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ざわめき


地元だからすべてが報われるとかそんなこともなくて、日々なにか落ち着かない。体調もよかったり悪かったり。抑うつ状態のことが多い。置かれた環境をあまりアテにするもんでもない。きっとまだここでのリズム感というのをモノにしてないんだろう。
ただひとつなんとなくわかったのは、ここにいる、ここで落ち着くみたいなことではないんだなっていう。自分の性格がそうなのかもしれないけれど、同じ場所に居続けるというのはなにかものすごく不安になる。風に舞いたい。旅していたい。だから休みの日は出来るだけ外に出るようにしている。無意識というものに身を任せる。心がどこに向かおうとしてるか。

昨日はお昼から2時間くらい、通行止めになっている峠の先の駐車場に車を停め、後ろのドアを開けそこに腰掛け、クラシックギターでなんにも考えずに歌を歌っていた。自分の歌、岡村孝子、病気マサノリ、前野健太、スーパーベストオブヤング、中島みゆき、早川義夫、真島昌利。
聴くのも歌うのも、放たれた瞬間にそこの風景が色づく。同時にそこではないどこかを想起させる。思った。歌は旅なんだなって。そこにいながらにして遠くに行ける力があるなって。誰かと繋がり合う以前に、自分と歌とを繋ぎ合わせる。おかげで少し落ち着いた。

ずっと、ずーーーーっと前から病気マサノリさんの「冬の夏の気分」という名曲をカバーしようと思ってて、何度も練習するけどサビの高音が全然出なくて、自分の声の帯域に合ってなくて苦しかったんだけど、キーをいっこ下げたらなんとか歌えた。病気さんの地元である奈良県の夜空。ぼくの地元の宮崎県の夜空。場所は違えどちゃんと伝わる。おんなじ純度で伝わる。

寸前まで迷ってて、歌い飽きたところでよし宮崎市内へ行こうと思い立ち、市内のバー兼イベントスペースであるiii(スリー)という所で行われたトークイベントへ向かった。
元銀杏BOYZのギターのチン中村(中村明珍)さんのトークイベント。音楽についての話が主だったが、坊さんになった経緯や農業についての話が聞けてよかった。
その話の中でも、「銀杏のぼく以外のメンバーは山形で、山形のしんしんと雪の降り積もるあの雪景色を音にしたいってしきりに言ってたんだけど、ぼく埼玉だからそれがわかんなくて」と言ってた。音の風景ってのは自分が生まれ育った場所や見てきた景色と深くリンクするんだなって。前回バダサイの話でも書いたけど、遠く何処かの地方にいてもそれぞれがそれぞれの置かれた環境の中でその音楽を聴いて救われる、っていう体験は自分も身を以て感じているので、なんかやっぱすごいなーって思う。

かと言って自分は音楽知識はかなり浅いのでもっともらしい説得力のあることはまったく言えないんだけど、それを感じれてるだけまだいいのかなと。
それこそ銀杏BOYZは音楽という世界の扉を開けてくれた一番重要な存在なので、まわりのアウェイな空間も相まってチン君を前にしてめちゃくちゃ緊張してしまった。質問タイムで勇気を出して質問したが、声がうわずっていた。情けない。でも今の自分にはそういう体験も必要だった。

親と半分一緒に暮らして、ご飯も黙ってれば出てくるし、食べ終われば勝手にコーヒー出てくるし(笑)洗濯はやってくれるしめちゃくちゃ快適なんだけど、まったく話が噛み合わなくて、親子なのにこんなにも通じ合わないものかと。だからこそ、わかり合えるもしくは自分に近い世界の人間と話がしたいと思っていたとこなので、いいタイミングだった。やっぱり閉鎖した扉は自分でこじ開けなくちゃいけない。

それこそ今回のイベントに行くまでの流れってのも、前回帰り間際の東京にて、陽光さんに「宮崎帰るならポロポロ書店っておもしろい本屋さんがあるから行ってみるといいよ〜」とおすすめされて、帰って来てすぐさまお店に行き、店主と陽光さんの話やらサカキョの話やらあれこれして(お店にとちゅやめも置いてます)、店主と友達のクラスルームってバンドがいてその子がイベントちょこちょこやってますよ〜って話になり、そっから調べたりなんたりしてたらそのクラスルームの人が主催して今回のチン君のイベントが行われるってのを知り。よかタイミング。

イベントが終わりポロポロ書店の店主の方と「黒兵衛」という餃子屋さんで餃子をアテに飲みながら話す。前野健太のこと、豊田道倫のこと、円盤のこと、無善寺のこと、加地等のこと。たまに書店に来る16歳の女の子が加地等が好きらしく、驚いた。そんな若い子でも加地等知ってるんだーって。ぼくは18歳当時小林市で加地等聴いてんのおれだけだろ!という自負があったので、ぼくが知った頃にその子が生まれたんだと思うとなんだかなあ。勝手に感慨深くなってる。

加地さんはぼくが東京に来た翌年に酒の飲み過ぎで肝硬変で亡くなって、亡くなる前の最後のライブにも行ったし、亡くなった後の追悼イベントにも行った。以前書いたけど加地さんの全作品をリリースしてるケバブレコーズから全部買い揃えて聴きまくってたし、めちゃくちゃ影響受けた。住んでた時期は被ってないけど高円寺に住むようになったのも加地さんの影響もあるかもしれない。彼が行きつけだった高円寺のラーメン屋「鹿児島一番」にもよく行っていた(近年閉業してしまいました、、)。加地さんはぼくが東京出てくる前まで高円寺のセブンイレブンでバイトしていて、ある時住んでたアパートで酔った際に部屋のストーブで手を大火傷して、確かその直後に地元寝屋川市に帰っていったはず。偏屈で暗いおじさんってイメージだったけどそこに強いシンパシーを感じた。当時観に行ったライブでも、若僧であったぼくは恥ずかしさと謎のプライドスイッチが発動して話しかけれなかったけど、今なら少しでも話しておけばよかったなって思う。

ちゃんとそれぞれの「孤独」を携えて歌を歌い続けてる人が好きだ。加地さんとも繋がりがある、前野健太もそのうちのひとり。吟遊詩人という言葉がよく似合う人。

マエケンは「『ざわめき』がなかったら歌は出来ない」と言う。めっちゃわかる、って思った。確かマエケンの初期のアルバム「ロマンスカー」だか「さみしいだけ」だったかの帯で加地さんが「昨今のポップミュージックには『歌心』がない。だが彼の歌には歌心がある」と言っていた。ざわめき。歌心。言葉は違えどおんなじ意味に思えた。

もどかしさ、恥ずかしさ、弱さ、かっこ悪さ。失敗した事、歯がゆい出来事。彼らはそれをちゃんと言葉にして歌にしている。早川義夫もそう。だから好きだ。

最近始まったらしいマエケンのガラケー旅日記がめちゃよかった。あたたかくて少し泣いた。
https://imidas.jp/maenokenta

こういう何気ない日々を淡々と綴られるぬくもりのある文章が以前はネットにもっとあった。そういう文章が好きだった。
ガラケー。スマホ。なんかが変わった。

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