ボーカロイド音楽という舗装された空間~柊マグネタイト『アンテナ39』評
1. はじめに
初音ミクたちの3DCGライブと企画展などの各種イベントを組み合わせた「マジカルミライ」は2013年から毎年開催されている。「マジカルミライ」では各年ごとに公式テーマソングが設定され、イベント側からの依頼を受けたボカロPが製作を担当する。公式テーマソングは、担当するボカロPの視点から初音ミクやボカロというジャンルへの想いが表現される。そういった面で、公式テーマソングは初音ミク文化を考察する際に重要な手がかりとなるものといえるであろう。
「アンテナ39 / 柊マグネタイト feat. 初音ミク」(以下『アンテナ39』)は柊マグネタイトによる「マジカルミライ2024」の公式テーマソングだ。若者言葉が多用される歌詞とアップテンポなリズムの楽曲に、「マジカルミライ2024」のイベントテーマの「ファンファントリップ」に合わせた、バス停や新幹線、飛行機の搭乗口(旅客機)などの交通のモチーフが配されたMVが付けられている。
2. 祝祭の空間としての「マジカルミライ」と『砂の惑星』
近年の「マジカルミライ」の楽曲を読み解こうとする際、ハチによる「砂の惑星 feat.初音ミク」(以下『砂の惑星』)を避けては通れない。『砂の惑星』は「マジカルミライ2017」の公式テーマソングであり、その当時のボカロシーンを荒野と形容しているともとることのできる歌詞には賛否が分かれた。
そして楽曲発表以降、様々なボカロPによって『砂の惑星』へのアンサーソングが作られるようになったという歴史がある。『砂の惑星』以降の「マジカルミライ」公式テーマソングにおいても、多くの楽曲がアンサーを返している。そこには「マジカルミライ」という初音ミク(とその仲間たち)を祝祭する空間というのが深く関係しているはずである。
2024年現在、多くのボカロPは楽曲制作するソフトが持つキャラクターを意識することは少ないはずである。それは初音ミクをはじめとした歌声合成ソフトが声の代替品へと役割を戻したからである。だが、誕生日や初音ミクの3Dモデルが躍ったり、喋ったりするライブでは初音ミクとしてのキャラクターが強く意識される。初音ミクの誕生日のある、8月の後半から9月の始めにかけて開催される「マジカルミライ」はこれらに合致したイベントといえる。これは「マジカルミライ」の参加者やボーカロイド音楽を聞くだけの人、所謂聞き専にとっても同じ話である。
言い換えれば、「マジカルミライ」とは祝祭に合わせて、初音ミクというキャラクターを再び現在に立ち上がらせる行為と呼べるであろう。(ここらの話は『Rich vol.1』で書いた「初音ミクの葬式——遺影を見て故人を思い出すな」が詳しい)
初音ミクというキャラクターに対して人々が熱狂するライブ空間は「荒野」の空間とは対比されるものであり、『砂の惑星』へのアンサーの形を成すのである。それは『砂の惑星』へのアンサーソングの側面を持った公式テーマソングの多くが「荒野」、「砂漠」、「惑星」といった空間の言葉を中心としてアンサーを返していることがその象徴である。散り散りとなってしまった初音ミク、人々を再結集させる形で『砂の惑星』は活用されるのである。
3. 舗装道路と『アンテナ39』
『アンテナ39』の歌詞にも『砂の惑星』へのアンサーと思しきものが存在している。
このフレーズは『砂の惑星』の「あとは誰かが勝手にどうぞ」が意識されたものにみえる。
そして『アンテナ39』の『砂の惑星』へのアンサーは楽曲内で2回歌われるこの歌詞のみである。とても短く、一見すると『砂の惑星』へのアンサーであるとはわかりにくいものである。だが、この短いフレーズにこそ柊の『砂の惑星』への考えが現れているのではないであろうか。これまでの公式テーマソングにおける『砂の惑星』への応答が空間を中心としてきたことは先述の通りだ。だが、『アンテナ39』は空間に対しての応答はしない。ハチが「あとは誰かが勝手にどうぞ」としたものを、力強く「後は任せてくれ!」と引き継ぐのみである。
おそらく、柊にとって『砂の惑星』の荒野、砂漠的なイメージはさして重要ではないのであろう。それは、『砂の惑星』を先人から託された曲として、極短いアンサーを返していることがその裏付けといえるはずである。また、MVからもその理由は読み取ることができる。
ボーカロイド音楽において楽曲に付随する映像は、音楽に+αで意味を付け加えてきた。
サツキによる『メズマライザー / 初音ミク・重音テトSV』では、MVの中でキャラクターより発されるSOSサインを基に視聴者たちは歌詞の解釈を深めていった。このこともボーカロイド音楽が「観る楽曲」であることを肯定する事柄といえよう。
冒頭に書いた通り『アンテナ39』のMVで描かれるのは交通のモチーフである。ここで注目したいのが登場する交通のモチーフはどれも舗装が不可欠なものであるという点だ。MVに登場する新幹線、バス停、旅客機、そのどれもが未舗装の場所を行くものではない。新幹線であれば線路、バスであれば巡行ルート、旅客機であれば飛行ルートという先人たちによって整備/舗装された道が存在している。
対して、『砂の惑星』のMVの初音ミクは砂漠という未舗装の空間をその足で突き進んでいく。
鮎川も語る通り、初音ミクないし、ボーカロイド音楽の発展は砂漠のような道なき道を歩むものであった。であるならば、『アンテナ39』の舗装されている交通のモチーフは、現在のボーカロイド音楽が先人によって整備がなされたということを暗示するのではないであろうか。
ボーカロイド音楽はもはやメジャー音楽シーンとかけ離れた存在とは言えなくなった。ハチ/米津玄師やAyaseといったボーカロイド音楽を出自として、メジャー音楽シーンで活躍する者も増えてきている。音楽というジャンルの中においてサブカルチャーであったボーカロイド音楽は、その中心へと食い込みつつあると言っても過言ではないであろう。もはやボーカロイド音楽は未開の土地ではなく、拓かれた土地に変わりつつあるということである。
これらの理由から『アンテナ39』は「荒野」や「砂漠」といったところに明瞭なアンサーを返さずに、託されたことにのみアンサーを返したのであろう。『アンテナ39』は『砂の惑星』に対して、今までとは違った視点でアンサーを返す、ポスト・『砂の惑星』アンサーソングといえる。
「舗装」ということを念頭に再び歌詞に目を向けてみたい。
ボーカロイド音楽を出自に持つ音楽クリエイターが増えてきたというのは先述の通りだ。裏を返せば、ボーカロイド音楽で成功することができればメジャー音楽シーンへとステップアップすることが出来るという道筋が「舗装」されたということである。その舗装路では再生数が多いことが重要視され、流行りの楽曲の特徴(チャームポイント)をトレースしていくということが再生数を増やす手軽な近道となってしまったのである。
島村楽器のこの記事においても「ボカロPの成り方」を紹介する際に、楽曲をつくること以外のコツを紹介している。それは流行りやすい曲の特徴/作り方であったり、SNSの活用術であったりである。ボカロPという活動はもはや、利益を度外視したアマチュアの活動と全てを括ることはできないのである。
『アンテナ39』はそんな再生数を増やすために特徴を真似された側の視点から、作曲者自身の表現への回帰を呼びかける。
それは初投稿の楽曲が11分を超えるという、自分なりの表現を実践しようとする、柊自身の表明とみることができるはずである。
4. おわりに
『アンテナ39』は回帰する。それは、従来の人と初音ミクが共にあることを証明しようとする「マジカルミライ」のアンサーソングのようにではなく、初音ミクというソフトを使う個人へとである。そこには、初音ミクというキャラクターが介在することはない。それは初音ミクが、キャラクター人気を持ちつつも、人間の声の代替でしかなくなっているからである。初音ミクが人と共にあるという認識の時代は終わりつつあるのである。
2024年に初音ミクが発売されてから17年となり、公式設定である16歳を超えた。そんな一区切りの年に『アンテナ39』が歌う初音ミクとの関係性は、これからの初音ミクというキャラクターの歌い方の先駆けとなるはずである。
〈参考文献〉
「初音ミクの葬式——遺影を見て故人を思い出すな」収録
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