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とりあえずにんじんの大袋を手に入れてから読む物語。

にんじんは、ごくごくありふれた野菜だけれど、世界中のどこでも(たいてい)手に入るので、どんなレシピの中のどんな野菜でも、私はとりあえずにんじんで代用してみることにしている(そしてあまり後悔することはない)。だから私はいつでもとりあえず、にんじんを買う。ところが現在のコロナ禍の品薄で(ゆきつけのスーパーマーケットでは)もうずっとにんじんが欠品中、そろそろ心の動揺が隠せなくなってきた。

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kdさんのごぼうのきんぴら、ごぼう抜き

「ごぼうのきんぴらは、ピーラーでごく薄くひらひらとむいたのがいい。」きっぱりとした口調で、はなえちゃんがそう綴る。kdさん、と言った方が私の脳内には馴染みがいいけれど。彼女とは実際に会ったことはまだない。オランダのこの海辺の街の昼と、高層建築の建ち並ぶ東京の夜、私たちの関係はいつもこんなふうに時差と距離がある。「味付けは、醤油だけ。ごま油でさっと炒めたごぼうとにんじんに、さっと醤油を絡める。砂糖を入れなくても、人参だけでほのかに甘いから。」大学生の女の子に、きんぴらごぼう作りに関する一家言があるとはと私は驚愕した。一人暮らしのこぢんまりとした部屋で、彼女は毎日丁寧に食事を作り、自ら厳選した北欧風のすっきりしたインテリアに囲まれ、春の山羊みたいに山と積んだ書物と映画を咀嚼する。

はなえちゃんのインスタグラムを、とても久しぶりに開いたら、小さい男の子が何やらおもちゃの線路を組み立てていた、そのにっこりと柔和で甘い笑顔は、このシャッターを押している母、はなえちゃんに向けられたものなのだろう。

バクーの私の台所で16年ぶりに作る、お醤油だけの思い出のきんぴらは、ごぼうがないのでにんじんだけ。ピーラーではなくて、細く細く針のように千切りにするのが私流で。多めのごま油でさっと炒めて(これがコクになる)、ちゃっと鍋肌に醤油、それだけ。よい香り。

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陽子さんの、にんじんのマリネ

ピーラーでひらひらとむいたにんじんは、私としては実はこちらのレシピを推したい。

陽子さんのおうちは、伝統の香りに満ちた運河の巡るうつくしい古都にあって(かのフェルメールの生まれ過ごした街)、アンティークのしっとりとした深いマホガニー色の家具が調えられ、陽子さんと大学教授のご主人とで集めた、品のいいアンティークの品々が彩っている。リビングの向こうは裏庭に続いていて、夏からはたくさんの薔薇が咲く。大きな窓から、かわいい猫脚のゴブラン織りの寝椅子に座って、私はその庭を眺めるのが好きだった。

陽子さんは、魔法みたいにきれいなお菓子をたくさん作る。ふわふわとした抹茶のシフォンケーキや、オランダらしい林檎のパイや、こっくりとしたきつね色のチーズケーキ。その都度、景色や季節にあった茶器を丁寧に選んでサーブされるお茶の時間は、少しだけ時間が止まったみたい。

「お菓子作りは好きなんだけど、お料理はうちのひとが作ってくれる方が好き」と言って陽子さんはにっこりする。私は彼女の品のいい話し方と、柔らかだけどちょっと少女みたいな甘いトーンを愛している。キッチンでは、研究室から戻った旦那さまが、エプロンを着けてコーヒー豆を挽いている音がする。今でも脳裏に浮かべることができる、何度も一緒に過ごした午後の光景。そんな陽子さんが、とてもシンプルなんだけど、と教えてくれたにんじんのマリネは、私はもう38人ぐらいに伝道した奇跡のレシピ(と私は思う)。

にんじんは皮をむいて、ピーラーで(そのまま皮をむく要領で)薄くむいてゆく。(芯の方でむけなくなったものは、後日ポタージュに使う)。塩を振って、少し置いてしんなりとしたら、りんご酢と黒胡椒(ぴりっと味が決まる)を振ってできあがり。騙されたと思って、大きなコンテナいっぱいに作ってみて。お漬物代わりに味噌汁の隣でも、焼いた肉の付け合せでも、ワインのつまみにちょっと小鉢で出しても、魔法みたいにすぐに無くなるから。

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(想像上の)アルマの、にんじんのサンボル

アルマと出会ったのは、ロンドンで学生をしていた頃、彼女が私の友人の代打で来てくれた映画の試写会だった(何の映画を観たのかは忘れてしまった)。アルマ、というのは仮名で本当の名前や家族のことは伏せて暮らしていると聞いたのは、知り合ってずいぶん経ってからだった。艶のある褐色の肌に漆黒の瞳、そして目の醒めるような金の髪、これナチュラルなのよ、と言って彼女は笑う。私の家系には時々いるの、と。アルマの父は社会運動家で消息が不明になってもう八年だと言っていた。母と妹は死んだの、とだけ短く言った。ただ、”Our tigers”、そう口にする時、彼女は背筋をのばしてまっすぐ前を見つめる。

彼女の故郷の食事がいかにおいしいかについては、何度も何度も聞かせてくれたけれど、ついに一度も彼女がキッチンに立ってくれたことはなかった。私たちはミルクの入った紅茶と、ビスケットばかりを齧って、何時間も話し込んだ。ある時ふたりで茹でた(だけの)米を食べていて、私はお茶漬けの素をかけて退屈そうに匙で掬い、彼女は青唐辛子とココナッツ、それにライムをぎゅっと絞って食べていた。なんだか懐かしい味、とアルマが言った。

にんじんは、細い千切り(スライサーなどを使ってもよい)にして、塩をまぶしてしんなりさせておく。玉葱を薄切りにする。にんじんがしんなりしたら、玉葱と乾燥ココナッツ(細かく細切りになっているもの)をたっぷりと加え、みじん切りのグリーンチリ、ライム汁を好きなだけ加える。これはご飯に添えて食べてもおいしい。カレーのお供でも、肉じゃがの隣でも。

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ばあちゃんのにんじんの子あえ

ばあちゃんの台所、は海辺の街、釧路のあの庭に面した大きな窓のあるあの場所を思い出す。大きな真鱈の卵と、拍子切りの大根とこんにゃくを、薄味のほんのり甘めの出汁で炊くそのおかずが、子どもの私の気に入りだった。ばあちゃんと全くおんなじ様に、娘であるママも作る。丁寧なレシピを教えてくれたのは、母の方だ。

残念ながら、生の真鱈の子は手に入らないけれど、遠い異国の空の下で私も故郷の味をこしらえる。ロシア製の塩蔵の缶詰を使うのが、私らしいといえば私らしい。そしてもう親しいひとは誰も、あの街に住んでいないけれども。海の見える高台には、父と祖父母が眠るお墓がある。

にんじんは拍子切りにする。だし汁に醤油とみりんと酒で、少し甘く薄味に味付けをして、鱈子を加えにんじんが柔らかくなるまで煮込む。缶詰の塩蔵鱈子の場合は、醤油の量をさらに少なめに。

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岡田環/Tamaki Okada
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