韓国ひとり旅 - 歴史的建築物の魅力
(このエッセイは、私の人生初めての韓国での数日間の旅の二日目を書いています。一日目とつながっているけれど、これだけで一作品として読んで頂けたら嬉しいです。)
韓国人の同僚の優しさに触れた滞在一日目を終えて、二日目は一人で観光をする予定であった。行きたい場所は朝鮮時代の形式が残るエリアー北村韓屋村と、朝鮮時代の宮殿の一つである景福宮、そして韓国のカフェ文化は素晴らしいと聞いていたので、村と宮殿近くの安國駅(Anguk 안국)周辺で、いくつか行ってみたいカフェやベーカリーをマップに登録しておいた。同僚からはたまたま祝日だから人が多いかもしれないとは聞いている。おおまかなプラン以外は全て未定である。
いつもは朝食なんて面倒で食べないのだが、異国にいると朝から何を食べようかわくわく考える。そして行ってみたかったユッケ屋さんが実は徒歩15分ということを発見し、まずはそこを目指そうとホステルを出た。朝からユッケ?!と思われるかもしれないが、生肉大好きな私のこの旅の目的は、ほぼユッケである。
朝の通りは静かであった。明洞のようないわゆる人が賑わうエリアとそんなに離れてはいないのだが、日本と比べて圧倒的に人が少なく、路面店は多く、日本の下町の商店街のようである。違いは、シャッターが日本ほど降りていないことぐらいだろうか。路面で煙草を吸っている人もいて、商業人や労働者の日常的な雰囲気がある。全く何を話しているのかわからないが、現地の方々の会話を楽しく聞きながら、小川を超え歩いていると昨日訪れた広蔵市場が現れたので、寄ってみることにした。
昨夜の賑わいほどではないが、市場は朝から生き生きとしていた。美味しそうな食べ物が既にずらりと山盛りになって並んでおり、一体いつ仕込むのだろう。気温はそこまで低くないのと、じめじめしていないからか、やはりアジア的な雑多さも充分ありつつ、他の国では感じられない清潔感があった。
ただ市場に並ぶ食べ物の量の割に歩いている人は少ない。時々、現地の方が一人や二人で朝食を食べているのを見ると、朝からキムチやトッポギといった赤くて辛そうなものを食べていて、胃が強いなと感心する。祝日だからもしかしたら今からどんどん賑わってくるのかもしれない。中心エリアは流石に人も増え、ある一店舗だけ、白人のバックパッカー風の格好をした客層でほぼ満席で、誰も座っていない店も多い中、私もそこに座りそうになる。やはり人は人を呼ぶのだろう。
ぐるりと歩いていると食べたことのない雲呑のような、丸く包まれた餃子のようなものを試してみたくなってきて、ついに勇気を出して、たまたま控えめに呼び込みをしてくれたおばちゃんのお店に座ることにした。韓国語を話せない私は、こういう時につい英語で返事をしてしまう。その雲呑のようなものを指さすと、メニュー表で値段を見せてくれ、透けて見える具が赤いものと普通のものを3つづつ取り分け、そのまま後ろにあった鍋で調理を始めた。屋台とはいえ、しっかり調理をしてくれるのにまず驚きである。各店舗に水道とガスがあるのである。5分ほど待って、出してくれたのはボウルいっぱいのスープ、上に刻み韓国海苔も乗っていて、美味しそうだが食べ切れるか心配になった。雲呑の他に、卵や千切りの野菜なども入れてくれている。食べ始めてみると、スープはしっかり満足感があるのにもかかわらず口当たりの良い優しい味付けで、するすると食べてしまう。雲呑は皮も具も、少し辛いものも辛くないものも、とても美味しく、食べ終わるのが惜しいほどで、心配していたのが嘘のように綺麗に食べ切ってしまった。今こうして思い出してみて、また食べたいほどである。飽きが来ないのにくどくない、絶妙の美味しさだったのである。Googleで検索したら、それは恐らくマンドゥ(만두/饅頭)と呼ばれるものであった。
朝食を終え、市場を歩いていると何やら高麗人参の天ぷらやらスムージーやら色々気になるものが売っている。とは言っても今は朝食を食べたばかり、立っていた観光ガイドのお兄さんに宮殿やそのエリアに行きたいと告げると、見事な英語と爽やかな笑顔で行き方を説明してくれ、地図もくれた。まずは案外歩いてすぐの、宗廟(Jongmyo Shrine 종묘)に向かうことにする。
英名にShrineとあるので、宗教的な施設かと思ってはいたが、ユネスコの世界遺産であるらしいそこは、朝鮮・韓国の歴代の国王・王妃・功臣などを祀っている祖先祭祀場というものらしい。門が現れるまでの手前の公園ー広場のような場所で、現地の約二十人ほどのおじさま方が木陰で団欒しており、私と同じタイミングで通った女性の散歩をしていた数匹の小型犬にニコニコと話しかけたり、反応していたのが可愛らしかった。
さて、幾らかの入場料を払って門をくぐるとそこは緑溢れる世界である。建物でまず気がつくのは特徴的な赤と緑の組み合わせ、そして何だかおもちゃのような、曲線が見事でどことなく可愛らしいレンガや石、木の積み重ねかたの屋根や塀の作りである。何と形容したらいいかわからないが、完璧に石材や木材が組み合わされて建てられた粛々とした厳かな歴史的建築物、という印象や威圧感は全く受けず、逆に、例えるなら粘土で作られたアニメーションの中に現れるお城のような、わざと隙を作っているような、危うさを感じさせる一歩手前で、不思議と調和し安定しているような、そんな感覚を覚えた。これはこの先の宮殿や韓屋村でも感じ続ける印象であるが、そのおおらかさと曲線がとても好ましい。こうして言葉にしようとしても表現が難しく上手く伝わるかわからないのだが、どうしても書き残しておきたかった。
幾つかの建築物の奥には小さな森があり、道があり、(ここがとても重要なのだが)トイレもとても綺麗で、手洗い用のソープも水道水もたっぷり出て、気分が良い。ふと道の途中のベンチに腰をおろして木々や鳥を眺めていた。黒と白の尾の長い、胴体自体の大きさはスリムな鳩のような鳥がいる。日本ではみた記憶がないが、今調べるとこれがカササギというらしい。彼らが割と大きな声で鳴き、低めに木々の間を飛び、数匹で斜めの幹の上をぴょんぴょんとしているのだからとても可愛らしくて、この鳥のことも旅の間ずっと目で追い続けてしまうことになった。
さて、流石に歩き続けると疲れてしまう。私は気になっていたカフェや韓屋村のエリアへ移ることに決めて、安國駅(Anguk 안국)へ向かった。最寄り駅へ歩いて約10分、地下鉄に乗り込む前に、Tea Story(티스토리)というスタンドカフェでカフェラテを注文し、その大きさに驚いたもののゆっくりとしていくことにした。やはり、東京と比べてあまり人がいない。洗練されたカフェや行き届いた交通機関と、お店の前で大量の野菜が積まれていたりという昔ながらの風景が雑居していてどこまでも魅力的である。そして珈琲もとても美味しかった。
安國駅を降りると、そこもまた不思議な雰囲気があった。ファッションがカラフルだからか、人の表情が明るくて、そんなに人混みは酷くないからか、何となく昭和感があるのだが、お洒落なカフェや塩パンベーカリーは噂以上の人気であり、おじさんから若いカップル、いかにもインスタグラムで情報を共有していそうな若いカップルまで列が長いところが殆どであった。たまたま、これまた流行りのギリシャ風ヨーグルトが食べれるというDotori Garden(도토리가든 안국점)に列が少なかったので、お庭の席にはすぐに案内してくれた。
可愛らしい緑溢れるお庭の中に建つ一軒家である。オルゴールのジブリ音楽が流れ、トトロのようなキャラクターが至る所にいるのだが、世界観の統一は見事である。流石に外なので羽虫はいたが、やはり清潔感も問題なし。最初は自分で注文しにいくのかオーダーを取りに来てくれるのかわからず戸惑ったのだが、結果お店で注文し、各自で席に持っていくスタイルであった。噂の蜂の巣が乗ったヨーグルト、どんぐり型のマドレーヌ、これまたスムーズな英語の爽やかレジ打ち青年にドリンクは?と聞かれて、グリーンスムージーを注文。韓国にしては案外値段が高いことでも有名らしいのだが、観光時はお財布の紐が緩むのが常。そして胃袋には拡大してもらわねばならない。ずっと食べ飲み続けていて流石にお腹はたぷたぷだけれど、ここから数時間歩き続けることができたのはここでの小一時間の休憩のおかげである。
次に向かったのは念願の北村韓屋村(Bukchon Hanok Village 북촌 한옥마을)ではあったが、途中で現れた文化センター(Bukchon Traditional Culture Center 북촌문화센터)も、なかなかによいスポットであった。歴史的な作りの建築物の縁側にカップルがただ座ってくつろいでいたり、写真を撮ったりしていて、とにかく可愛いのである。北村韓屋村はメインの観光客が多いエリアは一度通り過ぎてしまい、逆に観光客が少ない住宅街を先に見ることができた。ひっそりとしていて、一昔前の異国の土地に迷い込んでしまい、無意識に息を潜めるような非日常感をしばし味わう。坂を登ると瓦ぶきの家屋の屋根が一望できる場所があり、やはり曲線の調和が見事である。メインの通りは流石に観光客が溢れていたが、その分お土産屋さんを眺めたり、祝日というのもあるのかチマチョゴリ等の民族衣装を来た人もちらほらといて、楽しく過ごすことができた。
さてそろそろ景福宮(Gyeongbokgung Palace 경복궁)に向かおうかとも思ったが、徒歩圏内に昌徳宮(Changdeokgung 창덕궁)と昌慶宮(Changgyeonggung Palace)があったので、そちらに向かうことにする。その途中でなんだか見覚えのあるような電子サインを見つけてしまった。直島のベネッセミュージアムで見た、ネオン作品(ブルース・ナウマン「100生きて死ね」1984年)を彷彿とさせたネオンサイン。公式サイトによると、ARARIO 株式会社、Chang-il KIM氏の言葉のようで、下記のメッセージをちらっと見たら、もう私自身の芸術への憧れや切望と、同時に経済的な安定や成功を求めるコンプレックスに突き刺さり、宮殿に間に合わなくなる不安を感じつつも入ることに決めた。
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IN BUILDING A BUSINESS I CAME ACROSS FINANCIAL DIFFICULTIES WITHOUT MONEY TO CONTINUE.
I FELT THE TERROR OF DEATH TO OVERCOME SUCH FEELINGS.
I WOULD ENTER THE BEAUTIFUL WORLD OF DREAMS THOSE THAT ARE EXPRESSED IN MY ART.
私はビジネスをしているなかで、度々仕事を続けられないほど経済的な困難にぶつかりました。時には、恐怖に近い死の感情に囚われ身動きがとれなくなったこともありました。しかし、私はこれから芸術として表れる美しい夢の世界に進入しようと思います。
Chang-il KIM
ARARIO Corporation
引用 https://www.arariomuseum.org/about.php
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これが本当に素晴らしい選択だった。まずは建物がこれでもかというほどに魅力的である。恐らく古い建築物をそのまま使っているのだが、コンクリートの壁や鉄筋の階段、そして艶のあるタイル張りのお手洗いなど、秘密基地やアジトのような雰囲気がひっそりとした興奮を与えてくれる。そして並ぶアート作品の数々も素晴らしい。背筋がすーっと冷えるような穏やかな気味の悪さと強いメッセージ性のある作品が多く、とにかくエンターテイニング。飽きが来ない、心がひくつくような小さな衝撃の連続を充分楽しむことができた。
同じ建物に続くカフェはこれまたレトロで居心地の良い絶妙な異国感が楽しい雰囲気で、お洒落な若いカップルが多く、もし時間があればここでもゆっくりしたいところであった。しかし、この美術館で一時間以上を使ってしまったので、休憩はせずに宮殿に向かうことにする。
美術館から歩いてすぐのところに、昌徳宮(Changdeokgung 창덕궁)はあった。ここが驚くほど楽しかったのである。歩き進んで行ってまず気がつくのは、敷地内の建物と木々が完璧なバランスで共生していることだった。敷地内にはいくつもの門があり、石畳の道や白い砂の広場が広がる。言葉で説明するのがとても難しいのだが、王宮自体の作りはお寺や昔の日本家屋に少し似ていて、基本的に敷地内は塀もしくは建物の壁の中でも土足のまま建移動できる場所と、柱や石材の上の建物内の廊下もしくは繋がったお部屋部分に別れている。だから靴のままで王宮内をどんどん進んでいくことができ、まるでゲーム内の迷路に迷い込んだような気分になったのである。そして石材で段差が作られているところも、表面が石材で埋められているのではなく土が残されていて、そこから木々が生えている様子がとてももの珍しく、なんてユニークで素敵な設計デザインなんだろうと感嘆させられた。植物が自然に見えるように植えられていて、完璧なバランスで王宮に魅力を添えていて、まるで理想郷である。
ふと周りに人がいないところなどに辿り着くと、まるで一昔前の王宮から急に人がいなくなってしまった状態のところへ、時空を超えて迷い込んでしまったようにすら感じる。生命や生活の気配はないけれど、かつてどんなに人がいただろうかと、こんな作りであれば仕える人は部屋を覚えるのが大変だったに違いない、とか想像がむくむく膨らんできて、なんだかドラマティックでノスタルジックな気分を覚えた。子供時代に来ていたら、異国の地に足を踏み入れる海賊か旅人か、はたまたその王宮のお姫様か(恐らく姫は土足の場所は移動しない気がするのだけど)、もしくは秘密基地を見つけてしまった気分になっていたに違いない。祝日だからか、チマチョゴリを来た女性たちや、子供達も多くて、それでも日本の観光地のようにごみごみとはしていなくて、ちょうど日が暮れる前の空も綺麗で、勝手に一人で子供帰りができたような、とても素敵な経験ができた。
もう閉館時間近かったからか、秘苑(Changdeokgung Secret Garden)と呼ばれるお庭のチケットは売り切れていたけれど、お隣の昌慶宮(Changgyeonggung Palace 창경궁)も見ることができ、大満足であった。有難いことに敷地内にも座れる場所が沢山あって、朝も見た尾の長い鳥たち(多分カササギ)が遊ぶのを眺めながら、あっという間に時が経ったのである。そのうち虎が吠えるようなごろごろとした雷が鳴ったが、雨に降られた記憶はない。夜にはたまたま同じ時期にソウルにいたチームのマネージャーと、昨日も会った同僚の一人と約束があった為、約束の時間まで王宮の外の石のベンチのような場所で周りのカップルに混じって一人で足を伸ばして休憩をした。
最後に向かったのは弘大通りと言う韓国で有名な繁華街。バーやクラブも有名なようだが、一人旅だし出会いを求めているわけでもないので特に調べなかった。たまたま何度もソウルを訪れているタイ人のマネージャーが、前に行ったお店でタコの足が食べたいというので、そこで集まることになったのだ。お店の名前はプルトッケビチュクミ(Buldokkaebi Small Octopus 불도깨비 쭈꾸미)だったので恐らくその料理の名前か、もしくはイイダコのことをチュクミというのだろうけれど、これがまたとてもとても美味しかった。癖になる甘辛さなのである。韓国料理はずるい。
食べやすく切られたイイダコの足に豚肉と海老を追加して鉄板の上で赤いタレに絡めながら火が通るのを待ち、大根の薄切りの漬物や、エゴマで巻いて頂くのである。そして、一緒に出てきた(同僚が注文したのかもしれない)、みじん切りのたくあん、トビコと韓国海苔、マヨネーズがあえられたご飯も食べるのをやめられないほど美味しくて、最後にもう一ボウル分頼んで煮詰まったタレと混ぜて鉄板の上で焼いたのも最高だった。
弘大通りは派手で楽しく、お土産や服は全て可愛く(日本のキャラクターグッズも多いのだが、そのキャラクターたちが韓国で垢抜け可愛さを極めているような印象)、ただ歩いているだけでも楽しかった。同僚の提案で写真を撮ったり(妙な加工のない、光だけで盛れるプリクラのようなところ)、射的のようなバッティングセンターのようなところで銃を撃ってみたり(同僚は男の子なので兵役を終えており、銃に詳しかったのでびっくりしたのと、照準があれば訓練もなしに簡単に狙ったところに撃てるのだなと恐怖を覚え)充実した夜を過ごせた。
ところで何の祝日なの?と聞いたら、韓国人の同僚は高校からアメリカだったからあまり韓国の祝日を意識してなくてわからないと答えたので、調べてみると顕忠日と呼ばれる朝鮮戦争による大韓民国の殉国者と戦没将兵を追悼する記念日だったらしい。同僚は知らないと答えたけれど、兵役があり、恐らく平和ボケしている日本人よりずっと日常と戦争の感覚が近いのだろうと考えてしまう。
韓国人の同僚は私と同い年生まれで数ヶ月年上なだけで、マネージャーに至っては私たちより10以上も上なのだが、イイダコもプリクラも銃も私とマネージャーに一切支払いをさせてくれず全て彼が奢ってくれた。これは日本にきてくれた時に歓迎せねばならぬと思いつつ、改めて韓国人の仲間意識の高さ、ホスピタリティ精神の高さに感動したのである。