【振り返り】NICU生活
11/17は世界早産児デーですね!鹿児島でもそれにあわせて、写真展が開催されています。
低体重出生児として生まれた娘は、早産児ではないのですが、写真展にある写真の赤ちゃんたちをみているとNICUでの生活を思い出して、ちょっとうるっときてしまいます。
ということです、NICU生活について振り返ってみたいと思います。
出産後30分で離れ離れに
出生時に、低体重と低血糖と呼吸障害があり早々にNICU入院が決まった娘。
しばしのふれあいの時間が終わると、病棟に連れて行かれてしまいました。
出産前に助産師さんから、NICUに入る可能性もあると説明を受けていたせいか、娘に対する不安はさほど感じず、ただ無事に出産を終えたことを安堵していました。
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出産の連絡を受け、仕事を早退してきたパートナーに娘の入院手続きと容体説明をお願い。
正直産後の目まぐるしい体の変化を理解するのがやっとで、娘のことをあれこれ心配する余裕もなかったのです。
ただ、入院期間について産科の先生から「体重が軽いからなぁ、1ヶ月ぐらいは入院するんじゃないかな…」と言われてショックでした。
NICUに通う日々
出産した次の日、私は娘を残して転院することになったので、病院を出る前にパートナーと一緒に娘と24時間ぶりに面会。
あらゆる方向から聞こえる心電図の音。
機械の音。
アラームの音。
スタッフの声。
そして、たくさんの機械の下で懸命に生きている小さな赤ちゃん。
そんな光景を通り過ぎてたどり着いた娘は、小さな体に点滴をされながらお昼寝中。
娘の姿をはじめてじっくりと見た後、不安が溢れ出しました。
こんなに小さい子を1人残して、母親である自分は病院を出ないといけない。明日また娘と無事に会える確証なんてどこにもないのに。
不安すぎる!
(ほんとはたくさん赤ちゃんも看護師さんもいて安心な環境なんですが…。)
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女性ホルモン??母性?って、すごいですよね。
出産して一日しか経ってないのに、気分の浮き沈みが激しくなって行きなり涙が出てきたり。
泣く泣く病院を後にして、転院先から娘の元に通う生活が始まりました。
母子が揃っているのが羨ましい
転院先の先生からは、
「よく37週までもったね。23週で緊急帝王切開かと思ったよ、赤ちゃんがいい子だったんだね」
と声をかけてもらいました。
「いつでも赤ちゃんのところに行っていいからね!」
とも言われました。
その時に、娘は一緒にいないということを実感しました。
転院して最初の夜、早速近くの部屋から新生児の泣く声を聞きながら眠りにつきました。
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次の日の朝、子宮の戻り具合を確認するため、出産を終えたお母さんたちは診察室に集まります。
私が4階の病室から2階の診察室に向かうためエレベーターを待っていると、生まれたばかりの赤ちゃんを連れたお母さんと一緒になりました。
そのお母さんは、赤ちゃんを3階のナースステーションに預けて診察室へ向かうようでした。
このクリニックで母子揃っていないのは私だけ…。
娘を小さく産んでしまった自分を無意識に責めていました。
その夜、ごく僅かに初乳が出ました。
しかし思いのほか出が悪く、「赤ちゃんがいればまたちょっとは違うんだけどね」と助産師さんから言われ、そうか。普通は飲ませられるのか!とまたまた思い知らされた。
なんとか絞った初乳は、母乳パックに入れて助産師さんに預けて冷凍してもらいました。
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思ったより話が長くなってしまったので、2回に分けて書きたいと思います。
次は、実際に母乳を届ける生活についてリアルに書いていきたいと思います。
最後に、ひとこと。
この文章は、ホルモンバランスの影響をもろに受けた当時の私の感覚で書いています。
多少オーバーな表現や捉え方をしている部分がありますので、ご容赦ください…。
結果的には、娘は最初の何日かだけ血糖値が安定せずに点滴が入ったり、黄疸が出て治療を受けたりしましたが、他には大きな問題もなく体重が増えるのを待つだけで退院できました。
ただ、娘のこともですが、NICUで懸命に生きている赤ちゃんたちに心を打たれたこと事実ですので、その点を汲み取っていただけると嬉しいです。
では、また次回。