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「アジア人だから写真を」悪気がなければ差別でない?|フロリダ留学記
フロリダに留学してから2ヶ月ほど経った時のこと。その日は韓国人の友人らと一緒に、キャンパスからバスで2-3時間ほど離れた街、パナマシティビーチ(通称PCB)に遊びに来ていた。
現地の友達から「PCBのビーチはアメリカで一番綺麗ってどこかのランキングにノミネートされてるんだよ!!」と信憑性が高いのか低いのかわからないプレゼンを受けたことがきっかけとなり、弾丸で週末旅を決行したのだった。
案の定、私たちはすぐにPCBの虜になった。
ビーチは言うまでもなく美しく、砂の質は柔らかい。陽が沈むころの波打ち際の景色には、思わず息をのんだ。
ビーチの近くには、小さなテーマパークやローカルな飲食店、ローラースケート場などが立ち並ぶ。観光地特有の「作られた感」がほとんどないことを、わたしたちはとても気に入った。
一通りビーチを満喫し、夕食を済ませた後、私たちは宿の近くにあった小さなバーに足を踏み入れた。
店内には地元の人らしき客が数人。年齢層は幅広いが、40-50代が多い印象だ。
バーコーナーにはオーナーらしき女性が1人、カウンターに座る客と談笑しながらビールを注いでいた。
私たちはそれぞれ飲み物を頼み、窓際のテーブルに座った。
照明は青く、壁際のジュークボックスはネオンサインを光らせる。
趣のある店内をバックに私たちは写真を撮り合った。
少し酔いも回り、「キヨウォ!」「かわいい!」とお互いの言葉で写真を褒め合いながら過ごしていると、1人の客が私たちの方に近づいてきた。
白人の男性で、50代くらいに見える。
私たちが振り向くと、彼はスマホを掲げながらこう言った。
「アジア人の女の子たちをこのバーで見るの初めてだからさ、一緒に写真撮ってくれないかな?」
場は凍りついた。友人を見ると、友人もまた私を見ている。
1人の友人が「いや、大丈夫です」と苦笑いしながら答えると彼はこう続けた。
「ほら、僕の友達もアジア人あんまり見たことないからさ、君たちの写真を見たら喜ぶと思うんだよね」
彼はなんの悪気もなさそうに、笑いながらスマホの内カメラを私たちに向けた。
私たちは顔を背け、手で隠した。
カシャッ。
彼はシャッターを押し、「ありがとう!楽しんでね!」と言い放ち、その場を立ち去った。
気持ち悪い。
これが率直に抱いた感想だった。
おじさんが写真を撮ろうとしてくるのも、
その理由が私たちの人種であることも、
嫌がるそぶりを無視して写真を撮ったことも、
何もかも気持ち悪いと思った。
友人らもたぶん同じような気持ちだったと思う。
1人の友人はよほど頭に来たのか、その場を立ち上がった。
韓国語でおそらく文句を言いながら(『〇〇セッキ!』と彼女が言い放ったのが聞き取れた)、その男性の方に向かおうとしたが、他の友人と私はそれを宥めた。
でも、本当なら私も日本語で文句を言いに行きたかった。
その夜、さまざまな考えが私の頭を巡った。
これが人種差別というものだろうか。
でも彼は悪気なさそうに、「楽しい夜に写真を一枚残そうじゃないか」とでも言わんばかりの態度だった。
本当に悪気なく、無意識に、少しお酒に酔って、いい気分で話しかけてきただけなのかもしれない。
これはマイクロアグレッション、というやつか。いや、でも嫌がっていたのに写真を撮られた。
マイクロでもない、これは攻撃か。
めずらしいアジア人をからかおうとしたのだろうか。
面白いと思ったのだろうか。
考えすぎかもしれないけれど、こちらがこんなに考えてしまう時点で、それは私たちを不快にさせる行為であったことに変わりない。
なんだか見せ物にされている気分で、ただただ気持ちが悪かった。
欧米でアジア人差別が存在することは理解していたけれど、実際に「悪気ない差別」らしきものに直面すると、どうすれば良いのかわからなくなった。
何に怒れば良いのか、わからなくなった。
差別をなくすために、制度や法案、政策が変わって行っても、「社会」が変わったことにはならない。
様々な理由で、私が体験したような気持ち悪さを感じる人はいなくならないのかもしれない。
現実逃避のつもりが、より現実を突きつけられた週末旅だった。