付けて焼いてまた付けた脆い刃
知り合いの輪が広がるというのは良い事だと思われるかもしれない、しかし、知り合いの輪が広がれば広がるほど面倒ごとも増えるしなによりも人間関係よりくる不安が増大した。
私は良い人でいたいし嫌われたくないという思いが強い、だから一人一人の言葉の裏の裏まで読んで関わりたいのだ。相手のことを考えるというのはつまるところ気を使うことに繋がる、そして気を使うというのは脳を酷使することであり、人間の心という分からない答えを見れないものについて「どう思われている」「ああ思われている」だの考えでもキリがない、キリがないからこそ考え続けてしまう。考え続けた先で何かしらの不安を覚えると一気に不安の環に落ちて回り続ける。不安はいくらでも膨らみ情報量が増加してますます脳を酷使することになる。
会話をするだけでも
①言葉の裏の裏まで読む
②会話で言っていい範囲の言葉を探る
③テンポを合わせる
④嘘を挟む
⑤何気ない一言に引っかかり不安になる
という脳に負荷がかかる要素だらけでそれを複数人とやりつつ結成したチームのバランスを考えて誰一人不要にならないように配慮する生活をしている。
脳負荷(認知的負荷)がかかりすぎていて私のキャパを超えている、このままだと人間関係リセット症候群の人みたくほぼ全ての連絡先を消して仕事以外は引きこもって暮らすような生活になりかねない。
でももう止められない、暴走列車なのだ。脆い人間関係から割れて切れていくし切っていくだろう。私が一番恐れていることが人と関係が切れることなのに関係を続けようとして関係を切ることになるという笑っちゃうような笑ってくれよなハッピーエンドを迎える。孤独の中で絶望するなんて最高にハッピー過ぎて泣けてくる。私はそんなクソみたいな関係の切れ方でなくもっと笑いあってサヨナラしたい。いつか方向性が違うから一旦バイバイまた遊ぼうぜというようなそんな軽いサヨナラなら息がつまらないし物語としてつまらなくないだろう。
きっと知り合いの輪が広がるのが早すぎたからこうなっているのだ。もっと相手のことを知ってその上での気遣いなら少なくて済むし最悪嫌われてもいいやと思えるくらいには信頼できる。私は相手にどう思われているのがが分からなさすぎて心をすり潰しているのだ。相手の心がある程度読めるようになればきっと不安は少なくなるだろう、関係が出来ていないからこそのこの不安なのだ。