不幸売り
フコウ〜
フコウ〜
不幸は要らんかぇ〜
音割れのするアナウンス。夕暮れ時の綺麗な茜色、そんな時に不幸売りは現れる。こんな綺麗な夕日の中で不幸なんて売れるのかしら。ベランダから川の土手を見る。ママ風な雰囲気の女性がママチャリを止めて、不幸売りと言葉を交わしている。
不幸売りがやって来ると、ベランダに出て眺めてしまうのだけれど、ああやって立ち話している人は割といる。買っているのかなぁそれとも、不幸でも買い取って貰ってるんだろうか。
不幸売りは空の橙が薄まる頃、元来た方向へ帰ったり、未だ橙の濃い方へと進んでゆく。
ある日帰宅途中の土手を歩いていると、不幸売りが居た。いつもは自転車でリアカーを引いているのが、今日は水色のバケツを一本の棒で両天秤にした物を地面に置いている。バケツの向こうで上体を折り曲げて、地面に落ちたものでも探しているようだ。吸い寄せられるようにそちらへ行くと、不幸売りが上体を曲げたままこちらを見た。ベランダから見下ろしていた時はてっきり、こじんまりとしたおじいさんかと思っていたのだが、随分歳若い少女のようなので驚いてしまう。
あああなた
少女はこちらを知っている風に言う。ベランダに齧り付いていたのを知られていたのだろうか。そうだとしたらなんだか照れくさい。落し物を探していると言うので、どんな物かと聞けば、
動く牛
だそうだ。なんだろうおもちゃかな。大きさを聞くと、このくらいの丸いやつよと、両手で丸を作って見せる。地面のバケツを見ると、テニスボールよりも少し大きな、乳白色で半透明な球体が入っている。これらも動く牛なんだろうか。
どちらか言うと、その少女と話をしてみたくて、他人事のように適当に草むらを探していた。そうするうちになんだかお腹が空いてきて、無性にサラダが食べたくなってきた。
そうこの目の前の青々としたああそして何故かしらそこのあなたあなたになんでもいいから胸を揉まれたいなんかこう胸がスッキリしなくてこの草はなんて美味しいのかしらどうして今までこうしなかったのかしらこれは胸に聞いてみなくてはそしてひづめひづ
ちょっとあなたしっかりして頂戴
目の前に少女の顔がある。怒っているような探るような目つきで睨みつけている。私はいつの間にか四つん這いになっていて、少女が私の首根っこを掴んでいて何か言えとうるさい。
モー
牛ですからねいくらでも鳴いてみせましょうそれよりもお腹が空いたのです草をくさを
案外力の強い少女が失礼なくらいに、私の頭をブンブンと激しく揺り動かすものだから、後ろ足で蹴ってやりたくなる。
モーモーモー
少女は先程から何かを話し続けているあああうるさい
動く牛が動くうち
縦横無尽にゆこう海
動くウニのつのすくい
動く浮きに重力子
深う海には不老不死
布するりと裾すくい
無論報いる括り口
私はなぜ口の中に草があるのか分からなかった。咳き込みながらペッペッと吐き出す。
ああ良かった
あなた牛になってたわ
動く牛がこの辺で割れちゃってたのね
私は地面にへたり込んでいて何も言えないでいた。少女は話し続ける。
大丈夫よ戻って来れたんだし
そうそうしばらくは少し牛っぽいかも知れないわ
食べると反芻しようとして吐いちゃったり
あと地面の草に惹かれるかも知れないわ
這いつくばりのおすすめの中和法はシューゲイザーなんだけどあなた楽器はやるかしら
真似事でもいいのよ
地面に這いつくばりそうになったらシューゲイザーよ
地面よりも集中して自分のつま先を見なさい
畳み掛けるように言ってくる少女は、私が苦手だった女教師のようで、つい言いなりになってしまいたくなる。うんうんと頷いて見せているうちに、何とか声が出せるようになってきた。
どんな人が買うの?この牛のやつ
知らないわ
売れたことなかったもの
だから持ってたのよ
そう言われればそうかと思いそうになったけれど、聞きたいのはそういうことではなく、不幸って売れるのかと聞いてみた。
ええ不幸を感じると幸せも感じるでしょ
とさらりと言う。今の牛のどこが不幸なのと聞いてから、聞いたことを後悔した。私は牛でなくなってほっとしている。とてつもなく。少女はこちらの様子を見て、ニコニコとしたり顔で見返してくる。
私もう行かなくちゃじゃあね
牛はサービスよ
なんて言うからなんだか頭にくる。好きで牛になった訳ではないのに。
少女は両天秤を不慣れな様子でよいしょと肩に乗せて、ふらふらと夕日の濃い方へと歩いて行った。
あれではまた何かを落としそうだ。