Jackie McLeanインタビュー(2000)3/3
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SL: Birdの演奏ですごいところのひとつは現在でもフレッシュさとモダンな感じを保ってるところだよね。そうでしょ?特にライブレコーディングはものすごい。
JM: Aw, man. 間違いないね。
SL: たくさんのレコードを持ってるけど,,,Birdのようなプレイが特に好きなんだ。もちろん "リズム" チェンジとか,,,,,,
SL: Aw, すべてさ。ベストな例えはBirdがRoyal Roostで行ったレコーディングさ。
SL: Yeah, その通り。
JM: あのライブレコーディングはすげえよ。そうだろ?当時、際立って変わっていたのがあるんだ。Harlemとおれが住んでたHillにはミュージシャンがたくさんいた。4つの区はそんな感じだった.... いまみたいな感じじゃないよ。現在はおれがやっていた頃よりもかなりたくさんのアーティストがいる、50,000人以上いるんじゃないの?
SL: Yeah.
JM: 当時の4つの区には良いミュージシャンが何人かいたんだ。皆がBirdの新作を待ち焦がれていたんだ。... ドキュメントみたいなもんさ。ある期間はそんな風潮。
他の誰も手を付けてないものにアクセスできるなら、素晴らしいものを得れたんだ。ほとんど軍事諜報みたいなものだよ。わかるだろ?
SL: Yeah, そうだうな。
JM: BirdlandからBirdのプレイがラジオで生中継された夜、おれが住んでるとこから道路を挟んだ場所に住んでる男がワイヤーレコーダーを持っていて、その放送をまるまる録音してたんだその放送の一部は今レコード化されている。Symphony Sidが聞けるレコードだよ。わかるかい?
SL: Yeah, あれは退屈....
JM: Yeah, でも当時はグレートだったんだ。近所の人間はみんなワイヤーレコードを持ってた男の家に行って彼からそれを2ドルで買うんだ。
Birdが「Be-Bop」と「Big Foot」「Groovin' High」などを作りだした夜、おれも皆と同じように録音を買い取ったさ... 家に持ち帰って聴くんだ。"Oh, shit, man." って口にしたっけ。
おれはそのBirdのプレイを紙に書き起こしたよ。その後ネイバーフッドの外までセッションしにいって、Birdの演奏をコピーをやるんだ... 彼らはそれを聴いておれのオリジナルなのかを考える。Sonnyもそこにいたよ。おれらHillの人間はみんなラジオで放送されたBirdの音源を持ってた。あれはおれらの大きな助けになったよ。おれらの秘密兵器みたいなものだった。
おれらのグループにいた人間、Kenny Drew, Arthur Taylor, Sonny Rollins, Lowell Lewis, Andy Kirk Jr.はBirdlandの録音や、Royal Roostのレコーディングを持っていた。すごいだろ。おれらはこいつを演奏しに区から区を駆け回ってたんだ。
当時はMax RoachがBrooklynのゴッドファザーみたいな存在だった。彼にはChess Clubっていう場所があって、おれらは毎週金曜の夜になると、こぞってそこに行っていた。
そこではジャムセッションが行われていたんだ。Maxもそこにいたし、Brooklynの素晴らしいミュージシャンが全員集まってた。Randy Weston知ってるだろ?彼はBrooklynの男だからね。あとErnie Henryも。
SL: Ernie HenryはBrooklynにいたの?
JM: Yeah. Ernie Henryはそうだよ。他にもCecil Payne... Duke Jordan... みんなそうさ。Willie Jonesも。多くのBrooklynの若いミュージシャンもChess Clubのジャムセッションに集まってた。Sonnyもおれらと一緒だったよ。みんな本当にエキサイトしてた、Sonnyは演奏で場を支配するからね。驚愕だよ。
SL: Sonnyは今でもそんな感じじゃん!あなたの60年代、70年代、80年代に手早く触れていきたい。
JM: Uh huh.
SL: その時代でぐいぐいキテたサックス奏者のことについては話そう。60年代ど真ん中にあなたに影響を与えたサックス奏者について.... Trane以外でお願い。
JM: Chicagoのアルトサックスプレイヤーだな。Sonnyがおれに話してくれた人でさ。おれがMingusと一緒にChicagoに行ったときに彼の演奏を聞くことができた。
その演奏はおれにとってすごくインスパイアリングなものだったよ。なぜなら彼の演奏の仕方が好きだったから。彼はおれをひとつのモデルにしてたみたいだけど... おれとBirdをね。
SL: 彼にはあなたの影響下にある伝統的な考えがあるんだと思う。
JM: Yeah, ある意味そうだ。だけど他にもいくつかのアイデアをもっていた..... 説明できないけど、彼は自身のノートと独自のモノに関してとても素晴らしいテイストを持っていたよ。
SL: Yeah. あなたの作品のMosaicボックスセットのライナーノーツの中で、あなたの演奏スタイルはTraneから影響を受けていると書かれていたけど、間違いではない?
JM: Oh yeah, man. その時を覚えてるよ。おれは人々にあんな感じで知ってもらわなくちゃいけない。
おれはTraneを聴いていた。彼はあDizzyのバンドで働いていたし、アルトを演奏してたんだ。おれが足を運ぶすべてのショーでソロをやってたのはLittle Birdだと思う。
SL: Uh huh.
JM: Yraneの演奏パートはほんのちょっとしかなかったしソロパートなんてなかったよ。おれはあのバンドでアルトを演奏するTraneを聴いてない。いつも... Little BirdやJmmy Heath...
SL: Right. Right.
JM: New YorkでTraneの演奏を聴いたとき、彼はテナーサックスを演奏してた。それはMilesがAudubon Ballroomで彼を抜擢したときだった。TraneとSonnyが一緒に演奏してたよ。
SL: Yeah.
JM: おれはTraneにもの凄く感激したけど、おれにとってはSonnyのほうが素晴らしいサウンドだったんだ。Sonnyのサウンドはよりオリジナルだったからね。当時のTraneはSonny StittとDexterのいい演奏みたいなサウンドだった。おれがSonnyを楽しんでたのもすこしあるんだけどね。
おれが'57年のBohemiaでMilesバンドにいるTraneのプレイを聴いたとき、ちょうどTraneがヘロインをやめた時期だったんだ。彼が軍隊に徴兵されている間みたいに毎晩働くようになる時期でもあった。それは誰でもやれるなんて口が裂けても言えないことだよ。
SL: Yeah, あなたが人々が知らなかったこととして話したことを覚えてるよ。
人々は "なぜMilesはバンドにHank Mobleyを引き入れなかったのか?" って言ってたね。
JM: Right. 間違いない。Traneは毎晩具合悪いかったり、飲めるだけ飲んで酔っぱらった状態で来ていたんだ。その後彼がステージに立ったとき、彼の衣服は酷くしわくちゃになってたんだ。Traneは同じ服で寝てたからね。
これは4th nightについてだよ。彼らは火曜と金曜の夜に店を開けてたんだ。クラブが人でパンパンだったとき、Traneが例のように同じ服で店に入ってきたんだ、においも相当キツかったよ。MilesがTraneをじっと見るんだ... そしておれは彼の演奏を聴いてわかった。彼の演奏には彼の感じる痛みや、肉体的な不満、すべてが含まれていた。ほとんどJesusみたいな感じだったよ。ある意味で宗教だったな。Jesusが復活して洞窟から岩が転がり出てるみたいな感じさ...彼は狂気的だったってこと。彼らはMilesの曲をプレイしてたんだけど、TraneはMilesとやるとダメになってしまっていた。Milesとやるメロディーはスムースじゃなかった。
でもTraneがソロをやると、彼のバンドは32小節ぐらいTraneを囲んで曲をやるんだ。(リズムを口にする)"Dang-Dang- Dang...Dang-Dang- Dang... " って感じ。わかるだろ?Traneはサックスをめちゃめちゃ吹きまくる。彼はただ曲をやり続けることができなくなっていたし、彼のサウンドはどうにかして作りだしたような感じだった。彼がバッドなノートを出した時、あたかもそんなことが無かったようになるんだ... 曲中に変化などすべてに関することが何もないんだ。でもスウィングしてるんだよ!その後彼はチェンジに原点回帰したけどね。おれは自分の口を開けて演奏してたら、人々がおれのところに来てこう言うんだ "Man, なぜMilesはHank Mobleyをベンドに引き入れなかった?"
おれはこう答える "お前は頭おかしいのか?ここでなにやってるのか見てないのか?" ってね。
"Aw man Traneは完全に酔っぱらってやがる。"
でもおれはこう続ける "おまえは彼のプレイを聴いたのか?"
"Aw man 彼は悪くないんだけど.. 彼のサウンドが..."
"Man, 彼らの何が悪い?"って風におれは言ってやるのさ。
Johnがおれに会った時はこんな感じだね。
SL: 彼はあなたの考えを多少なりとも変えたんだね。
JM: おれらは互いに意識し合っていた。なぜなら彼はおれが目指しているものを演奏していたからね。わかるか?おれが最初にBirdの演奏を聴いたときみたいだよ。Birdはおれが聞きたかったモノを演奏してたのさ。おれはアルトが嫌いだったんだけど.... アルトが嫌いだったんだ。
前はクラブが閉まっていたから、おれらは月曜オフだったんだ。火曜に戻ってきてJohnはシャワーを浴びて服を着替えていた。彼は度数の高いウイスキーをガバガバ飲む代わりに少しだけビールを飲んでいた。そのころにはコルトレーンのプレイはせん妄状態から集中力の高いものになっていたよ。Milesとだってきっちりメロディを演奏していた。そうだろ?
SL: Right.
JM: 他にあんな演奏は無かった。何が起こってたのかがわからない... 彼は錯乱状態だった。おれは25年先彼が演奏するすべてを聴いたと思っている。
彼が酒やドラッグをやめて音楽一直線になったのさ。25年間の期間で徐々にね。
SL: 想像だけはできるよ。彼がキャリアを通してやり続けなきゃいけなかったことがさ。あんな風に薬物を急に絶ってまでやろうとしたことをね。
JM: 彼はオーディエンスの前で演奏しなければいけなかったんだ!
SL: Yeah.
JM: 彼はまるまるプレイしてたからね。おれはクラブでのTraneとMonkのレコーディングをゲットしないといけない。持ってる?
SL: Five Spotで彼の奥さんが作った一枚なら持ってる。音質はかなり悪いと思うよ。でも彼らの演奏を捉えたものだからね。その後スタジオアルバムが出たよね。ライブ盤はBlue Noteから出ている。
JM: Blue Noteから?
SL: Yeah, 誰でも買えるともおもうよ。
JM: Oh, OK.
JM: 変な感じだ。今まさにとても変わった時期だよ。man. たくさんの才能ある演奏できるキャットがいるけど、彼らは新しいレコーディングでこれらを使わないんだ。このことについて今週のBruce Lundvallに話す準備はできている。おれは彼に話すぜ。"皆がこぞってやるシットにウンザリだ。" ってね。
(Steve Lehmanによる加筆: MCLeanはBlue NoteのアーティストであるEric Truffaz, Us3, Richard Elliotたちとのレコーディングについても言及した)
JM: ここには良いプレイヤー、人がいるね。
SL: Jimmy Greeneはめっちゃいいね、あとAbraham Burtonも。Louis HayesのアルバムでテナーサックスのAbeを聴いたんだけど、マジでいい。
JM: Oh, yeah, man. 彼はすげえハードに演奏する。Antoine Roneyもね。
SL: 最近Antoine Rodneyを聴いてないな。
JM: Ooh... shit. Wallaceとやって「The Village」っていうレコードがあって、それめっちゃいい。
でもいい音楽はたくさんあるからね。おれは自分が演奏しようとしてることに付け加えつづけるんだ。それと音楽的なもの、アンテナに飛び込んでくるものにオープンでいること、影響を受けるようにしてる。
コピーとは違うよ。だっておれの演奏のコンセプトは既におれができないものをたくさん取り込んでるからね。昔から現在、みんなが想像できることから、"Aw, man" ってなることまで... 人はどう特定のモノをゲットするのか知らないんだ。そしてそれをゲットした誰かの演奏を聴いたときこう言うんだ "Oh, これこれ!" ってね。
SL: あなたが向かいたい場所へのロードマップみたいだね。
JM: Yeah, これがすべてさ。
SL: でも私たちがあなたについてフィールする理由がそれだよ。あなたたちは毎年12月にVanguardを演奏し続けているね。僕たちはあなたたちの演奏を聴きに行くよ。そこで僕たちは興奮と落胆の狭間にいるんだよ。"Aw man, おれは今そぎ落とさなければいけないな。" って感じ。
JM: (笑)あれがみんなとのやり方なのさ。あれは素晴らしいし、おれを盛り上げてくれるものでもある。人はショーの後家に帰ってこう言うんだ "Aw, man. おれはどうやったらあれができるんだ?"
SL: 僕にとってもあなたがのめり込んでいることの可能性にエキサイトするサイクルが絶対にあるんだ。
JM: おれはマジでSonnyと一緒にツアーに行きたい。たくさんのコンサートを彼とやりたいんだ。クインテットみたいのを作ってさ。おれらは一緒のとこから出てきたからね。わかるかい?おれらはBeacon Theaterで一緒に演奏したし、それが過去にやったツアーみたいに感じる... あなたはそこにいた?
SL: おれはそこにいなかったけど、そのテープは聞いたよ。Jimmy Greeneから聞かせてもらった。
JM: それが初めてSonnyとおれが一緒に演奏したやつなんだ... oh God... めっちゃ前じゃん。とてもナチュラルだったよ。ただナチュラルだったんだ。愛なのさ。おれが彼を引き立てることができることを彼が良く感じてることは察知できる。楽器で彼に話しかけるのさ。楽しかったな。誰もこんな感じのことはできない。man...
SL: 夏にあなたたちが互いに同じようないくつかのフェスティバルみたいのをやれたのかどうかが気になる。
JM: No. これは多くのモノのミクスチャーさ。まず最初にSonnyはちょっと違う。Sonnyは特定のモノ、特定のやり方が好きなんだ。多分あれは彼がやりたいことじゃない。なんでそうじゃないのかを想像できないけど、Sonnyは違うんだ。
'49年に彼が行ってしまったこと、彼がやったことも理解してるよ。彼はBirdのレコードを持って行って、それと一緒に帰ってきた。蝶みたいだったよ。わかる?さなぎの状態で出発して、美しい蝶になって帰ってきたんだ.... そういうことなんだ。
SL: これが最後の質問、僕はTyrone WashingtonとNorman Connorsと行った1968年のセッションについて言及したからね。あれはフリーだったけど、あなたが指揮を執っていた。あのセッションはリリースされてないね。
JM: Yes. Right.
SL: このセッションの指揮、グルーヴなどのアイデア。あなたはほんの少しだけクラスでそれらをやっていたよね。
JM: Yeah, uh huh.
SL: あれは本当に僕の目を覚ませるようなものだったよ。なぜならAnthony Braxtonのグループで演奏しているから... シンプルなことじゃないけどいろんな意味でね。彼の音楽は多分に僕たちが互いに与え合うことができるとても複雑なキューに基づいている。だからいろいろなことが起こり得るんだ。彼が求めようが求めまいがおれらは曲を共に演奏することができる。彼はColtraneの「Ascension」のレコーディングの背景や、Coltraneのディレクティングについていつも話している...
JM: ディレクティング yeah...
SL: あなたが同じくそれをやったことがあると言ったとき、"Oh, ok, 進化だぜ。" って感じだったよ。
JM: Right.
SL: やってることについて話してほしい。僕はミスリードのようなことはしたくないからさ。
SM: ええと、おれがやっていることはとても面白いよ。あんな感じのデイレクションみたいなもんさ。おれは十分にリハーサルした自分のリズムセクションが欲しかった。だから今彼らはどこでもおれに追随できるし、ディレクションの下でいろいろなことをやれるのさ。言い換えると、幾つかの合図、あらかじめセットされた合図は特別なサウンドになっていくんだ。わかるか?それをやるためにドラムはリズムをセットして、そこから他の楽器が繰り出したりいろいろだね。
おれらがTyroneとのレコーディングをやったとき、Tyroneはおれに1,2個のチャートを書いてくれた、Woody Shawも同じことをやってくれた、Bobby Hutchersonも。ディレクションとしておれはこれからやるノートをいくつかのスケッチにして表した。それからおれらはこれからやる音楽のテンポのアイデアを共有したのさ。そしておれは彼らに一回につき一つのホーンのような感じでメロディをやるようディレクションした。入ってくるよう指示したりね。ベースだろうが何だろうが指示したよ。わかるかい?グレートだったよ。man.
SL: Yeah.
JM: まるで彼らを楽器になっておれが即興してるみたいだった。わかるか?素晴らしいことだよ、楽しかった。
あとおれはあのセッションをまだ聞いてないな。
SL: 本当?
JM: 一回も聴いてないよ・
SL: いつの日かリリースされるといいね。Mr.McLean このインタビューは本当にスリリングだったよ。
JM: Aw man, こちらこそ光栄だよ。
以上です。
全編通してバップ時代のビッグネームの話が主でした。
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