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ネタバレいっぱい海神再読第三十七回 七章7. 尚隆は何故この時は更夜を説得できなかったのか。

あらすじ:六太は更夜から怨詛ある血の気配を感じ取る。更夜は六太に自らの絶望を語る。尚隆は身元を明かし、更夜を説得しようとする。

●麒麟と血の穢れ

六太は更夜に血の臭いがまとわりついているのに気づく。六太が近づくことも出来ないほどの血の臭い、それは女官のものだったけど、殺されたのがあの女官だと気づいてた記述はないし、気づいてたら態度も違ってたろうから、誰のどんな状況での血というところまでわかるわけではないのだろう。
しかし六太は更夜に人を殺す役目を負わせたという理由で、斡由を嫌いだと言う。
更夜が妖魔と一緒に護衛官とか射士とかしてると聞いた時点で、斡由の命で戦う役目なのは受け入れてたと思うんだが、元魁や影武者の幽閉を知って斡由を否定したから受け入れられなくなったということだろうか。
ところで、読者は知ってる情報をキャラによって知ってたり知らなかったりするのが展開の鍵になるのって、ミステリではよくあるけど他ジャンルではどうなのかな。
更夜は幽閉のことを知らず、六太は囚人のことを知らない。読者はどちらも知ってるから二人も知ってるものと思いそうになる。
海神はかなりミステリ的なテクニックを駆使した話だと思うよ。

●更夜は何故斡由にそこまで献身するのか。

斡由が望むなら人殺しも気にしないという更夜。更夜は人殺しを嫌がってたのにと言う六太に動揺しながらも、斡由に従い続けるのは何故か。
更夜は斡由が清廉潔白じゃない、つまり間違っていると解っている。なのに従うのは、斡由が好きだとか恐ろしいとかいうのの他に、斡由が「同類」だったからではないか。
囚人を喰った妖魔と喰わせた更夜が普通の人から排除されるなら、更夜にそうさせた斡由だって本来排除されるべき存在だ。皆は知らない斡由の正体を自分だけは知ってる、と思ってる(実際は元魁のこととか知らないこといっぱいあるんだけども)。自分だけが知ってる、ということに魅せられてたんじゃなかろうか。
更夜は自分のやってることが間違っているとわかってる。いずれ自分を、そして斡由をも破滅に追いやるだろうことも。
六太に「斡由が死んでもいいのか」と問われて「斡由が死にたいならいいよ」と答える。更夜は斡由が心を改めることも、幸せになることも、生き延びることさえ願ってはいない。更夜と同じ妖魔の同類のまま、更夜にだけ正体を晒し、更夜にだけ守られて、更夜亡き後は破滅して死んでも構わなかったんではないか。(余談だけど中国神話にもアツユ(窫窳)という妖魔がいる。善良な天神だったが殺されて蘇ったら人喰い妖魔になってたという、善だか悪だかややこしい奴)
…いやあネガティブだなあ。我が身を捨ててひたすらに主に従う忠誠のネガティブな一面だ。更夜を追い詰めたのは斡由だけじゃない。荒廃の中で捨てられ、唯一救ってくれた妖魔と共にあることでさらに排除され(六太さえ妖魔と一緒ではだめと言った)、共に受け入れてくれた斡由にも利用され、三重に裏切られた更夜が自分を排除したものに敵意を向けてもおかしくない。
だけど…更夜は確かに斡由に利用された被害者だけど、更夜が協力したことで斡由は最も致命的な過ち、連続殺人を犯してしまったのも事実。更夜は底なし沼に踏み入っていく斡由の背中を押し続けたようなもの。斡由が行きたがったから仕方ない?斡由なんか勝手に死んだらいい?斡由なんか嫌いだから?違うよね。
更夜の心はぐちゃぐちゃしてる、斡由にも普通の人々に対しても。
更夜は人の仲間に入りたい。でも今ある自分自身(=妖魔の養い子)を捨てないからと排除される。斡由も…初めて会った時に更夜の命を救ったのは斡由。妖魔と一緒に拾って育ててくれたのも斡由。なのに自分を利用したんだから破滅すればいい。自分も一緒に破滅する。全部滅びてしまえばいいんだ、みたいな。
更夜は被虐待児なんだよね。だから斡由をなんとかして欲しかった、というのは酷なんだけど、でもいつか更夜には考えてほしい、海神のころの自分と斡由のことを。闇雲な肯定だけでも否定だけでもなく考えてほしい。更夜の陥った泥沼…好きな相手のためなら他人も自分も殺すけど、それが相手の幸いのためになるかどうかを考えられないというのは「呪い」なんだよね。自分にかかった呪いを解ききるのは自分だと思う。更夜には呪いを越えてほしいんだ。
あと、底なし沼の例えは小松尚隆と父にも当てはまる。尚隆は大人で状況が見えてたのにやっちゃったんだよね。
…更夜も一応大人か。斡由更夜は主従というより擬似親子って気がするな。

●尚隆は何故この時は更夜を説得できなかったのか

尚隆を語る前に…私は尚隆は陽子のように作中で劇的に成長したキャラだと思ってて、成長振りの素晴らしさを語るには成長前に突っ込まないといけないので、突っ込みます。あとで絶賛しますからね!
さて、尚隆はどのようにして更夜を説得しようとしたかというと、
①「俺は六太に人殺しなどさせない」と身元を明かす。
②六太を返すよう軽口を交えて頼む
③国が滅んでもいいと言う更夜に「ここはお前の国だ!」無駄だと言う六太に「ふざけるな!」
④「民のいない王に何の意味がある。国を頼むと民から託されているからこそ、俺は王でいられるのだぞ! その民が国など滅んでもいいと言う。では俺は何のためにここにおるのだ!」
⑤「生き恥曝して落ち延びたはなぜだ! 俺は一度すでに託された国を亡くした。民に殉じて死んでしまえばよかったものを、それをしなかったのは、まだ託される国があると聞いたからだ!」
⑥「俺はお前に豊かな国を渡すためだけにいるのだ」
…ここの尚隆もひたすらカッコい。台詞の美しさは六章4の小松最期の戦の前のに匹敵するし、八章4の回想と並んで尚隆自身の心理描写があったりする。では個別にみていきます。
①は八章の伏線だと思うんで、チェック。
②ここらまでは三官吏といる時の尚隆ぽい。
③再びの「ふざけるな」共通点は諦めに対する反発?
④うーむカッコいい…んだけど民に頼むと託されなければ王はやれないってこと? 民に託されるような自分でなければならないってこと?小松の戦の前のあれもそういうこと?、尚隆、なんか危なっかしくない?
⑤尚隆自身の回想も含めて、小松尚隆の傷の深さが顕になった台詞。小松を救えなかった罪悪感を抱え続ける尚隆は誠実だ。託された国とは雁。小松のかわりに雁を守る、と。しかし雁の民は小松の民じゃない。ひとり生き延びて小松よりはるかに大きな別の国の主となるって、かつてふざけるなと怒鳴りつけた小松の老爺が勧めた通りじゃないですか。尚隆がそのことに気づかなかったはずがない。そのまま素直に雁の王になりきれるものだろうか。
⑥更夜を説得する尚隆。でも更夜には通じない。更夜は妖魔の養い子だからという理由で国の方に受け入れてもらえない。それをお前の国だと言ってもそれだけじゃ足りない。どうやって妖魔ごと受け入れるのかを言わなくては。

尚隆が小松のことで自分を責める台詞を吐く。仕方がない、俺のせいではない、と六章4や八章4では言っているけれど、尚隆の中にそれと相反する気持ちもあるということ、尚隆がそれだけ誠実でかつ私が突っ込むようなことはとっくに解ってるほど聡明だってことだ。
だけど、ここの尚隆の一連の台詞は尚隆が自分の民にどうあって欲しいかであって、更夜の問題には応えてない。ここも四章1と同じく自分の言いたいことをただ言い合ってるシーンなんだよな。
あと、民に豊かな国を渡すためだけにいるんなら、なんで治水を妨害して水攻めに絶好のとこにだけ堤を造ったの???

●尚隆は何故、漉水の治水の裁可をくださなかったか

七章3で六太はこう考えていた。「斡由の言には一理がある」「州の権を取り上げておいて、九州は広すぎて目が届かない、では通らない」「不満は分かる」「漉水流域に住む者の不安も」
七章6で尚隆に再会した六太が、こういった疑問を全く持ち出さなかったのは何故だろう?
尚隆に疑問を呈してからそれまでにあったことといったら、斡由の化けの皮(元魁と影武者)が剥がれただけで、尚隆の政策への疑問は解けてない。なのに何故?
六太は尚隆と再会して明るいと感じた。それは初めて会ったまだ尚隆のことを何も知らない時にも見た光だから、麒麟だけに解る王気なんだろう。
麒麟には天意の器と個人の自我があると考えてるんだけど、尚隆を疑ったのは六太個人の自我で、王気を見たことで天意が自我を凌駕したとか?
尚隆の治水政策問題は一章から話題になってるのに、急に誰も気にしなくなってって、最終的に消えてしまうんだよな。
これは小野先生が広げた風呂敷を畳みそこねたと取るべきか、それともなんらかの狙いがあってのことと取るべきか、私は後者だと思うんだけどなー

●七章と八章の間

更夜は尚隆に六太を任せて出ていく。直ぐに官を寄越すから六太を留め置くようにと言い置いて。
逃げられないぞと脅しておいて自分だけ出てったのは、説得されることから逃げたんだろな。さて、ここで尚隆と六太、しばらくふたりきりの読者にも開示されない時間があったわけで。
直ぐ官が来るんだから大したことは出来ない。出来るのは情報交換くらい。尚隆は多分驪媚のことを尋ね六太は話したろう。さらに今さっき知ったこと、斡由が元魁と影武者の老人を幽閉してることも話したんじゃないだろうか。
父を幽閉し影武者で命令を偽造し元州を乗っ取った極悪人(更夜に囚人を始末させたことは話してない、知らないから)の斡由は屑だと六太は話したろうけど、尚隆にとってはどうだったか。
小松の戦で父に従い続けた自分を肯定してたなら、尚隆も斡由を否定したろう。父に叛いたなんてなんて屑だ、父に従った自分は正しかったと胸を張ったろう…そうなの?
だったら何故生き恥晒した、民に殉じればよかったなんて言うの? 小松を救えたかもしれない最後の機会を愚かな父に従うことで逃した自分を悔いてるからじゃないの?
もしそうだったら、尚隆の斡由観はここでがらっと変わったんじゃないだろうか。有能だがあれこれ企んでる危険な奴から、俺に出来なかったことをやった奴に。まさに180°の転換。そんなことをやってのけた斡由ってのはどんな奴なんだろうと興味を持ったんじゃないだろうか。
これを全く書いてない行間ならぬ章間でやるというのが凄い。…書いてないから私の創造じゃないかと思われるかもしれませんが、でも六太に尚隆とふたりきりになる僅かな時間があったら、驪媚と元魁と影武者のこと話すよね?話さないと不自然だよね?尚隆はたった今小松のこと思い出してたよね?
あと、同じ元魁のエピソードが六太と尚隆で全く違った意味を持ってるんじゃないかというのが凄い。これミステリの手法なんだよ。私は延主従はカプというより相棒ととってて、つまり名探偵と語り手な助手。助手は必要な情報を読者に伝えて解釈を誘導するけれど、正しく解釈出来るのは名探偵だけ。
さすが京大ミス研出身、小野先生、凄い。
再度言いますがこれは私の解釈なんで、思い過ごしかもしれないし、そう思わないかたもおられるでしょうが、そう考えないと私には八章の尚隆が理解できない。尚隆と、斡由が。
次、いよいよ八章です!

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