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陽性のあとで①

陽性反応______
第一子の時と同様、再びファーストテイクでの妊娠を確信した私は平静を装いながらも有頂天でした。すぐに夫を呼び、あの日を再現するように二人で歓喜しました。申し訳程度の心配事を口にはするものの、すでに第二子出産の夢を叶えた気でいました。


初診の前後

規定の時期より大幅なフライング検査をしたせいで、その後は落ち着かない日々を必要以上に長く過ごすこととなりました。
初診に行くと決めた日まで約二週間、スマホを手に検索の回数が爆増することは必至でした。”40歳妊娠””高齢出産”、これと言った目新しい情報はなくとも、暇さえあれば妊娠関連の検索をしていました。

私の住む地域は出産を扱う医院が少なく、第一子を出産した産婦人科も週数が2桁になる頃には分娩予約が埋まり始めます。いつまでに予約をし、いつまでにいくら出産の費用を収める。私が案じたのはそんな未来のことでした。マタニティアプリを開いてつわりの時期と安定期を確認したり、出産予定日の目星をつけたり、必要なベビーグッズの買い足しを検討したり、そんなことまで考えていたのが正直なところです。頭の中はお花畑でした。

胎嚢が確認できる6週頃、ようやくと産婦人科へ行きました。夫と1歳の娘が見送りに来てくれました。待ちわびた診察を前に、1年ぶりの待合室で感慨に浸りました。呼ばれて入った診察室だけでなく、検査室もお手洗いも受付も、全て懐かしさと尊さで眩しく見えました。

診察は大抵淡々としたものです。「これが胎嚢ですねー」と言われモニターを通じて自分の目でも確認すると、しっかりと丸いものが子宮内に存在していました。その後助産師の問診を受け、2週間後の診察を促されて帰宅しました。ただ、多くを語らなかった医師の様子に対し僅かに不穏な空気を感じたことを覚えています。気のせいなのか、そういう雰囲気の先生なのか、知るよしもありませんが。


押し寄せる違和感

次の診察までは、自分の体調を探るような毎日を過ごしました。想定していただるさや眠気、悪阻などは一切顔を見せず、調子の良いことが悪いことといった矛盾に毎朝毎晩戸惑っていました。初診前の浮かれ気分は少しずつ消え失せ不安が頭をもたげ始めると時に、スマホを持つ手が震えるような言葉までも検索し始めていました。

もしかしたら、何度妊娠しようと同じように不安と闘うのかもしれません。ただ、一人目とそれ以後の妊娠が大きく異なるのは"比べる前例がある"ということです。それは良いことでもあり、無意味な不安の材料でもあるように思います。

2週間後、内診を受けながら映し出されるモニターに心拍はありませんでした。自分の数え方だと7週半ばのその日は、診察によると6週頃の大きさらしく「心拍は…見えないですね」と、見えなかっただけなのか、見えるはずのそれが無かったのか、医師の言葉は歯切れの悪いものでした。質問の余地はありましたが上手く話せる自身がなく「また1週間後に来てください」と言われただけで診察室を後にしました。

___靴のまま足首まで浸るような、違和感の波が押し寄せてきました。それはとても不快で恐ろしいものでした。


悲しい記憶が後の人生になにかしらの意味を持たせるものと信じて、自分なりに丁寧に、少し時間をかけて記事を書いています。フォローやスキ、ありがとうございます。次回をお読み頂けると嬉しいです。

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