ネタバレいっぱい海神再読第三十六回 七章6. 尚隆と更夜と妖魔の大きいの
あらすじ:六太は地下の迷宮で光を見る。それは頑朴城に潜入してきた尚隆だった。尚隆は六太と共に更夜に会う。
●尚隆の光
松明の明かりよりほかにない地下に明るい光をもたらす尚隆。六太の見た光であると同時に、斡由の秘密という暗闇に持ち込まれた第三者のクリアな視点でもあるのだろう。
海神という話をミステリとして読む時、探偵役は尚隆なんだよな。謎という暗黒に閉ざされた迷宮を知性の光で解放する者。
ところで、麒麟には天意の器としての自分と個人としての自我があると思うんだけど、尚隆に光を見たのはどちらだろうか。
●元州の普通の人々その3
更夜の部下の大僕は部下だけど更夜を受け入れていない。囚人を妖魔に喰わせて始末してるんじゃないかと疑ってる。更夜もそれは承知している。城の者は皆そうだろう、と。斡由という後ろ盾がいなければ、更夜を排除するだろう普通の人々。更夜はそんなことは重々承知している。肝要なのは疑いが斡由に向かわないことだ…
ところでこの大僕、八章が終わったあとで出番?があったかも。
事態が片付いた後で、六太は恩人の女官を探すと思うんですね。でも見つからない。で、この大僕が自分の推理を述べる。更夜がそういうことをしていて、斡由のああいう最期があったから斡由が黒幕だろうっていうふうに尚隆・六太に覚らせる役。六太も尚隆も囚人の始末のことは作中では知らなかった(知ったという記述はなかった)けど、こういう形で後で知ったんじゃないかなと思います。
●尚隆と更夜と妖魔の大きいの
尚隆が妖魔の大きいのを見た時の態度、三章1で初めて更夜と大きいのに会った時の斡由の態度と同じだ。むやみに恐れず興味深げに観察するところ。やっぱこの二人、似てるよ。
更夜は大きいのがいなければ普通の人間なのは二章4からも明らかで、大きいのといるから排除される側になってしまうのに、大きいのと離れようとはしない。普通の人々に切り捨てられた時に寄り添って生かしてくれたのが妖魔の大きいのだったから、それをなかったことにして「普通」になるのは、今生きている自分自身の否定になるから駄目なんだろう。
妖魔の大きいのを差別とかの対象となる属性の隠喩と考えると、更夜は正しいと思う。だから更夜の魂に近づくには大きいのを排除しない、てのが絶対条件なんだろうな。