ライアーダンサーを語る
いやぁ感動した。嘘についての曲、嘘が出てくる曲でもなんでもなんだけれど大袈裟に捉えがちな曲が多い。そんな中でマラサダさん作曲のこのライアーダンサーという曲は珍しく日常の中で誰しもついてしまう嘘についての曲だ。
冒頭部分では誰もが経験のあるような知ったかぶり、この後に続いて気の遣い合いが面倒でそこから逃げるための嘘、自分につく嘘、面接試験での嘘、鷽替のような嘘というような内容になっている。
こんな風に嘘をついて生きてきたけどもそんな自分でも認めてあげていいんだよという嘘が欠かせない我々現代人を優しく包んでくれる歌であると思うのだ。
さらに、我々は幼少期にこんなことを教え込まれたはずだ、「嘘つきは泥棒の始まり」と。これに加えてイソップ童話の狼少年の話を頭にぶち込まれ嘘に対する罪悪感ばかりを植え付けられていく。嘘が悪だとばかり教えこまれるせいでつかなければいけない嘘にまで罪悪感を感じるように矯正されてしまう。友達を助けるために嘘をつくことは悪じゃないし、真実を知ったら傷つく可哀想な子羊に嘘をついて真実から遠ざけるのもまた悪じゃない。イギリスなどではwhite lieと呼ばれる善意の嘘さえも否定されるクソみたいな社会で「嘘つきでいいんだよ、みんな嘘ついて生きてるんだから」と優しく慰めほぐしてくれることがどれほど嬉しいことか、私は人より嘘を多くつくぶん罪悪感を感じる場面も少なくない、嘘つきであることを批判されるなんてのは毎日のデイリークエストみたいなものだ。故に刺さる。
加えて、この曲は他人につく嘘だけでなく自分につく嘘にも触れている。自分が信じられない、やってきた足跡が功績が自分のこれからに繋がるのだと信じられなくても踊り続ける(頑張り続ける)ことが未来に繋がるのだと頑張り続ける人たちへのエールを送り、悪かったことは無かったことにする(あんな出来事は嘘で本当はなかったのだということにする)ことでどうにか自分を納得させ前へ進めという頑張る人達を泣かせる曲なのである。実績の出ていないような活動というのは不安が募るだろう、こんな生活していていいのだろうかと疑問に思うことが一度や二度で済まないはずだ。そんな無駄にすら思えてくる活動に意義を見出させてくれる素晴らしい曲だ。