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恋愛より体の関係の方が簡単になってしまった話

 中学生の頃、思春期真っ只中。恋愛はしていたが、性や体の関係というのはものすごく遠くにあるものだった。人を好きになったり恋愛関係に発展することは比較的簡単にできたが、セックスなんてものすごく難易度の高いもの。自分が経験することなんてないんじゃないかとすら思えるものだった。
 大学生になって初めてを経験したくらいまではまだ、セックスは特別なものという思いはあったと思う。これは同世代の中では初体験が比較的遅めだったからというのも関係しているんじゃないだろうか。
 しかしそれなりに経験人数が増えてしまった今、恋愛よりも体の関係の方が簡単にできるものになってしまった。恋愛は踏み出すのに大きなエネルギーが必要だが、セックスにはあまり気負わずに踏み出せてしまう。20代になれば恋愛はそれなりの将来を考えるものであるのに対して、体の関係はその場限りにもなり得るからなのだろうか。この変化は自分の中では違和感として残っている。
 その場限りの関係というのにさらに踏み込んでみると、友人関係を切るのは簡単ではないのに対して、体だけの関係の人を切るのは簡単だ。時間を共有し、共に過ごした友人関係はかけがえのないものだ。でも体の関係はワンナイトだってありえるし、セフレと縁を切るというのも躊躇いもなくできてしまう。
 しかし、逆に考えればなぜ友人のように時間や価値観を共有すらしていない人と体を重ねることができてしまうのだろうか。体の、性って人間の最も深層の部分だと思う。
 親しくない相手と体の関係を持ててしまうのは、その後の関係のこじれの心配がないからだろうか。確かに親しい相手と関係を持ってしまえばかなりの気まずさが残るだろう。それを考えれば、恋愛に関係なく体の関係を持つのは親しくない人の方がいいのかもしれない。

 好きでもない人を抱けてしまう。好きでもない人に抱かれてしまう。でも本来、体の関係ってもっと大切にするべきものだと思っていた。これは貞操観念の崩壊なのだろうか。そして、これは女性に対する敬意に欠けた行動なのだろうか。
 私は今のところ、そうは思わない。男性にも女性にも性欲はあるのだし、パートナーがいないのであれば互いの需要と供給が一致した時、それをぶつけ合うのは悪いことだとは思わない。過去の価値観に当てはめれば貞操観念の崩壊なのだろうが、価値観は変化する。婚前交渉が一般化した現代においては交際していない相手とのセックスは問題とするべきものではないのかもしれない。
 それに加えて、私は人間の神秘を追求してみたい。その場所がセックスなのだと思う。みな性欲を持っていながら体は少しずつ違う。せっかく人間として生まれたのなら、さまざまな異性(私は異性愛者だが、もちろん同性でも)の体を体験してみるっていうのは悪いことじゃないと思う。
 もちろん体の関係になるのであれば相手の体に最大限の配慮をすることは当然のことであって、最も重要なことだと思う。相手の体を思いやれない人間にセックスをする資格はない。

 という風に概念的に頭では考えているものの、自分の好きな人が他の人と体を重ねているのは辛い。私には友人として関わっている間に好きになってしまった相手がいる。この人とは以前からお互いの性事情も話す仲だったのだが、ナンパされた相手とセフレ関係になったことを報告されたとき、私は胸が締め付けられる思いがした。自分が好きな相手が性欲を別の人にぶつけているのを想像すると、それだけで吐き気がしてくる。
 でも、ここまで書いたことを振り返れば、たとえ別の知らない人と体を重ねていたとしても、体だけの関係よりも友人関係の方が価値のあるものだ。そして恋愛関係も同様だろう。体の関係が簡単にできてしまうからこそ、体の関係を伴わない友人関係や恋愛関係を重要なものとすることができるかもしれない。そう考えれば、愛のあるセックスと愛のないセックスは全く別のもので、私の胸を締め付けるこの感情は無視していいものなのだろう。

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