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Beauty Japan日本大会 Independence〜鎧を脱ぐ〜

「日本大会特別出場枠」
これが私のエリア大会での評価でした。

"グランプリでもない私が、日本大会に行ってもいいのだろうか…行くならグランプリをとって行きたかった"

これがエリア大会終了時の私の気持ちでした。

大きなチャンスを頂けているのに、前向きになれなかった。行きたくても行けない仲間もいるのに。

自分を変えたくて、出場を決めたBeauty Japan

次があるなら

次こそは必ずグランプリをとる!!

2ndが終わるまで、Beauty Japanに出場した目的が
グランプリをとることだけに変わっていました。

「Beauty Japanは通過点」

Beauty Japanに出場し、今でも運営として関わって下さる先輩たち、ファイナリストたちが口を揃えて言う言葉です。

私には、理解出来なかった。

グランプリ以外の未来が見えていなかった。

それに気がついたのは2ndインスペの講義で

「あなたの使命は?やりたいことは?」

と、問われた時。

次々にあがるファイナリストたちの手を見つめながら、私は手をあげられなかった。

私の使命は?

いつの間にか勝つことだけにこだわって、自分がなんのために、ここにいるのかが分からなくなっていました。

恥ずかしかった

なんのために?

掲げている使命はあるのに

それが出てこなかった。うまく言葉がまとまらなくて。

自分を見つめ直すことから始まった、2nd終了後。


"子どもたちに、たった1つでも、好きなものを見つける大切さを伝える"
なぜこの活動を初めたの?

なぜBeauty Japanに出場を決めたの?

どうしてグランプリをとりたいの?

なんで変わりたいの?


ずっと、人を羨んでばかりの自分が嫌だった。

誰かに認められる人になりたかった

いつも自信がなく

かっこいい人になりたかった

強い人になりたかった


卑屈なところを全て覆い隠すことで、強く見せようとばかり考えて、いつしか涙も出なくなっていました。

どんなに周りの人が、涙を流す話を聞いたとしても。

今までのことを全部振り返り、やっと弱い自分を鎧の中に閉じ込めて、出さないようにしていたことに気がつきました。

バレたくないから、本当は人が好きなのに、人見知りのふりをして、真剣に関わろうとしていなかった。

言葉が上手じゃないことを気にして、あたりさわりのない言葉で逃げ続けていた。

人にどう思われているのか、怖かった。

自分勝手で失礼な奴。
強く賢くみせることに依存していただけ。

もう、出てきてもいいんだよ?

インスペや人との関わりの中で、やっと鎧を脱ぐ覚悟がきまりました。

不思議と涙が沢山溢れてきて、今までずっと仕舞い込んでいたものが、体中から抜けていくのが分かりました。

沢山泣いた次の日の朝、目が見開いて

世界が明るくなって見えました。

弱くても強がりでもいい、卑屈でもいい、

私は私を精一杯生きよう。

私の思うIndependenceとは、精神的な自立と芯。

自分の全てを受け入れた先の、自分を愛し認める心。

決して何かに依存することのない、安定した精神性。

使命を全うすることのできる力は、ここから生まれるのだと思う。

鎧を脱いでやっと分かった

私の使命。
見えたビジョン。

"私はモノづくりを通してお母さんを笑顔にする"

私が救い出したいのは

"お母さん"

"息子と死のう"から

"息子と生きよう"


そう思えたのは、息子との楽しかったモノづくりの思い出。

そして、手を差し伸べてくれた人がいたから。

私に、息子とともに生きる力を与えてくれた
モノづくり。

モノづくりを通して、日本全国のお母さんに笑顔を届ける。

次は、私が助けを求めているお母さんたちの支えになる。

もう見失うことはありません。

「Beauty Japanは通過点」

やっとわかりました。

Beauty Japanを通して、私は子育てに悩む日本全国のお母さんのもとへいきます。




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