活動レポート「202108南方貨物線」
■南方貨物線について概要
南方貨物線は東海道本線大府駅を起点に、笠寺駅まで東海道本線と並行し、笠寺駅を名古屋方向へ少し進んだところで西へ分岐、そのまま南郊公園付近まで東海道新幹線に沿う形で伸び、そこから東海道新幹線とも分岐し、真っすぐ西へ進み、あおなみ線(西名古屋港線)に合流する予定だった未成貨物線(東海道本線支線)のことを言います。
1967年に着工し、高架橋の建設等が進められ、あとは線路を敷設するというところまで工事が進捗していたものの、騒音などへの懸念による沿線住民による反対運動、また、国鉄の財政難もあり、完成することはありませんでした。
現状(2021年現在)は一部で高架橋の解体が進み、住宅や駐車場、資材置き場等への転用が為されている部分もありますが、未だ至るところで建設途中の状態のままとなっている高架橋が残っています。
■南方貨物線建設の目的
南方貨物線が計画された理由は、東海道本線の運行容量の逼迫にあります。旅客列車と比較し、速度の遅い貨物列車を走らせるバイパス線として南方貨物線が計画されました。
同様な類似例として大阪の北方貨物線(東海道本線支線)が挙げられるでしょう。北方貨物線は吹田貨物ターミナル駅から伸び、新大阪駅手前で東海道本線から分岐し、南方貨物線と同様に新幹線(山陽新幹線)に沿う形で塚本信号場から東海道本線に合流する路線です。大阪都心部を迂回する貨物列車用のバイパス路線となっています。
■笠寺駅から歩く
南方貨物線は実際の起点は大府駅であるが、大府から笠寺の間は東海道本線との並走区間となるので、今回の巡検では東海道本線と分岐する笠寺駅近辺からスタートしました。
日本ガイシホール(名古屋市総合体育館)のある笠寺駅から東海道本線の西側を沿う道を進むと、東海道本線の東側に並列していた東海道新幹線の高架が東海道本線の上を跨ぎ、北西方向へ分岐していきます。この東海道新幹線との交差部分で、東海道本線の線路用地内に一段高い盛り土が為されている部分がありますが、これは南方貨物線用の盛り土です。南方貨物線は荒浜町一丁目付近で東海道本線と分岐し、やはり、東海道新幹線と同様に北西方向に進んでいきます。
東海道本線との分岐部分は高架で、建設を途中で止められた未成の高架が残存しています。
山崎川を渡ってもしばらく南方貨物線の未成高架は続きていきます。緑地に沿うような形で緩い弧を描く未成高架の上にはソーラーパネルが設置されているのが確認できます。
程なく、先に東海道本線から分岐していた東海道新幹線に合流し、ここからしばらくは東海道新幹線に沿って南方貨物線は進んでいきます。
昭和の時代に建設が中断された未成の南方貨物線は平成、令和と時代が進むにつれて高架が撤去され、その遺構が少しずつではありますが、姿を消しつつあります。しかしながら、未だ残る高架は様々な活用が為されており、先ほどのようにソーラーパネルが設置されていたり、資材置き場や倉庫が高架に増築(?)する形で建てられていたりします。
一部の未成高架には銘板が確認できるものがあります。私が確認したものは竣工・着工がともに昭和40年代中頃(1970年前後)の年月が記載されていました。
南方貨物線は全線に渡って高架での建設が進められてきました。東海道新幹線に沿う部分でも未成高架が並んでいますが、高規格で高さも高い新幹線高架のすぐ横に並ぶ南方貨物線の高架もかなり高いところ通されている部分があります。
港区の南郊公園東端辺りで南方貨物線はついに東海道新幹線と袂を分かちます。そのまま北西方面へ名駅方面へ進む東海道新幹線に対し、南方貨物線は進路を真っすぐ西へ変え、南郊公園に沿う形で中川運河の方向へ進んでいきます。
東海道新幹線から離れ、西へ進路を変えて少し進むと、名古屋市道江川線・名古屋高速4号東海線と直角交差し、南方貨物線はさらに西へ進みます。ここでも、傍らには南郊公園が並行しています。
南方貨物線の南隣にあった団地か途切れたところで、名古屋港線と突き当たります。名古屋港線は山王信号場と名古屋港駅を結ぶ貨物線で、こちらは南方貨物線とは違って現役の貨物線です。建設計画では南方貨物線が名古屋港線を跨ぐ形で交差し、交差部分の西側で、南方貨物線から名古屋港線名古屋港駅方面への連絡線が設けられる予定でした。
名古屋港線と交差してからも、南方貨物線は依然として進路を西へ行き、中川運河を渡る前後の辺りで、未成高架が太くなっていることが確認できます。笠寺駅から複線幅で設けられている未成高架が、この辺りでは3線分ほどの幅が確保されています。名古屋港線との連絡線が計画されていたことを考えると、この辺り(名古屋港線交差部分~中島駅)は線路容量を増やす必要があるという判断が為されていたと考えられます。
東海道新幹線と分かれてからずっと南方貨物線の脇を並行する南郊公園に公園の地図が設置されていました。少し古めの地図と推察されますが、そこには南方貨物線の存在も記載されていました。未だ建設計画が進捗していた当時の地図なのかもしれません。
愛知県武道館の脇を抜け、環状線を跨ぎ、少し西へ進むと、いよいよ南方貨物線は西名古屋港線(あおなみ線)に合流するべく、北方向へ弧を描き始めます。
実際に、西名古屋港線(あおなみ線)に合流していく部分は中部鋼板製鋼工場の敷地内になるので確認することは難しいです。あおなみ線の高架下から隙間を覗くことで、かろうじて合流部分の未成高架を垣間見ることができます。
あおなみ線で言うところの中島駅と名古屋競馬場駅間で南方貨物線は西名古屋港線(あおなみ線)に合流し、その未成区間は軌跡を終えます。
ちょうどこの辺りは前述した中部鋼板の製鋼工場があり、西名古屋港線(あおなみ線)からこの製鋼工場へ入る専用線もかつては敷設されていました。南方貨物線との合流部より若干北方向の部分から製鋼工場の北側敷地端を縁取るかたちで線路が敷設されていました。廃止された年は定かではありませんが、1990年の配線図からは既に姿を消していました。今は遊歩道として緑地化されています。
■まとめ ~現地調査を終えて~
名古屋という都市圏の中に残る未成高架の存在は、以外にも都市景観の中に溶け込んでいるように感じました。周囲を行く人々は、その未成高架の生まれた経緯を知ってか知らずか、その存在を不思議なもの(異質なもの)とは捉えずに認識しているように感じます。
その要因としてひとつ挙げられるのは、南方貨物線の未成高架の建設時期から約50年(2021年現在)が経過していること。生まれたときから(引っ越してきたときから)その未成高架が存在しているという人も多くいるでしょう。「最初からそこにあるもの」という認識である以上、それが自然の景色に写るのは何らおかしなことではありません。
もうひとつ挙げられるのは、その未成高架が有効に活用されていること。更地にせず、未成高架そのものを「土台」として事務所や倉庫に転用したり、壁面に広告を塗装したり、未成高架を上手く活かした活用が為されているが故に、それが都市空間に溶け込みやすく作用していると言えるでしょう。未成高架が「特異な存在」にならないような上手な活用が為されているということです(もっとも、「特異な存在」にならないように意図しているかどうかは別ですが)。
こうした事例は日本各地に見受けられます。それが気になる存在として目立っていないのは、それだけ上手な活用が為されているからと言えます。あなたが日頃生活しているところにも、もしかしたらこうした遺構が溶け込んでいるかもしれません。
近畿交通民俗学研究会
活動日 2021年8月22日
執筆日 2021年9月11日
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