嘘つきが教える嘘つきはこういう奴/自称善人編
私は人生の諸先輩方に比べれば無知も無知で恥ずかしい限りで未だに理解できないことが多い。中でも本当に理解できないのがなにかの事件を見て「あんな怖い人がいるんだ」といった発言をするやつである。
極端にサイコパス寄りな事件ならまだしも度重なるストレスによる殺人や暴行なんかは誰しもありうることだと思っているし、自分が同じくらいのストレスを受け続けたら一線を超えるのかもしれないと思うことはよくある。殺人という一線を超える奴と超えていない奴は元々は同じような人間であってそこに違いはないのではないかと思っている。ただ、殺人前と殺人後では脳の反応の仕方が変わるようなことはあるだろう。
「あの人と自分は絶対違う」という戯言は願望として垂れ流すのはいいかもしれないが本気でそう思っているならばそいつはクソ野郎だ。
人は誰しも悪い感情を持っているしそれをどうにか飼い慣らして生活している。文豪の中島敦が書いた“山月記”にも『人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。』という一節がある。各々の性質を飼い慣らして私達はなんとか人として生きられているわけだが、放し飼いでもトラブルは起きないし起きても自分はなんとかできるというタイプ、いわゆる正常性バイアス(自分にとって都合の悪い情報を甘く見るバイアス)が強い人が自称善人なのである。
こういうタイプは綺麗事が好きで正論と綺麗ごとを振りかざしてくるが、いざ自分が矢面に立たされたら人のせいにする。そしてつく嘘も汚らしいし穢らわしい。嘘も方便という言葉を盾にとっさの嘘でかつ自己の利益のための嘘をつく。
自分がやったのに「やってない」と否定したり、話を盛る誇張の嘘をついたりしてくるため責任問題やトラブルの元になりやすい。
そしてこのタイプは正義中毒者の要素を含んでいる。正義中毒とは人が悪いことをしているのを罰することに快感を覚えるタイプである。悪いことを指摘することで仲間を守ったつもりでいる大馬鹿野郎なのだ。正義中毒者の中には相手が悪事をした証拠を捏造して罰するタイプがいるという半ば都市伝説のような話があるが実際にそういったことはある。おそらく罰したいという罰する欲によるものではなく罰せないなら間違えた自分が悪になる、叩かれるという事実に脅えているのだろう。しかし前述の通り証拠が集まるところまで集まれば悪あがきはしないという潔さもあるのだ。