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断定の強さ

 人はわかりやすいものばかり選びがちな生き物である。脳みそをあまり使わないようにする人間の性質もあるが現代ではそればかりではなく情報の量が多くなってしまったがために理解するのに時間のかかる難しいものに手を出すのが億劫になっているという面もある。
 例えば哲学なんていい例じゃないだろうか?
 現代人は哲学書を積極的に読むようなことはしない、なぜなら哲学書の言葉は難解なものが多いからである。哲学書のようにひとつの言葉に色々な意味を込めなければならないものは難解な言葉になりがちで現代人で好き好んで読む人間は少ない。なんなら本さえも読まないという人の方が私が見聞きするぶんには多い。本は集中して読まなければ内容が頭に入ってこない、特に小説なんかは文字から場面を想像するという作業が必要であるため想像しなくても実際に絵として場面が見えるドラマやアニメに行きがちなのである。
 さて、わかりやすいものといえばアニメやドラマなどの情報量的なわかりやすさもあるが人間は判断基準にもわかりやすさを求める生き物である。
 ○○は××であると断定されるとそうなのだと信じるのだ。
 これは多くの政治家が使っていて
 「この政策を実行してみせます」という風に使われるのだが、実際にその政策が実行されることは少ない。これは実際に実行しなくても誰からもお咎めがないからである。
 このように断定すると嘘はバレにくくなるのである。というのも断定するくらいなのだからなにかそれだけの根拠があるのだろうと考えるのだ。しかし多くの場合根拠まで聞くようなことはしないからこそこの嘘はまかり通る。
 例えばふとしたミスで会社の備品を壊してしまったが誰が壊したかはバレていないというような状況で「私はやっていません」と言うのと「私はやってないと思います」というのとではどちらが信じられやすいだろうか?明らかに前者だろう。後者の言い方をするともしもやっていなかったとしても疑われるのは必然であるしなんなら疑われてもしょうがないのである。
 このように、人は白黒はっきりつけたがる生き物であるから曖昧さのない言い方は皆に信用される可能性が高い

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