大学生、ラ行が無くても文章書けるよね

どうもお久しぶりです。夏休みにやりたかった勉強と復習が全く計画通りに進んでおらず、しかしながらそれもハナからわかっていたことなので焦ることもない僕です。が、たまに寝る前にフランス語リスニング聞き流しとかいうのをやってまして、脳内がフランス語モードの時はつい日本語ラ行の発音がフランス語Rの発音っぽくなったりしてしまうわけです。これは良くない!と思い解決策を考えたところ、らりるれろを使わなければいいということに気が付きました! C'est une très bonne idée! ので今かららりるれろ抜き(発音ベース)で適当なことを書きます。

※話題の性質上「ラ行」「らりるれろ」などに言及していますがそこはノーカウントでお願いします。

こんな前書きをしておいてなんですが、個人的には日本語のラ行はLの発音だと思うんです。なのでその感覚をもつ僕が、日本語のラ行を仏語のRっぽく発音してしまうというのは辻褄が合わないですね。ではなぜこんな現象が起きてしまうんでしょうか? 最初は大したことでは無かったんです。ただただ単純に仏語の定着のために、そして初めて出会った仏語Rの発音の上達のために、試しに日本語のラ行を仏語Rで発音してみただけなんです。その響きが結構興味深く、発音磨きのちょっとした一過程に与し、特に自分以外誰(た)もいないときにつぶやいてしまうようになったというわけなんです。誰(た)もいないときはまだ気にしなくてもいいんですが、他の人がいなくないときには聞かすわけにもいかなくないですか?と思ってます。実際、他の人がいなくないときに仏語Rっぽい日本語をつぶやいてしまったこともなくはないです。その人の仏語の知識が深くはなくとも、仏語をかじった経験をもつ場合はしのぐことも可能かと思いますが、なんにも知んない!という人には軽蔑の念を抱かせてもおかしくないです。では、どのようにしてこういった事態の回避をめざすか、考えてみましたが残念ですが心掛けしか無いような気がします。日本語は日本語。英語は英語。仏語は仏語。といった分別と、今どの舌回しを使うのかという強い意志が必要なんです。そもそも、長い人生で使ってきた日本語が最も自然に飛び出すはずなので、邪念の排除成功で日本語しか発声できない僕が再帰しないはずがないんです。まあ英語や仏語の知識が邪魔だとは思っていません。‘’邪念’’です。
話は少し違いますが、日本語の記者会見などでむやみに外来のカタカナ語を使うような人には憧憬の念を持つには値しないというのが個人的な意見です。海外を見据えた意見や概念であっても、可能な範囲で日本語を用いて簡潔な説明を行う人は本当に頭が良いように感じます。

どうでしたか?お酒が入ってて多少のミスはなくもない気がしますので、発見したという暇な猛者の方は教えていただきたいです。
らりるれろ、案外使うので結構難しい挑戦でしたがまたの機会には別の行を禁止して挑んでみようかななどと思ってます。みなさんも挑んでみてください。読んでみたいです。もうさすがに集中できなくなってきたのでらりるれろを解禁した世界線に行きます。

ラリアット!


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