冬宿す秋風に

僅か数日前まで暑い暑いと喚いていたのは噓のようで、九州生まれの自分からすれば到底台風とは呼べぬ旋風が近畿地方をかすめたかと思うと、今朝はひんやりとした風が額を撫でた。3月、確かに寒かった記憶があるのだが、いつの間にやら汗ばむ日々が続いて最近は少しうんざりしていたところもある。気づけば9月も終わりに近づいた。春とかいう季節は本当にこの街に訪れたのだろうか。だが同じようにして今、秋とかいう季節がこの街を通っているのかもしれない。

こういうことに思いを馳せると、春とはなんだ、夏とは、秋とは、冬とは、と余計な定義にばかり気を取られ、辞書を引いては辞書的語義と感覚的語義の狭間でああでもないこうでもないと議論を展開してしまうのが僕の悪い癖だが、今回ばかりはそんなことするまいと自分に言い聞かせている。

日本には四季があるよと教えられ、小学生の時分では海外には四季が無いのだと認識していた時期もあった。が、理科の勉強が進んだり、色々な人と会話をする中でそうでもないのだと気づき始めた。確かに日本の四季の風景が美しいことも理解した。が、世界を見てもたくさんの美しい景色がある。当然ながら同じように、日本の中でも地域差がたくさんあるということを自覚させられた。そもそも一面銀世界なんてものは数年に一度しか出逢ったことがなかったし、紅葉狩りなんていう風流なことも記憶にはなかった。その地域に訪れるその土地ならではの景色や風情を楽しむことがいちばんだと理解することにした。

それで、3月に移住してきた関西の地。気温や空気の質、住んでみて初めて感じるこの土地の風情を味わいながら半年が経過した。噂ではかなり肌寒い日の続く冬がやってくるらしい。そういえば、日本でもかなり雪の多い新潟でポスドク研究をされてたヨルダン出身の方が、Kyushu Winter, not winter!!とかなんとか叫んでいたのを思い出す。彼女にとって本当の冬は豪雪と大寒波の印象になってしまったのだろう。僕にとって二つ目の秋はどんなものだろう、同時に少し先だけれど僕にとって二つ目の冬はどんなものだろう、いつもよりひんやりとした風を受けてそんなことを考えてみる。

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