見出し画像

時間の忘れ方。

月曜日、という感覚はその週によって違う。生活リズムが時と場合によって目まぐるしく変わるし心境も変わるので、常に流動的であって、もはや週の始まりという概念すらなくなってる時もある。
日曜日は隣の竹藪の竹が台風で折れて電線にかかったり折れたりしてたので午前中に手前半分ぐらいまできって片付けた。前から気になってもやもやしてたのでスッキリ。
常にタスク脳になっちゃってる感じもあるけど、やってスッキリするっていうのは脳を整理する感じもあるので、心が晴れやかになる。部屋を掃除するとか食器を洗うとか、綻びを補修するとかそんな感じに近い。

精神の変化に理由がないときがあって、急にああだるい、出かけたはいいものの帰りたい、、みたいなモードに入ったりすることがある。そのまま折り返して帰宅して、それでも心晴れずズーンと重い時もある。
ある時期休日が苦手な時があった。休日は有意義に過ごさなければ、なにかやらなければ、、!というマインドになって、出かけるにもちゃんといい感じの服選びして、、とか服の組み合わせ考えてるうちに、「やっぱもう今日は出かけるのやめよう」とかって暗い気持ちになって結局家でゴロゴロ、みたいなこと何度もあった。
だからこそだらだらの方の自分をもっともっと受け入れてあげなくちゃいけない。やさしく許す、だらだらしてもいいんだよって許す。気が向いたら家のことやる、とかそんな感じでいい。
とにかく自分なんかはせわしなく動いてないと気がすまない人間なので、というか何かしてないともったいないって思っちゃうので、あれやるかこれやるかって考えて、結果めちゃ疲れるパターンが多い。

特に地元だと自然が多いし、周りは建物とか信号とかコンビニとか人工物がほとんどないので、自然をボーっとみてるだけで心あらわれる。だけどすぐ「Amazonで何買おうか」とか考えてスマホの方にフォーカスしちゃって、関連で関係ないあれこそ見て結果「あれ何しようとしてたんだっけ?」ってなってめちゃ疲れるっていう。風にゆれる葉っぱみてるだけで、それこそ1時間くらい見てるだけで自然と脳は整理される。そういう方向にシフトして行こうって思う。なんやかんやしてるとマジであっというう間に時間過ぎてるから。
でも有意義な時間の使い方とかコスパタイパとかより、大事なのは「時間の忘れ方」って感じがする。時間の使い方や有意義な過ごし方を考えてる時点で、時間という概念に凄く囚われてしまっている。

時計もなにも持たない登山とか、ほんと時間ぶっとぶんでいいですよね。最近めっきりそんなことしてないな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?