自己紹介
改めて、初めまして!kikiです。
数ヶ月前までファッションデザイナーとして長く働いていました。
破天荒な人生を歩んでいる私のこれまでと今後の目標を含めた自己紹介とさせて頂き、デザイナーになるまでに歩んだ道などを掻い摘んで書きました。
今後ファッションデザイナーになりたいと思っていたり、興味がある人など、一部の知識として読んでもらえたらと思います。
・物心ついた時からデザイナーを目指す
・高校で家政科に入学
・外国語の専門学校に通う
・イギリスに留学
・服飾の専門学校に通う
・就職氷河期にデザイナーとして就職
・デザイナーとしての日々
・破天荒大爆発。独身で家を建てる
・ついに10年間従事した会社を辞める
・次のステップへ。。。
物心ついた時からデザイナーを目指す 特別オシャレな服を着せてもらっていたわけでもなく、むしろ殆ど服など買ってもらえない家庭で育ちましたが、気づいたらお洋服のデザイナーになるのが夢でした。おそらく誰かが「デザイナーってかっこいいよね」とか「デザイナーって素敵だよね」とか。憧れの職業であると言う大人の発言を聞いたのだと思います。それで私はその存在になりたいと言うのがきっかけだったような気がしています。それに加えて、大好きな祖母が洋裁(お洋服のオーダーメイドなど)のお仕事をしていて、“手先が器用な家系”みたいなみられ方をしていた記憶があります。小学生から中学生にかけてはペンケースやブラウスを自分で作ったりしていました。
高校で家政科に入学
そのまま将来の夢は変わることなく高校は家政科に入学しました。
しかし私が通った学校は専門的な勉強は殆どせず、手芸程度のエプロン作りや、パターンや作り方の良しやしは全く無視したドレスを3年生の時に作っただけでしたが、物を作ること自体大好きだったので、とても楽しんで作っていました。
ちなみに家政科でデザイナーを目指していたのは私のみ。県内でも入りやすい学校だったので受ける人が殆どでした。実際私も勉強は大嫌いで、壊滅的な成績でした。。
結果として、高校から家政科に行かなくてもデザイナーにはなれます。
ただ、どれくらいデザイナーになりたかったかと言うアピールにはなりますね。
1年間外国語の専門学校に通う
高校の時にアメリカにホームステイしたのをきっかけに、英語にだけは興味を持ちました、、その後レベルは低かったものの家政科内で英語のテストのみ2位をとったのをきっかけに英語に目覚め、英語圏でファッションの本場と言えばイギリスと言う情報の元留学に向けての勉強を始め、外国語専門学校を経て渡英することができました。
イギリスに留学
元々勉強が壊滅的だった私。。
1年間語学の学校に通ったものの、スキルは最低、、渡英してからしばらくは聞き取ることもままならず落ち込む日々でした。
London芸術大学のLondon college of Fashon の foundation course と言う1年半のコースに通い、本当に芸術の基礎のような物を学びました。
お洋服の事は本当に触り程度。ベースとなる型から簡単な服を作ったりする程度でした。
留学生活は楽しかったけれど、語学が伸びず落ち込む日々が続きました、そして基礎のコース卒業となる頃帰国を決心したのです。
服飾の専門学校に通う
語学に対しては心が折れてしまいましたが、デザイナーへの夢は捨てておらず、親に頼み込んで最後のチャンスを掴むことにしました。なぜならこの時点で就職できるようなスキルや伝手などなく、そもそも“留学していた”という事実は私が受けたコースのみでは内容が薄すぎて就職につなげる事は困難だったのです。
私が通った服飾の専門学校は3年コース。
2年から専門の分野のコースが選択出来ると言う内容。
1年生の時に自分は服飾の中でも何があっているか改めて見極める1年間だったのですね。
この1年で私の心はパタンナーになりたいと言う気持ちが芽生えていました。
デザインは、物を実際に作るのではなくデザインを形にするための動きがメインだと改めて気づいたのです。
パターンナーは、デザインを実際に組み立てていく動きがメインなので、実際に構築していく職業。
私は、何かを作り上げる事に歓びを感じるタイプだったので、気持ち的にもやりがい的にもパタンナーが向いている気がしていました。
しかし、2年からのコースを選択する時に、担任だった先生に「あなたはパタンナーじゃなくてデザイナーがむいているよ」と言われて、、結局ころっとデザイナーのコースにしてしまったのでした。
結果的にデザイナーとして従事した今の私がいるので、この選択は間違っていなかったと思います。それにこの恩師とは今でもたまに連絡をとっています。 ただ、今思うのはデザイナーになりたいからと言ってデザインのコースを受ける事は大正解とは思えないのが就職してからの私の考え。これもいずれnoteに書きたいと思います。
就職氷河期にデザイナーとして就職
ちょうど就職活動を始めた11年前、就職氷河期と言われる時代でした。
何社も受けてほぼ落ちる。
確か私は5社目だったと思いますがようやく内定をもらうことができ、安堵したのを覚えています。5社目で受かったのはまだ良い方だったのかもしれません。
結局受かったのは、その時に私のスタイルに一番合ったテイストの会社でした。
デザイナーとしての日々
この日々はここでは語りきれないほどのものでした。
実際、今までの人生の中で一番長く続けた事だったし、辛いことが沢山ありましたが、辞めて数ヶ月たった今は、人生経験として私には貴重な物だったのかもしれないと思うようになってきました。
近々この経験をまとめられたらと思っっています。
破天荒大爆発。独身で家を建てる
デザイナーのお仕事が長くなるにつれて、都会での生活も長くなっていました。仕事柄人が多く集まる場所に行くことが多く、会社自体も東京のど真ん中。
しぜんと、休みの日は郊外や田舎に行く日々が増えて、、いつか田舎に住みたいと言うのが次の夢となっていました。また、インテリアに拘りがあり自分の家が欲しいと言う大それた夢を持ち始めていました。
ただ、自分の環境や独身であること、いつになっても会社を辞める目処がつかないといった点から現実的には考えていませんでした。
それが、ある時様々なことが重なり最終的には独身で家を建てる事に成功し、今現在田舎生活を楽しんでいます。この事もいずれnoteに書こうと思っています。
ついに長年従事した会社を辞める
家を建て、引越しと同時もしくはその後すぐに仕事を辞める覚悟をしていました。
今までの勤務からしても退社時間や休日の仕事など、田舎から通うには自分の時間を更に減らさなければならず、今は体力的に良くても年齢が上がるにつれてどんどんきつくなっていくと考えていましたが、、
実際、辞めさせてほしいと話しても一筋縄では行かず結果として引越してから10カ月間、片道2時間30近くかけて会社に通っていました。。
転職するにも微妙な年齢になってくるため、何度か話し合いをしようやく辞める意思があることを上層部に持っていってもらえるところまでこぎつけましたが、、
コロナが始まりその話は無かったことのようにされていました。
さすがに私もコロナ自粛の件でバタついてい上司に問い詰めずらかったのです。
しかし、、自粛が明ける頃、、申請しているよりも早く辞めていいよと言う話になり、あっけなく辞めることができました。
次のステップへ。。。 この10年間、毎日あっという間に過ぎ気づいたら今。 田舎で何をして生きていこうとゆっくり考える機会となっています。
今までのデザインスキルを生かしつつ、のこネット社会で何が出来るか。
今模索しているところではありますが、webデザインの勉強などを独学ではじめたばかり。
やりたい事は山ほどあるし、まずはnoteやSNSなどを通して物作りや今までの経験を活かした発信、webの情報などを集めたりなど様々な事に目を向けて行こうと動いています!
長くなりましたが、最後まで見ていただきありがとうございます😊
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