よそからの「知識」で身を固めることは、決して頭を使って何かを生み出す人には及ばない
昨日のガッカリを受けつつ、なぜあのような理不尽な話ができる人間になってしまうのかを考えていたところ、偶然Yahoo!で『婦人公論』の記事に出会うことができました。
以下にリンクを貼っておきます。
人生100年時代、定年後に本当にコワイのは「知的格差」だ
https://fujinkoron.jp/articles/-/3939?display=full
本の概要をまとめたこちらの記事から、よそからの「知識」で身を固めることは、決して頭を使って何かを生み出す人には及ばないというふうに、私は解釈させていただきました。
「知らないこと」を捕まえて、自身の知識をひけらかすような行動を、冷めた目で見てしまう私の根底には、無意識で「ただの知識」と「考えて生み出したもの」という境界線を、はっきりと見出していたのだと気付かされました。
自分でも判然としていなかったことを、記事から気づかされるとは、なかなか面白い経験です。
「そんなの知ってる」と、よく口にしているのを目にするのですが、知っているにもレベルがある上に、知ったことをどう仕事に生かして実践しているかが見えないと、納得感は抱かない(または抱きにくい)ということですね。
結果的に口先だけの人認定されてしまうわけです。
反面教師で、そうはならないようにしないとですね。
編集の仕事は何かと何かをつないで新しい価値を提案すること。きちんとこの仕事をやっていたら、老後も知的に過ごせるんだと分かって良かったです。