見出し画像

【魔女の宅急便】ジジがもう話すことはないことを説明する・・・!

今回は、スタジオジブリ作品「魔女の宅急便」のジジがもう話すことはないだろうと考えられる理由を考察したいと思います。

どのように考察していくかは、以下をご参照ください。

では、ジブリ版のジジは話すことはもうないということを説明していきます。以上にもあるように、原作については触れません

宮崎氏は直接的にジジはもう話さないとは言っていないのですが、そのことをほのめかしています。

引用「The Art of Kiki's Delivery Service」

「やっぱり言葉は戻らない。でもいいか・・・・・・・。
微笑み、頬ずりするキキ。
ジジは完全な猫になっている。」

以上は魔女の宅急便の絵コンテを再編成したものです。
ここでいう”完全な猫”というのは”キキから見て”ということです。というのも、魔女のネコは、パートナーとのみ話せるため、キキ以外の人から見ると、ジジはもともと普通のネコです。

キキも先輩魔女のネコとは話せない。なぜならパートナーではないから。

魔女にとってのネコとは?

ではこの作品におけるパートナーのネコとは、どういった存在なのでしょうか。

引用「The Art of Kiki's Delivery Service p.47」

「声を入れてよく判ったのですが、ジジが自己主張するとどこか変なんです。独立した人格ではないのです。それは、ジジがキキの一部だからなんですね。いわゆる性的に未熟な一部なんです」

英語版の「The Art of Kiki's Delivery Service」では、あくまで"immature"という表現であったため、ここでいう”性的に未熟”というのは、セクシュアリーという意味ではなく、精神的な未熟さということだと判断しました。思春期におけるモラトリアムな時期という意味です。

実際ジジのセリフの多くは、”キキの言動に対するカウンター”であることが多いです。そのほかは、他のネコに対する感情のような”ネコとしてのセリフ”です。

結果として、少し大人になったキキを含めた魔女たちにとって、ネコと話せなくなるのは、”自分というものを自覚した → 少しだけ大人になった”という成長を表しているのだと考えます。
以前までキキは”与えられた能力”によって、無意識に飛べていたのですが、それがある日飛べなくなった。しかし、魔法を”自覚し、意識した”ことによってとりもどした。よって、ジジとは話せなくなった、話す必要がなくなったということなのだろうと考えます。

キキが飛べなくなった理由、また飛べるようになった理由、「やさしさに包まれたなら」の考察についても投稿する予定です。

最後に


でもいいか・・・・・・・

これは考察ではなく、個人的な感情でもあるのですが、最後のシーンではキキは話さないジジを受け入れます。しかし後で「実は話せました~」なんということがあれば、このシーンは台無しになるわけです。そんなことが許されるでしょうか・・・?すごく裏切られた感じ・・・

変わったのはキキであり、ジジは何も変わっていないのです。なので、キキとジジの関係も変わらず、対等な友人であり続けるでしょう!

#魔女の宅急便 #魔女宅 #スタジオジブリ #ジブリ #宮崎駿 #アニメ #考察


いいなと思ったら応援しよう!