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Chico Freemanインタビュー(2017) 3/3

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イ: 当時のシーンは、Elvin JonesやJimmy Garrisonらと知り合ったり、一緒に演奏することは今に比べて簡単なこと、一風変わった時代だよね、違う?

CF: おれもそう思うよ。おれはたくさんの人々と出会った。彼らに会いに行って演奏をすることを恥ずかしがったりすることなんて一切無かった。もちろんそうしていくうちにおれの評判が広まってお呼びがかかるようになっていったのさ。

イ: あなたの音楽に影響を及ぼしたと思うミュージシャンはいた?

CF: うーんと、1人に絞れないな。みんなおれに深遠な影響を及ぼしたよ。
Elvinからものすごく影響されたな。今でも彼はおれのオールタイムフェイバリットドラマーさ。彼の裏の取り方はかなりリラックスしている。彼は絶対にリハーサルをしなかった、それはとてつもないことだろ。Chicagoの人間は皆必ずリハーサルをしていた。おれがElvinと会ったとき、おれは思った。おれらはリハーサルをするべきだってね。おれだってElvinに影響を与えようとしたよ。おれらがリハーサルをやるってときに彼に尋ねた。彼はおれを見た、クビにされるって思ったよ(笑)Elvinはおれにたくさんのことを教えてくれたし、ショックを与えた。おれのモノの見方をも変えたよ。

McCoyもそう。McCoyの一枚のアルバム「Time for Tyner」がある、おれはこのアルバムが大好きだ。Freddie Waitsがドラマーであり、おれはこいつを忘れることは無いだろう。コネクションがその理由さ。Freddieがドラムを叩き、McCoyはそこで一曲やってる。「African Village」は大好きな曲だね。おれはあるバンドでMcCoyと一緒になった。彼にやってることを質問することができるぜ!
一緒にコンサートをやる機会が何回かあって、彼にアルバム「On Time for Tyner」や「African Village」のことを聞いてみようと思ったんだ。"あれらは何のコードを使ってるの?" って聞いたら、おれの方をじっと見るだけど何も言わなかった。何も言わないなんて想定してなかったよ。少し肩透かしを食らった気分だった。彼は再びピアノの方を向いちゃったから、"Oh shit." って感じだったな。頭を抱えたくなったよ(笑)
1年後のTokyoのBlue Noteで再び一緒になったとき、おれがマイクの前に立つと、"Hey Chico!" という声が聞こえたんだ。"Yeah McCoy?" って返したよ。McCoyがピアノからおれを呼んでた。彼は "さあこいつをチェックしな" って言って「African Village」をプレイし始めた。彼の演奏があまりにも早いもんだから食らいつくのに一苦労だったよ。おれはそれを受けて"McCoy 最高だな!コードは何なんだ?" と言った。すると彼はこう言った "ただのひとつのサウンドだよ" そういうことなんだよ、これに尽きるぜ。

おれは考えた、McCoyはおれを無視したわけじゃなかったってね。おれは違いがわかる男だからな。彼はおれに特に重要なことだけを話すんだ。「African Village」に戻って、彼がやってることを見たんだ。おれのハーモニーは洗練されていたってことに彼のプレイを聴いて理解した。コードを識別することはなかったけどね。それが全てを変えたんだ。
彼に「Enchance」を作ったんだけど、その曲もワンコードだよ。それが何かを言うつもりはない。でもそれはポリコードだし、おれが作った意向で正確に演奏されるべき曲だ。
おれがそれを演奏するとき、ピアニストは毎回コードに着目して、この曲を特別扱いする。もしBフラットにAフラットを置くならだれもがそれをサスペンデッドコードだと気づくぜ。彼らはそれを他のモノとみなす。おれはそういう曲をやって演奏する、ピアニストは彼らのプレイをする。おれは "違う、違う!ストップだ!"と言うと、McCoyはこのコードについて話し始めた。おれは "そうじゃない。「Enhance」をプレイする人間はコードを正確にプレイしなければならない。トップの3ノートさ。別の方法で捻じ曲げるな。違う方法でできるやろうと思えばできるけどこのコードを出した時にわかるぜ” と言ったら彼はこう返した "Why?" "これは一つのサウンドに過ぎない、man." おれが書いたノートはほんとにただのサウンドだったんだ。おれが求めていたサウンド。そのサウンドは完璧に独特のものだったし、その中で変わっていくのみなのさ。


イ: 音楽教育において、あなたはクラスや様々な場所でコードについて考える14人の人々を教えているよね。だけどあなたがそれを完全に無視すると、音楽はただのサウンドになるってこと?

CF: Yeah. 自分で作曲したたくさんの曲で気が付いた、時々そんな感じになるんだ。おれはサウンドを気にかけている。時に曲に名前を付けるのがもの凄く難しいと感じることがあるんだ。McCoyはその問いに答えた人間のひとり。彼とElvin。Elvinはリズムのことに関してだね。

イ: あなたはJazz Showcaseに5月25~28日に出演するんだよね。Chico Freeman Quartetで出演するの?

CF: No, Chico Freeman Plus+tetで出演するよ。かなりいいバンドを連れてきてる。ベースにKenny Davis、ピアノにAnthony Wonsey、どちらもChicago出身だし、おれのお父さんから指導を受けていた経緯がある。ドラマーはRudy Royston。

イ: あなたの新作アルバム「Spoken Into Existence」からプレイするの?

CF: 「Spoken Into Existence」からたくさんやるよ。なぜならChicagoの人たちはこの音楽を耳にしたことが無いからね。少なくともおれはライブでこのアルバムの曲をやっていない。

他の曲も同様にプレイするよ、「Enhance」とか。おれがMcCoyに作った曲だ。おれの叔父のGeorgeが今月90歳の誕生日を迎えるんだ。その日にGeorgeと過ごすことはできないけど、彼は日曜日にバンドに合流してくれる。だからちょっぴりスペシャルなことをやるぜ。Chicagoが愛してくれるようなことにチャレンジするよ。New Yorkや他の場所に比べてChicagoの人間は常に騒ぎ続けている、静かになることが無いんだ。Chicagoは少し荒っぽい、いい意味でね。
Clifford Jordanと一緒にNew Yorkをぶらついたときのことを絶対に忘れない。彼は "まったく、どいつもこいつも,,,, 何か言えよ!New Yorkの人間は何かいいことがあったら、すぐに周りの人間に伝えるべきだ。Chicagoの人間みたいにな。" って言ってた(笑)Chicagoから何かを得なければいけないぜ。おれもそうできるようになりたい。

イ: 何があなたをヨーロッパに移住させたの?

CF: 世界中を旅したかったからアメリカを離れてヨーロッパに移ったのさ。日本、オーストラリア、極東、近東とかね。住みたくは無かったんだんだけど住んだらどんな感じなのかってことを試したかったのさ。あと自分のことを知らない人々がどんな感じなのかとかね。とにかく風景の一部になりたかった。
時におれらは特別扱いされる。それは気持ちが良いし、楽しいんだけど、そうじゃない人を見てみたかったんだ。ジャズ以外の音楽を体験したかったっていうのもある。おれはスペインに行ってジプシーミュージシャンと演奏したんだ。スパニッシュギター奏者のPaco de Liciaと一緒に演奏できる機会があった。Andrea Bocelliと一緒にやったし、モロッコ、アルジェリアといった北アフリカに行ってガーナのミュージシャンともプレイすることができた、参加者全員が演奏するフェスにも出演した。ハンガリーの素晴らしいジプシーミュージシャンとも共演したよ。ツィンバロムっていうそれまで聞いたことが無かった楽器を演奏するMiklos Lukacsがすごいんだ。おれはバルト諸国に行ってクラリネットプレイヤーとその土地の音楽を聴いたよ。オーストラリアに行ってアボリジニのミュージシャン達にも会った。

イ: 「Spoken Into Existence」について教えて欲しい。

CF: おれには5人の娘がいるから、5曲作ったんだ。一人一曲ずつ作ったのさ。それが「Spoken Existence」のインスピレーション。5曲はそんな感じで、他のはおれがいつも演奏したいと思っていた曲だ。2曲はAntonio FraoとHeiri Kanzigがレコーディングに参加している。他の2曲「Soft Pedal Blues」「Seven Steps to Heaven」にはStanley TurrentineとVictor Feldman。おれは「Seven Steps to Heaven」がお気に入りだ。あのアレンジメントはかなりヒップだ。Stanley Turrentineの曲を聴いたとき、それを自分でもやりたいと思ったんだ。好きなサックス奏者のひとりがGene Ammonsが挙げられる。彼はスローブルースをプレイできるんだ。当時のChicagoのミュージシャンは皆スローブルースをプレイできる。もちろんおれもね。だけどレコーディングでそれをやってこなかった。このレコーディングはWowって感じだった。全然やってこなかったと思えないほどにね。すべての曲がとてもパーソナルなものなんだ。「Spoken Into Exitence」から曲を早くやりたいよ。これはタイトルの妙さ。


イ: 12年間海外にで過ごした後にNew Yorkに戻るわけだけど、あなたがいなくなった頃からシーンはどう変わった?

CF: おれは約12年もの間ヨーロッパに住んでいたわけなんだけど、Greeceやスイスにも引っ越したな。おれはアメリカに戻ってきてNew Yorkにいるんだ。でもスイスに家はあるよ。メインの活動の場をNew Yorkにしたってだけさ。世界を旅することで得た経験を持ち帰りたかったからNew Yorkに戻ったんだ。そしてまた自分のルーツの立ち返ってこれまでの経験を演奏に落とし込むんだ。アメリカのミュージシャンと演奏することが楽しみでもある。特にアメリカのドラマー、ベースプレイヤー、リズムセクションとプレイしたいね。ブルースやアメリカの音楽と再び繋がって世界中に発信したい。自分のルーツを見つめなおすときが今だと感じたのさ。

アメリカのシーンだけど、いい変化を遂げていると思うよ。特にミュージシャン自身だね。女性のミュージシャンがこれまたすごい演奏をするんだ。ミュージシャンの世代の幅も広がって、昔よりかなりブラックもホワイトも一緒に演奏しているね。おれが見たところ才能がある若いミュージシャンもとてもたくさんいる。おれらは名前はすぐに出てこないけど。でもよくないことも見つけてしまった、若いミュージシャンへのバンドスタンドから名声を得る機会が無いことだな。おれがElvin Jones, McCoy Tyner, Art Blakeyとかにいろいろやってもらったことみたいな。New Yorkでそういうことができたらいいと思ってるよ。

以上です。

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