めがね越しの空
「私の目が悪くなるはずはない」
確固たる証拠もなしに、子供の頃の私はそう思っていた。大して高くもない鼻に引っかかる眼鏡などない、使える眼鏡がないのだから目が悪くなるはずはない、と本気で信じていた。
小学生ともなると、クラスに一人や二人、眼鏡っ子達がいるにはいた。でも注意深く観察していると、彼らは間違いなく眼鏡がずり落ちそうもない立派な鼻をしていた。そして勉強が良くできる秀才タイプで、眼鏡がこれまたよく似合っていた。
私はといえば、お遊びで父の眼鏡をかけてはみるものの、ちっとも似合わない。(今思えば父親の眼鏡だから無理もない話だが。)その上、どう頑張っても眼鏡がずり落ちる。
その頃の私の視力は常に左右ともに1.5だったので、強い近視のある父の眼鏡のせいで視界が歪む。そして悪戯がバレると必ず父に叱られた。
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そんな私にも眼鏡を使わなければならない時期がやって来た。あれは高1の時。学校の視力検査で見事に引っ掛かった。
早速母親と眼鏡屋さんに行って簡単に視力検査を受けて、人生初の眼鏡を選び買って貰った。なんの変哲もない銀縁の眼鏡。
当時、すでに大江千里さんやDr.スランプのアラレちゃん風の「ボストン型」のオシャレな眼鏡をかけているクラスメイトがチラホラいたが、とにかく私はオーソドックスな銀縁の眼鏡をファースト眼鏡として選んだ。
眼鏡を手に入れたと言ってもそれほど視力が悪かったわけではなくて、授業中に見えなければかける程度。それ以外は裸眼で充分に過ごすことが出来て、特に不自由も感じていなかった。そんな日々が社会人になっても数年続いていた。
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あれは20代半ばの頃だったろうか。仕事を終えて自宅近くを歩いていた時、暗闇の中でゴミ袋を持った婦人がこちらに向かって来るのが見えた。
きっと知り合いなのだろうけれど、いくら目を細めてみても、肝心の顔がぼんやり霞んでハッキリとは見えない。気付かぬうちに視力が相当悪化してしまったらしい。私はちょっと焦った。
顔が見えないからと挨拶もせずにご近所さんに不義理をするわけにはいかない。私は強硬手段に出ることにした。
「こんばんは!」
誰だか分からない相手に向かって、私はとびっきりの笑顔で感じよく挨拶をした。相手からもそれ相応の返事がある...はずだった。
「あんた、何言ってるの⁉︎」
何と挨拶をした相手は母だった。。自分の母親の顔を見分けることもできないほど視力が低下していることを私は初めて思い知った。
でも、こんな事態に陥っても、眼鏡を日常的に使おうという気にはならなかった。とにかく眼鏡が似合わない。私は、迷わずコンタクトレンズを作ることにした。
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それからコンタクトレンズを愛用すること30年近く、これと言って大きな問題も起こらず快適だった。
ところが4ヶ月前に始まったこのコロナ騒動で、長く続いたコンタクトレンズ生活を今は中断している。外出した後にコンタクトを外したり目を洗浄したり、何かと面倒に思うようになったからだ。眼鏡をかけるだけで何となく安心感もある。
今の私の視力は複雑だ。高校生の時のような近視だけではなく、ローガンもある。ところがコンタクトレンズには少し入っていたローガン用の度は手持ちの眼鏡には入っていない。手元を見る作業でいちいち眼鏡を外すことになる。そして間違いなく眼鏡を探す。。
大江千里さんが食事中のテーブルに眼鏡を置かれているが、今の私は全く同じことしている。
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最近、み・カミーノさんのnoteで暫くご無沙汰していたドリカムの曲を懐かしく思い出す機会があった。
み・カミーノさんは今は封印しているドリカムの曲を、7月7日の七夕の日だけ解禁してヘッドホンで聴くそう。
「普段は記憶の引き出しの奥の方にしまい込んで鍵をかけている思い出」がその時聴いていた曲とともに甦る。その時の感情を引き連れてくる。
カミーノさんの甘く切ないお話を読みながら、私の中のベスト オブ ドリカムは何かを考えた。
それは『眼鏡越しの空』。(この動画には一番しかないのが非常に残念。)
この曲が入ったアルバムThe Swinging Starは私がこちらに来る少し前にリリースされたのだが、この曲を聴くと必ず初めての眼鏡を作った高校生の頃を思い出す。
図書館で借りた 空の写真集
カードに 強くてきれいな
あなたの名前がある
高校生の時の放課後の図書室。たまたま手にした本の図書カードにその当時の「憧れの君」の名前があったことを思い出すのだ。そういえば憧れの君も時々「眼鏡男子」だったな。。
ドリカムのこの曲が恋心を歌ったものかはハッキリとは分からない。でもこの曲を聴くと今でも胸がキュンとなる。
あれから35年以上の年が経っても私の憧れの君は「眼鏡男子」。そのお方については、いずれどなたかが語って下さらないかと期待している。。
*ビスコさんはめがね男子愛好会の会員を随時募集されています。