矜恃の置き所
「矜恃の置き所を間違えるなよ」
矜恃(きょうじ)=自分の能力を信じて抱く誇り。プライド。
気恥ずかしいから誰にとは言わないが、先輩に言われてから随分経つ。
言われた当時、劇作家になりたかった私は役者としてお芝居をすることに到底吹っ切れていなくて、言われた後も特にしばらくはそれを本当に理解して行動できていたとは思っていない。
今もどこかで逃げているんじゃないか。本当にプライドのある振る舞いをしているか、そんなことを考えると突っ走ってどこかへいなくなってしまいたいような気持ちでいっぱいになる。
自らの矜恃とはどこだろう?
兼ねてより私は人と関わるのが苦手である。
人に話しかけるくらいなら嫌われていた方がマシだし、借りを作るくらいなら倒れるまで働いていた方がマシである。
「出来ません」なんて言ったら最後、影で何を言われるかわからない。
でもそれじじゃあどうにもならない時があって、さっさと人に頼ってしまった方が手っ取り早く片付くこともある。
何より、私が、特に今ならお芝居の場において、私の持っているものは、果たして本当にプライドか、単なる意固地か、お客様に見せたいものはどの視点で行動したら理想に一歩でも近く、早く、近づけるのか。と考えれば、今自分のしていることが意固地を貫いて周りの足を引っ張っているだけなのかどうか、なんてのはすぐにわかることである。
だからと言って、それから行動や考え方を変える、なんてのも、だいたい容易いことじゃない。人間、内側から変わるのは本当にエレルギーがいる。
自分自身の常識ですら一般としてひっくり返すのはえげつない精神力が要るのに、だから必要な時に変革できないと、その言葉は薄っぺらい。
誰に何をみせたくて、どうして見せたくて、喜ばせたいのか?どうしたいのか?
自分が喜びたいから事を為すのか?
少なくとも私が教わった矜恃の意味はそれではないと思っている。
だからこそ、常に自分自身の意固地や傲慢には注意深く気を遣って、逃げ出したい自分がいるのもちゃんと否定しないで、ちゃんと必要な時に変われるようであれたらななどと、と思うのです。
自分が完璧に出来てるなんて言わないし、出来てないから言うんだけど。
人はきっと揺れ動いてなかなか真っ直ぐなんていられないから、こういう言葉は必要で、いちいち自分で自分に負けそうになった時に、その都度背中を押してくれたり、脅してくれたりする。。。
自分を励ますなら、大切な時に後悔しないでいられる道に導いてくれる言葉がいい。
矜恃の置き所、今の私は間違えていないだろうか?