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ネタバレいっぱい海神再読第九回 二章3.尚隆は何故六太に「眼を瞑ってろ」と言ったのか?

あらすじ:六太は尚隆と王と民の関係について語り合う。

●尚隆)『天下は金勘定を以てこれを治むべし』

一見ギャグのようだけど、尚隆のかなり本気の信条では?六章で自分の首で民の命を贖いたいと言ってたけど、自分の首を敵に売って民の命を買いたかったんだよね。そういう取引が成立するのが理想、というか尚隆に信じられるのはそういう関係なんだな。民と王も、税を払う民、税を集めて民ではできないことをやる王、とギブ&テイクで対等なんだよね。これって常世の王に対する考え方とはかなり違っているような。一方的に上から施すのより、私としては好きな考え方だけど。

●尚隆)生き残った諸侯は五、梟王に屠られて空位のまま州官によって牛耳られている州が三。

今生き残ってない州侯ははっきり梟王に屠られたんですねえ。完全武道系の王。ここについては六章2でまとめます。

●尚隆)殺すまいと無理をして、のちに万殺すよりも、いまここで百殺して終わらせてしまったほうがましだろう。

これはどういう意味なんだろうか?

①戦いが起きるなら先制攻撃して勝つほうが被害が抑えられる?

②治水をやらないことで水害が起きて民のうち百が死んでも、治水することで勢力が保たれた州侯の謀反による万の民の死を防げるからよりましってこと?
ならば五章3斡由の台詞と同様な台詞。水害と謀反の被害の見積もりが逆なだけで。

③小松尚隆が父に逆らうのを回避したことで、小松が全滅したことを言っている?

なんにせよ尚隆の、理想主義的なだけでない、ある意味露悪的な面を表す、ままならない現実を越えてきた人ならではの台詞。

●尚隆)任せておけ…嫌なら眼を瞑って耳を塞いでいろ。

任せておけは一章1、八章4でも繰返されている。 眼を瞑って、も八章4で六太の回答に使われてる。ここは初読から引っ掛かってたところ。バディもので相棒のやることに目を瞑ってお任せにするのってあまりないと思うのですよ。なら何故尚隆はそうせよと言ったのか。理想主義的な麒麟には受け入れられない策を弄そうとしていたからなのか。
この時点では六太は受け入れてないけれど、八章4では受け入れてしまった。それは何故か。尚隆にとってどういう意味を持つか。

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