何もしない選択肢とか
高校3年生の時に「やりたい事がないんですけど、どうしたらいいですか?」と先生に聞いた事があった。「やりたい事がないなら大学に行きなさい!」と言われて、それを鵜呑みにしたのを憶えている。
頭が悪かったけど、高校受験の時に第一志望の高校に受かった。倍率が高い公立高校だったから、三者面談では先生と親から滑り止めで私立高校を受けるか聞かれたぐらいだった。奇跡で受かってしまったから、それはかなり驚いたし嬉しかった。当時、その高校は言ってしまえば進学校を目指している全日制普通科の高校だった。
「やりたいことはない、なりたいものがない。」まだ18歳の子供が将来を決めるなんておこがましくないかと思っていた、たかが進路希望されど進路希望だ。何というか、今から映画を観るから何でもいいから決めて借りてと人から言われてるような気分だった。観たいものがなくても無理矢理どれか決めて借りる、私も借りたからあなたも借りてと。そしてみんなが観るなら仕方ないと不満そうな顔で映画を選んでる自分の姿が想像できてしまう。
先生の言葉を鵜呑みにしてしまって大学は推薦で、単位もあったけどいろいろあって気力をなくして悩んで悩んで辞めてしまった。それであの頃の事で思い出すのが、3年生の3学期に廊下で担任の先生が2人でお喋りをしていた友人達に駆け寄って行って「本当に就職もしないで大丈夫?」と聞いていた時。それが聞こえて後ろから様子を見ていたら、先生の手前にいた彼女は「しないです」と顔をしかめて言った。嫌な事を聞かれたような顔だった、それ以前にも数回は同じような事を聞かれたはずだから声は弱々しかったけど重みがあった。普通科は工業や商業より大学や専門学校に進学する人達が大体だったし、就職もしないとなると学校の実績にも関わるのか他の先生に何か言われたから聞いたのかは知らないが。彼女はクラスで1人、学年でも数名の進学も就職も何もしない派だった。
今振り返れば、あの時何もしないと決めた彼女は私からすれば潔い決断をした人だった。大人になってもドタキャンばっかりする彼女はそんなに好きじゃないし憧れもしないが、あの時の彼女のしかめ面を思い出すとニヤけてしまう。それに比べて自分は馬鹿な考えをしていたと、高校生が将来を決めるのにおこがましいなんて事はない。あの頃はただその準備をしてこなかったから、将来を決めてしまうには自分には分不相応だと感じていたと思う。何ができるか何に向いているかは、やってみないとわからないし。何もしないで好きな物を探したり、何か楽しいと思える事をするのもいいと思う。ただ今思うのは、あの時違うことを言ってくれる先生がいたら良かったなとか。