行かせていただいた。街裏さんも奥さんを連れてぼくのライブに来ていただいたこともあった。
当時住んでる場所が近所であったこともあり、それぞれのライブイベント終わりに電車で一緒に帰ることもあった。
しかも、住んでた近所の喫茶店でぼくはいつも作曲(歌詞をノートに書いたり)してたんだけど、たまたまそこで街裏さんの奥さんが働いていて、一度会計をタダにしてもらったことがある。こんなぼくに、、、みたいな卑下する気持ちがあったので、あの時はなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

その矢先に「一緒に音楽とお笑いの合同企画をやりませんか」という話になった。
ぼくはそれまで企画などやったことなどなく、強いていえば一度だけ主催した企画で集客もろくに出来ずにライブ小屋の店主から怒られたことがあった。散々な結果で出てもらった音楽仲間に申し訳なかった。

なので実際に上手くいくかどうかも不安だった。
その合同企画で出演してもらったのは、街裏さん、既に解散してしまったお笑いコントユニットの月見峠さん、奈良のシンガー病気マサノリさん。
友達にイベントフライヤーもつくってもらい、開催したのは新宿の小さなハコだったが、お客さんいっぱいで、おまけに街裏さんのご両親もわざわざ大阪から来ていただき、大盛況だった。

フライヤー

こういう何者でもない人間が表舞台で脚光を浴びた人との繋がりを示すのが死ぬ程野暮で死ぬ程ダサいことは重々承知だ。だけどこれだけはどうしても書き残しておきたかった。




「お笑い」という戦場の中で芸のみを携えて戦い、散っていった人達。かつて本の中でビートたけしが
「オレひとりが売れるのに何人の芸人が散っていったと思ってるんだ」と言っている。
それだけ過酷で厳しい世界。月見峠さんもコンビを解散し、ひとりはこの世界から足を洗った。

又吉直樹原作のNetflixのドラマ『火花』をいつか観た日、どうしようもなく泣いた。ミュージシャンと芸人、道は違えど重なるものがたくさんあった。ひとつの世界から足を洗い背中を向けて立ち去る瞬間の影。その幾人もの、幾重もの影が表舞台で脚光を浴びた人達の足元を支えている。

音楽の世界から離れ林業の世界へ飛び込んだぼくは、それから街裏さんとは当然の事ながら連絡を取ることはなくなった。だけどぼくの中にはどの世界にも境界や断絶はないと思っている。すべては繋がっている。
林業を始めた翌年にも街裏さんの独演会をこっそり観に行った。そして地元宮崎へ帰る直前に行われた独演会へも足を運んだ。ぼくが知っていた頃の街裏さんとは違い、キャパの広い会場は満員で、どよめきのような笑いが起きていた。
境界はないと言えど音楽活動の世界から遠のいた自分は少しばかりの後ろめたさがあって、声をかけることは出来なかった。ガタイもデカいが存在感もさらにデカくなっていた。

地元で改めて林業の仕事を始め、現場へ向かう日のある朝、実家で親父と朝飯を食べながらめざましテレビを観ていたら、いきなりR-1決勝進出者発表のくだりになり、その中に街裏さんがいた。親父をよそに「うわ!街裏さんだ!」と声を上げた。その時点でもう泣いていた。

ついにここまできたのか、、、。街裏さんが毎年R-1にどれだけ賭けているかは間接的にだが知っていた。新作をどんどん生み出し、ネタの鮮度がいいどころか、新作ごとにカオスな笑いの中にどことなく哀愁が漂うようになってきた。「コインロッカー」「床穴」「長い商店街」「あとひとおし」のような。


その時点で「もしかしたらもしかするかもな、、、」と思っていた。それが実際に現実に起きた。未だに不思議な気持ちだ。人生はドラマティックである。

 

今の世の中というのは、基本的に「こうだからこう」という、可視化できる世界で成り立っていて、曖昧模糊としたその裏側にある世界というものは無きものにされている。

しかし現実と空想(ファンタジー、ワンダー)の世界は対になっていて、どちらもがなければ成立しない。
だから昔の人は精霊や妖怪や神仏習合的な世界観があることでバランスを取っていた。

現代はこれだけ文明が発達していくと神も仏も必要なく、都会の墓はビルの一角にあったりするし、必要ないと判断されたものはどんどん排除される。人間ひとりひとりもそのひとつで、資本主義の中で会社のコマになって収められてしまう。利用価値のあるなしで判断されていく。

かつて人間の中に確かにあった、瞼の裏側の世界。その瞼の裏側を具象化しているのが街裏ぴんくの漫談だと思っている。
街裏ぴんくが人々の代わりとなって現実と背中合わせになっている裏側の感覚的な世界を道具ももたず表現のみで魅せてくれる。それはとても高度な力を持っている。
それは技術だけでなく街裏さん自身の体験や感性なくしては伝えられないものだから、めちゃくちゃ説得力がある。だからこそ劇場のどよめきの中に「わけのわからない感動」みたいな波が立ち現れる。「なんだろうこれ、、、」っていう。

坂口恭平が言う「いのっちの電話を通して、人々の心の裏側にある思考都市を作り上げる、ぼくはやっぱり建築家なんですよ」というのは実は街裏ぴんくにも通ずる部分があって、人間の体験の中でラベルすらついてないような記憶ランキングから取りこぼされたような記憶(たとえば小さな頃知らないおじさんに話かけられたこことか、人んちの洗濯物にカタツムリがくっついてた事とか、ヘンな色した夕焼けとか)に紐づけされ繋ぎ合わされた、東北の襤褸(ボロ)のような思考都市空間が彼の漫談の世界にはある。
実は世界はこちら側にあって、恐ろしい事に大部分の人間がそれに気づいていない。
マジでコイツ頭おかしいんじゃねえの?って思われそうだけど、街裏さんは漫談という技法を使ってワンダーの世界へ人々を呼び戻す為に現れた現代のメシア(救世主)なんじゃないかとすら思う。


ぼくが生まれるよりずーっと昔に、落語家の立川談志と月の家円鏡という落語の大名人2人がラジオの生放送で『歌謡合戦』という番組をやっていた。
それはお互いが即興でポンポン脳内にひらめいたワードをもとに会話を繰り広げていくというもので、理解というものを排除して感覚のみでやりとりしていく。

とにかくテンポが速くて話がどんどん進んで行くトビまくった会話。それは当時担当していたディレクターがノイローゼになって入院したという程。
これに影響を受けた伊集院光は後の長寿深夜番組『深夜の馬鹿力』で談志をゲストに呼んだ際に「ぼくがこのラジオの中で表現したいのはあの世界なんですよ」と言っている。

高田文夫や太田光もそうで、ラジオのコーナーでこの歌謡合戦を再現している。これがまためちゃくちゃおもしろい。

38分55秒から




AIに街裏さんの漫談は作れないと思っている。「わけのわからない感動」は生み出せないと思っている。
その「わけのわからない感動」というのは幼児体験にも基づいていると思っていて、
街裏さんの漫談を聴いているとまるで枯渇していた少年の湧き水がじんわり地表に溢れ出る感覚になる。
それこそクレヨンしんちゃんのオトナ帝国の逆襲、のような。

現代だろうと何であろうと、みんな生まれた時からこうではなくて、子供の頃は誰しもが「少年」もしくは「少女」だったわけで。その世界の中に確かにワンダーやファンタジーの世界があったはず。
大人になって体験するのは対価を払って商業的に味わうワンダーやファンタジーのみで、一時的な発散に取って代わられている。

街裏ぴんくの漫談の中にある「ワンダー」や「ファンタジー」(談志で言うところの「イリュージョン」)が、かつて子供だった人々の「少年」「少女」を呼び戻してくれるような、そんな気がしている。

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