ネタバレいっぱい海神再読第四十三回 八章4.斡由は本当に消えたのか?
あらすじ:旅立つ更夜を見送る六太と尚隆。六太は尚隆に礼を言うが、尚隆は驪媚や亦信の死を防げなかったかと六太を叱る。六太は尚隆にしがみついて謝り、尚隆は六太に一国を返すことを、六太は尚隆に眼を瞑ることを約束する。
●小松尚隆は何故、小松の滅亡で死にたがったのか?
回想。六太と小松尚隆の誓約。戦いの中、重傷を負って使令に小舟に運ばれた尚隆は、ひとり死地から救われたことを喜ぼうとはしない。
なぜ助けた、と問い、お前は死にたかったわけではあるまい、と言い、死ぬ気だったのか、と六太に聞き返されて、
尚隆)若、と呼ばれるたびに、よろしくと言われてる気がした。だが、守ってはやれなかった。
六太)お前のせいじゃないだろう?
尚隆)俺のせいではないな。仕方がなかった。
六太)じゃあしょぼくれる必要なんかないじゃないか。お前はできるだけのことをやったろう?
この会話のとおり、尚隆が自分はできるだけのことをやった、仕方がなかったと思っていたのかどうか。思ってたとしたら、その後の台詞は自分にはなんの責任のないことでも自分を責める尚隆の良心的な様の描写ということになる。
でも、私はそうじゃないと思う。でなければ二十年後の七章7でまで、生き恥曝して、とか、民に殉じればよかった、なんて自分のことを言ったりはしないだろう。
仕方なかったと言ったのは子供である六太への思いやりで、尚隆自身は本当にそうだったのかずっと悩んでたのじゃないか。父が死んで国を継ぐまで、尚隆は父に許される範囲でしか動いてなかった(継いでからはできるだけのことをしたけど、手遅れだった)。尚隆は例えればリーダーより道をよく知ってるサブリーダーのようなもの。リーダーが底なし沼に突き進むのを止められず、リーダーが沈んで自分が新たなリーダーになってから引き返そうとしてできず、自分以外の全員が沈んでしまったようなもの。そんな時は自分に腹を立てるものじゃないだろうか。
尚隆が父に背いても小松を救えたかはわからない。でも、そもそもやろうとしなかった。尚隆は横車を押そうとしなかったんだよね。だから横車を押しまくって、それで自分は破滅したけど元州は守った斡由について、他の者とは違うように考えたのではないか。
六太)お前、国が欲しいか。
尚隆)欲しいな。
尚隆が欲しかった国はまず小松だろう。それが取り戻せないから、別の国の王となる誓約を受け入れた。それは尚隆の追い詰められた心境故であり、でもそのまま他国の王になりきれるものだろうか?
●尚隆は何故、六太が悧角に斡由を攻撃させたことについて、礼もわびも言わなかったのか?
現在。六太は更夜を許してくれたことについて尚隆に礼を言うが、
尚隆)別段、お前のためにしたことではない。
どこまでも硬く、切って捨てるような口調に、六太は首を傾ける。
六太)ひょっとして怒ってるのか?
六太には尚隆の態度の急変は意外だったんだね。確かにここは引っかかるところ。尚隆が八章2で進み出てから斡由が太刀を振り上げるまでの5ページの間に、笑という字は8回でてる。つまりすごく笑ってるんだよ。八章3でも更夜に笑んでみせて、更夜も元州諸官も許して、皆上手く行ったのに、何故いま六太に怒るのか。
尚隆は驪媚や赤子や亦信のことを持ち出して六太を叱ったけど、
①驪媚たちのことは七章と八章の間でもう知ってたはず。八章2のあの上機嫌は何だったの?
②驪媚たちに赤索条をかけたのも妖魔に亦信を攻撃させたのも更夜。なのに八章3の更夜に対する優しさだけの態度は何?
③亦信については六太がどうでるかでなんとかしようがあったとは思えない。驪媚についても尚隆の暗示…事あったときには命を捨ててくれ…の方が大きかったんじゃないの?
④尚隆がたった今、斡由に太刀を渡して自分だけ納めて背中を向けて斬られそうになったのを六太の使令に救われたとしたら、そのことについては六太に「すまなかった」「礼を言う」と言うべきなんじゃないの? 妖魔を止めた更夜には両方言ってたのに…
特に④ですね。このことに気づいてからは目を皿のようにして再読してるんですが、六太が斡由を使令に攻撃させ致命傷を負わせたことについては詫びても感謝してもいないんですよ尚隆は。
何故か。
尚隆は斡由の今際の際の顔とかから、殺意のなさを汲み取っていたのではないか。であれば六太の使令による攻撃は不要で、そのせいで尚隆は生かそうとした斡由を討つ羽目になった。六太は斡由の挑発に乗せられたんだから、それも尚隆を思う気持ちからだったんだから、そのことは責められないし、自分を慈悲の神獣と思っている者にお前は殺意のない者を死に到らしめたと知らせるわけにはいかない。だけど、感謝はできないししたくない。だから他のことで非難して話を逸らした…
ここが、斡由に殺意はなかったかもと思う論拠の一つめです。斡由は最後に尚隆を、自分の首を斬ろうとする尚隆を見たんだから、その時憎悪を剥き出しにしてたら尚隆にはわかったはず。そうだったら、自分の読みは間違ってた、六太に救われたと感謝したはず。それをしなかったということは、斡由に殺意がなかった、尚隆はそう見て取ってたとしか思えない。
斡由の今際の際の顔はどんなだったか。笑ったのかなとも思うし、よろしく、と喉笛を噛み切られた状態で言ったのかも。神仙であれば言葉ともいえない呻きでも意味がわかると言うし(二章2、七章3)。尚隆が斡由の死後、即座に諸官のうちでもっとも危うい更夜のフォローに入ったあたりも、それっぽい気がする。
●六太は何故、斡由の死の直後、血に病んだ症状を見せなかったのか。なぜ斡由を意識のある状態で殺害した尚隆に、しがみつくことができたのか?
尚隆に叱責されて、六太は謝りながら尚隆にしがみつく。
何故この時、六太は尚隆にしがみつくことができたのだろうか?
麒麟は血に弱い。間近で血を流して殺された者がいると、血の臭気に酔って酷い気分になり熱を出す(三章4亦信の場合)。また、驪媚の血を浴びた時は七日間意識を失い、目覚めても血の臭気に酔って意識が朦朧とし、使令を呼ぶのさえうまくいかないくらいだった(七章2)。誓約のシーンでも、すぐ前に小松の戦乱で血の臭気に巻かれて病んでいたとの記述がある(八章4)。いずれも死者に六太に対する恨みはなく、亦信の場合は六太が血に触れることさえなかった。さらに、更夜が大きいのに女官を食わせた時も、六太は更夜に血の臭いを感じ取り近づくこともできなかった(七章7)。更夜は女官を自分の手にかけたわけではないし、血に触れたわけでもない。だから厳密には血が問題なのじゃない。「風の万里黎明の空」十一章3の陽子によると、
「たとえどんな大義があろうとも、人を殺し、あるいは殺すように命じれば、流された血は怨詛を含んで麒麟にまとわりつく。麒麟は実際、血に弱いが、怨詛の気もまた麒麟を苦しめる。」
大きいのに女官を食うよう命じた更夜は女官の怨詛を受けていたから、六太は血の臭いを感じたんだね。
麒麟と血と怨詛はこのように設定されている。では、斡由の死に対してはどうだったか?
斡由は首を斬られたんだから大量に血を流して死んで、八章3では血まみれの遺体が六太たちのすぐ横にあったはず。斡由が最期に尚隆を見たことは地の文で示唆されている。斡由が自分の首を斬ろうとする尚隆や、喉笛を噛み切った使令に対して怨詛を抱いて死んだのなら、六太は血の臭気に苛まされたはずだけど、八章3・4にそういう描写は一切ない。斡由が屑だから?いやいや「どんな大義があろうとも」 とあるではないですか。書き忘れ…にしてもそれまでの流血・殺害では必ず描かれてたのに、斡由の場合でのみ、「血の臭いを嗅いで平然としていられる(五章3)」六太になってしまっている。
ここでだけ六太が血に酔った症状を書き忘れるってあるだろうか?忘れたのでなければ何故、六太は苦痛を感じなかったのだろう?
万里十一章3の景麒によれば、怨詛なき血であれば、血の臭気はごく薄いそうである。斡由のしたことが覚悟の上の自殺行為だったら、斡由が尚隆に更夜や白沢や元州を託したのなら、斡由が尚隆にも六太の使令にも更夜や白沢や元州諸官やこの世の誰にも怨詛を抱かずに逝ったのなら、流れた血は怨詛なき血で、血の臭気もごくごく薄かったから六太も苦しまなかったのではないだろうか。
これが斡由に殺意はなかったかもと思う論拠の二つめです。麒麟が血の臭気の有無で死者の死の直前の思念を判断できるって設定、ミステリ系の作家さんなら使いたいだろうと思うんですが、ここで使ってたんではと思うのです。
●麒麟が王に眼を瞑っていいんだろうか?
六太は尚隆に自分のための場所を頼む。尚隆は六太に必ず一国を返そうと約束し、六太は答える、ではおれは、尚隆がいいと言うまで眼を瞑っている…
このシーン、いかにも感動的なんですが、麒麟が王に眼を瞑っていいんだろうか?
麒麟は王の見張り番、王が道を外れたら指摘し、度を越したら先に倒れて、道連れにして王を終わらせる者。それが王に眼を瞑ったら王が間違えても指摘できないじゃないですか。
私は尚隆が何一つ過たない完璧な王とは思ってません。治水妨害が致命的な事態をもたらさなかったのは、天災が運良く起きなかったからだし、大体過たない人間なんていないし。
それにすぐあとの話である「風の万里」の女王様たちが、麒麟にも見ろ、考えろと言ってるあたり、眼を瞑ってお任せにすることをいかにも感動的に描くシーンには違和感を感じてしまう。
確かに尚隆は二章3で眼を瞑って耳を塞いで任せろと言っているけど、小松でも民になんとかしてやるといっていたから弱者には全面的に自分に頼らせる傾向のある人かもしれないけど、八章2と3で斡由と更夜に対し自分の身を危険に晒してまで耳目を開かせ、説得に成功したのに、何故いま六太の眼を瞑る宣言を受け入れたのか。
考えられるのは六太が麒麟、慈悲の神獣だということである。それが欺かれてとはいえ殺意のない者に致命傷を与えたということを伏せるためには、六太は眼を瞑っていたほうがいい。それが尚隆の慈悲だった、ということ。
そして…六太が延麒であり、尚隆が小松尚隆だったということ。六太は小松尚隆を延王尚隆に変えた。尚隆を小松の民に殉じる道から引き離してしまった。それは人としての六太の意志か、麒麟という天意の器としての宿命なのか、六太自身にもわからない。尚隆も自分が受け入れたことだからけして責めはしないけれど、六太の中の天意に対しては割り切れないものがあるんじゃないだろうか。だから自分の中の小松に拘る部分には六太は眼を瞑らせておきたい、ということなんじゃなかろうか。
延王延麒は私の目には一種の亀裂を含んだ関係に見える。亀裂に眼を瞑ることで安定した関係…でもずっとそれではいけないよね、いつか直面しないといけない時がくるから。
雁の話が再びあるなら、六太が眼を開く話になるかも。
●斡由は本当に消えたのか?
さて、斡由に殺意がなかったかどうかについての二つの論拠は、先にあげたとおりです。
それは斡由の印象が死後あまりにも速やかに消えてしまった原因でもあると思う。
尚隆が斡由の死について六太に何も語らず、六太が斡由の血に塗れた死からなんの影響も受けなかった。この二つの不思議を不思議と感じさせないために、他の誰もが斡由の死について語らず考えず、結果として斡由が消えてしまったのではないか、と思うのです。
考えず…というか、視点である六太は本当に考えてないけど、他のキャラはモノローグという形では表されなかった、というべきか。白沢たち元州諸官は呆然としてたんだから(八章3)、考えてないわけないと思うんだよね。それに尚隆。
尚隆は確実に斡由のことを考えてる。だから機嫌が悪かったんだよね。あれ、斡由と斡由の運命を変えられなかった自分に腹を立ててたんだよ。
ところで、雁に来てから二十年の間に尚隆は常世について色々学んだと思うんだけど、麒麟についても万里の陽子以上に知ってたんじゃないかな。陽子が知ってた麒麟と血と怨詛の関係を、尚隆が知らなかったとは思えない。
だったら、斡由を斬った自分に抵抗なくしがみついてくる六太に何を思ったか。
やっぱり、と思ったんじゃないか。
怨まれてない、と思ったのは見間違いじゃなかった。全てを奪われ、妖魔に喉笛を噛み切られ、王に首斬られて、怨詛なしか。とんでもない奴だ。強引に俺に首を売りつけていった。俺は元州を守ることで代価を払わねばならん。なんて野郎だ…
尚隆は延王となったけど、それが父に背かず小松のために横車を押さなかった褒賞としてなのではないかと苦しんでたのじゃないかと思うんだよね。雁の良き王になろうとすればするほど、小松への裏切りを感じて苦しくなる。
しかし、斡由というもう一人の自分の首を受け取ることで、元州を含む雁の良き主となることは、代価の支払となった。褒賞を突き返すのと、代価を払わないのとは違う。代価は払わないといけないんだよ、尚隆が斡由と対等であるためには。
そして、同時に胸のすく思いをしたんじゃないだろうか。人はこうも生きられるんだと。尚隆は治世の最初から、いずれ悪しき王になり、天意と民に見捨てられて国を滅ぼして終わるんだと言われてきた。小松の滅びを止められなかった尚隆には絶対に嫌な運命だったろう。
そこへ斡由ですよ。斡由のような色々なやらかしを犯したある意味屑な人間が、最後の最後まで自分の守ってきたものを守り抜けたなら、自分にもできるはずだ。自分に代わって守る者を見つけ、巻添えになる者を遠ざけて、一人で逝く。
難しい? 斡由にできたことが俺にできないはずはない。
そんなわけで、斡由は消えていません。斡由は尚隆の中にいる。大元と改元した時には確実に、いた。その後も…きっと生涯尚隆の中にいるだろう。尚隆の、過去とそして未来の「もう一人の自分」として。
最後の方、普通の読みと無茶苦茶に違ってますね…しかし普通の読みで引っかかるところを丹念に繋いでいくと、こうなっちゃうんです。
海神は二層構造の話なんじゃないかと思います。六太が主人公の表層と尚隆が主人公の深層。それってすごくミステリ的。例えば…と例を上げるとネタバレになるんで言えないけど、いろいろ思い出します。
小野先生。凄い。