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父の死で感じた事

2023.3.5 のお昼頃、母から父の訃報を聞きました。父は癌でもなく、通院もしておらず、急死だったので心の準備等一切出来ていない状態でそれを聞きました。
2017年の春頃、私が24歳の時に実家を出てから2023年の3月までの、この6年間は仕事に遊びに恋愛にと忙しくしており、父に連絡をすることも会いに行くことも疎かになっていました。またコロナ禍であったこともあり帰るのを控えてもおりました。
2019年の1月に有馬に家族旅行に行ったのを最後に約4年間会えておらず、2022年の12月に彼を連れて結婚の挨拶に行ったのを最後にその3ヶ月後に父は逝ってしまいました。久しぶりに会った父はとても老けていて物悲しくなったのを覚えていています。
これからは結婚もして子供も産んで、父に孫の顔を見せてやるのがとても楽しみにしていた矢先の事でした。父はまだ66歳と若く、まだまだあと20年くらいはいるだろうと何の疑いもなく思っていました。
おじいちゃんになったら介護も覚悟しておかないとなーとか。思ってた。でも、人はあっけなく目の前から居なくなるということ、それが人の死であることを今回身をもって理解しました。
父には沢山愛を注いでもらいました。優しく愛おしそうに私を見つめる眼差しが気恥ずかしく思ったこともありましたが、もうあんな無条件に心の底から愛してくれる存在がこの世から一人減ったんだなと思うと心細くさみしいです。
父との思い出は、小学生の頃は夏休みになると週末は市民プールに連れて行ってくれたことを夏が来るたびに思い出し、お盆のお休みには毎年家族で海水浴に連れて行ってくれたことを思い出します。
楽しそうにしている子供を見るのが好きだったのかなと今は思います。
お菓子も毎日私と姉の分を買ってきてくれて、とても子供想いのマメな人だったなと思います。
父と母は喧嘩も多く、母に暴力をふるうこともあり、辛い思いも沢山しましたが、こうして居なくなってから思い出せるのはいい思い出ばかりです。
父も口数が少なく、想いを口に出して相手に伝える事が出来ない人だったので、母と上手くコミュニケーションを取ることが出来ず、母も口が立つ人なので、カッとなってつい手が出てしまう人だったんだな。と大人になった今は思います。
『優しくて不器用な人』という言葉が父にはピッタリです。
仕事も定年をした後も嘱託で勤め上げ、よく働く人でした。父が家族を養っていくために一生懸命働く姿をずっと見ていました。
66歳という若さでまさか逝ってしまうとは思ってもおらず、この世に父が居ないことを受け入れる事も時間がかかるだろうと思って居ますが、父が一生懸命育ててくれた、この私の人生を命が尽きるその時まで一生懸命生きる事が父にできる最後の親孝行だと思っています。
子供も産んで父の血を残していきたい。
子供を父にしてもらったように大切に育てたい。
これからは母親となって子育てしている姿を天国から見守っててもらいたい。

告別式が終わって火葬場へと行き、最後父の肉体とのお別れの時、お母さんとおねぇちゃんと沢山ありがとう、大好きだよと言ってあげられました。
生きているとこに大好きだよ。なんて一度も恥ずかしくて言えなかったけれど、そう思っていた事を分かってもらえたかなと思っています。
父は温泉と旅が大好きな人で、血を引いているなと思います。定年後は父は母と東北を車でまわるのが夢だったようです。
これからは残された母を姉と共に支えていく事が大切だと思っています。

父と母は私が巣立った後、二人で沢山旅行にも行けていたので、必死の働き詰めの人生では無く最後沢山旅行にも行けてよかった。
父の肉体は今回終わりとなったけれども、魂は輪廻転生してまた次の人生を楽しく歩んでほしい。
父は今世では自分の人生をやり遂げて、旅立って行ったのだと思うので、見送ってやりたい。

最後に一つ。
会いたい人には会える時に会っておけ。
これは今回父の死から一番学んだ事です。
みなさまも長らく会えていないご両親や友人などがいらっしゃれば是非会える時に会っておくと心残りがないと思います。いつ何が起こるかなど誰にも分かりません。

長々と気持ちを整理する為に書きました。

お父さん、こんなに立派になるまで育ててくれてありがとう。これからも一生懸命生きます。
どうぞ安らかに。体の痛みからも解放されて、好きなお酒も沢山飲んでね。
大好きだよ。ありがとう。

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