わたしは商店街になりたい
風邪をひいた。最近よく体調を崩す。それでも昨日は夕方17時すぎまで仕事をしていた。朝お祓いをしたり、伐採して造材したり。
人は「気」で生きてると思っている。仕事柄、一瞬の気の緩みが死を招く。だから常に人に対してもどこかドライに見てるし、違和感を少しでも感じたら一線を置くようにしている。
先週の木曜日、現場を半日であがって大分へ前野健太のライブを観に行った。高速で約4時間。ちょっとした旅である。夕暮れに染まった大分の街並みと山稜が綺麗だった。
大分の街へ降り立った事はほとんどなく、去年の1月に18きっぷの乗り換えで泊まったぐらいだ。ちゃんと歩いたのは初めてだった。
前野健太のライブ会場は、一階に居酒屋が入ったビルの三階にある、アトホールというライブハウスにて行われた。かれこれ20年近く営業しているという。
九州横断ツアーの初日となる大分公演は、満席だった。大分にこんなに前野健太を知ってる人がいるのかと少し驚いた反面、嬉しかった。
自分の好きな曲をいくつも歌ってくれた。前野健太を知ったのはまだ上京前の19歳ごろ。「ロマンスカー」「さみしいだけ」を地元でよく聴いていた。
東京へ上京してすぐ、前野健太が吉祥寺の街を歌い歩くドキュメンタリー映画『ライブテープ』の試写会へ行った。フライヤーにサインをいただいた。あれから15、6年経ったのかと思うと月日の早さは恐ろしい。
先日リリースされた新譜『営業中』を引っ提げての今回のツアーは、当然ながらアルバムの曲を中心に歌ってはいたが、昔の曲、それこそ19ぐらいの頃よく聴いていた『100年後』なんかもやってくれて、嬉しかった。
ライブ開演前、物販に立っていた今回のツアーの主催者の方と話す。この大分のライブのみで販売だという、アルバムのリード曲である『営業中』のピアノの譜面をすすめられたので買う。ピアノも弾けないのに。
マエケンはここのところサブスクでの配信を一切やめて、CDのみでの販売をしている。彼はスマホも持っておらず、ガラケーのみで生活している。彼が不定期に更新している「ガラケー旅日記」の文章はとても素晴らしい。
ライブのMCで「もういっそのこと、全員でスマホを海に投げ捨てませんか?もしくは焚き火の中に放り投げるとか」と言っていた気持ちがよくわかる。と言いつつ自分も持たずにはいられない状態ではあるのだが。
自分の足で歩く。自分の意志で生きる。簡単なようでそれが出来ている人間が現代でどれだけいるだろう。なかなか出来ない事だけど、ちゃんと自立して歩きたい。
弾き語りのライブが一巡すると、地元のバンドをバックバンドに迎えて、数曲歌った。最後にみんなで手拍子をしながら実際のアレンジ通りの『営業中』を歌った。来る時の高速の移動中にもこの曲を聴きながら泣いていた。
MCの中で「商店街が好きで、商店街を歩いて、商店街の曲をつくって。ぼくはきっと商店街になりたいんだなって気づいたんです」と言っていた。街の風景が、ひとつの店がなくなることによって今までの色めきを失ってゆく。同じようにぼくも、老舗の喫茶店や定食屋や居酒屋が大好きでひとりでよく立ち寄るので気持ちがよくわかる。人が街をつくっていく。コロナによって畳まざるを得なかった店。高齢になり体力に限界を感じ店を畳んだ店。それでも経営難にあえぎながらも続けている店。『営業中』の曲には底抜けの明るさじゃない、そんな悲しみや苦悩を抱えつつも、また一歩前向きに生きていこうとする人の気概を感じて泣けてくる。全国どこでもお店がある。だけどいつかは変わっていく。開店するお店もあれば閉店するお店もある。その今日を、その一瞬を知っている切なさめいたものを噛み締めてふらりまたどこかの飲み屋や定食屋に赴きたい。
そしていつかこの曲をピアノで弾けるようになったら(もしくは誰か周りに弾いてくれそうな人がいたら笑)、ゴスペル調に手拍子して歌いたいなあ。日本各地にあの曲の譜面をばら撒いて、お店を経営する人たちに歌ってもらえたら素敵だなあなんてことをライブを観ながら思っていた。