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未知⇔既知⇔未知
1月に航空チケットを取ってから、1ケ月が過ぎ2ケ月目に入った。
両親から何か用意するものはあるのか?
どんなスケジュールなのか?と問い合わせの頻度が日を追う毎に増えていく。けれどコレといった回答はせず先延ばし先延ばしにしていたら、もう出発まで10日を切っていることに気付く。
この期に及んでも、まだ重い腰は動かずにどうにかなるだろう…という妙な自信がある。パスポートがあって搭乗できたら目的地には着くし、ないものがあれば現地調達すればよい。帰りは、パスポートとPCR検査の陰性証明だけあれば大丈夫。どちらにしてもパスポートがあれば良いんだよって思ってるから動かないでいる。
一度経験し魅力を感じれば欲するが、一度手にしたものが魅力的でないなら次は欲しいとは思わない。
形でみれば同じことなのに、そこに感情という装飾が加えられ、あたかも今まで手に取ったことのないゴールだと錯覚し、桃源郷のよう思えて手に取りたいと錯覚させている可能性が無きにしも非ずだと思う。
だからゴールを設定しても動けないでいる。
現実味がない。
実は現状に留まりたい。
本当は叶えたいゴールじゃない。
理由はひとそれぞれ違うけれど、既に体験済の魅力的でないゴールを、未体験で魅力的だと勘違いして追い求めている可能性があるんじゃないのか?と思う。
オランダへ行く。
初めてのオランダ。
しかも本帰国してからの久し振りの海外旅行。
でも、これを初めてを並べて尽くしたらどうなるのだろう?
これが初めての海外旅行。
初めてのオランダとドイツ。
初めての飛行機。
初めての家族揃っての長期滞在。
初めての電車移動。
それでも、やっぱりゴールではない。
形でみると「海外旅行」だから…
もしこれが宇宙旅行ならどうだろう?
これは、これで、また現実味がなさすぎて動けない…
ゴール設定って何だろうね。
ゴールには未知の修飾語がいるんじゃないのか?
既知を未知に変えたり、未知を既知に変えたり。
追い求めて手に取りの繰り返し。
その動きにフォーカスする。