終戦記念日に寄せて-予科練の父を想う-
いま、NHKスペシャルで一億特攻への道という番組が放送されている。
最初のアメリカ海軍の空母への特攻は志願して予科練に入隊した若い予科練生だった。
昭和四年生まれの私の父も海軍飛行予科練習生、いわゆる予科練生であった。当時、「若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨」と謳われ、予科練に憧れ志願した少年も多かったそうだ。
3年前に92歳で亡くなった私の父は、寡黙でほとんど戦争の話はしなかった。ただ、一冊だけ戦時中の写真集みたいなものが本棚にあって、衝撃的に何度も見返した記憶はある。
それでももうずいぶん前に、父と酒を酌み交わしながら話した記憶では、戦闘機に乗って飛行練習をしていて、いざ出陣という直前に終戦になったと話していた。
「天皇陛下万歳」
これが若者の、祖国を守るために命を賭した使命だったのか。
「お母さん」
祖国と家族を守るために尊い命を捧げた神鷲たちに合掌