かつての遊郭へ〜関西編〜
4月に関西へ行く機会があったので、折角だからと遊郭跡地を訪問した。
今回訪れたのは下記2ヶ所。
いずれも京都市内にあり、いまは住宅地となっている。
①五条楽園
最寄りは京阪本線・清水五条駅。
しかしそこにかつて遊郭があったことを知らなければ、「京都らしい歴史的建築物がたまにあるな」くらいにしか思わないだろう。それくらい辺りは閑静な住宅街へ変貌を遂げている。
代わりに、と言っては何だが、外国人向けと思われるゲストハウスが立ち並ぶも、この状況下では外国人どころか観光客など皆無であった。
戦前は「七条新地」という名で繁栄していたというこの場所は、比較的リーズナブルな、いわゆる庶民向けの花街であったようだ。戦後赤線地帯となってからは五条楽園と名を変え、いわゆる飛田新地と同じ形態の店が立ち並ぶ「お茶屋街」であった。
そんな街に転機が訪れたのは2010年。売春防止法違反で逮捕者が出て、関連業者は一斉休業を余儀なくされた。そのまま営業再開の見通しも立たず、かつての遊郭は姿を消した。
あとに残ったのは、当時を思い出させる僅かな建築物のみだ。しかしそれらも、事情を知らなければただの歴史的建築物だ。
②島原遊郭
続いて、市内を西に向かい、島原遊郭へ。
最寄り駅はJR・梅小路京都西駅だ。
五条楽園とは一転、こちらにはかなり遊郭時代の名残がある。
建築物はかなりの数残っており、ご丁寧に当時の様子を解説する看板まで立てられている。
ここ島原遊郭は高級花街であり、客も武士や富裕層が多かったようだ。かの新撰組もここを訪れていたという。そういう背景もあってか、ただの「遊郭」というよりは、詩歌や書道、唄などの文化が栄えた街としての色合いを強く感じた。
まず、遊郭の入り口とも言える島原大門が立派に残っている。門のみでなく、傍に見返り柳まである。遊廓を後にする客が、この柳の近くで名残惜しそうに振り返ったとされる。同じような柳が東京・吉原にもあった。そしてこれも遊廓地帯の名残りか、この門に向かう道は曲がりくねっている。登楼の様子が外から見えないように、わざとそうなっているという。
輪違屋は現在も営業を続けているお茶屋だ。表札の位置に書かれている「観覧謝絶」というのは「一見さんお断り」という意味である。中の様子は伺えないが、外から見るだけでも充分雰囲気が伝わってくる。
角屋は揚屋建築の代表的な遺構だ。客は揚屋に遊女を呼んで遊んでいた。国の重要文化財にも指定されているこの建物は「角屋もてなしの美術館」として一般公開もされている。こちらも圧巻の建築だ。
かつての業態を引き継ぎ、現代も栄える東京・吉原、当時の名残が建築物に残る京都・島原、そしてそこに遊郭があったことすら忘れられている京都・五条。こうして歴史は過去に埋もれていくのか、と思うと寂しさを感じずにはいられない。