Booker Little記事(1970)
今回はBooker Littleの記事を翻訳しました。
全編通してジャズに根付く従来の考え方と様々な考え方のすり合わせについて話している感じがしました。
読みにくい部分があるかもしれませんが、ご容赦ください。
翻訳元の記事↓
それではいきましょう。
==============
(この記事はJazz&Pop Magazineで1970年に掲載された記事である。Littleは1961年に亡くなった。何か月か後の当インタビューはMetronomeにて出版された。)
Booker Little。23歳の作曲家、アレンジャー、トランペット奏者(順不同。どの肩書も彼にとっては等しく重要である。)は最近、レコーディングやMax Roachのグループの音楽ディレクター、約束された才能として頭角を現しだしている。
彼と同世代のジャズプレイヤーの多くやLittle自身は音楽学校の産物だ。
彼はかけがえのない存在になるための経験を積み、様式化されたコンセプトを紐づけがちだということを発見し、感情を犠牲にした音楽制作の側面における度が過ぎた強調の結果も理解した。
"おれのバックグラウンドはずっと様式化されている。"
彼は言う "おれが急進派にはなってない理由がそれなのかもしれない。今のおれのアイデアとテイストはある程度そうなってるかもしれないけれど。
音楽においてエモーションの側面は最も重要だと思うんだ。おれや多くの人間はずっとそれが課題だし、技術的な面にも力をいれている。
学校でどう演奏するのかを学んだとき、それは難しいことではない。これはなぜ多くのトランペット奏者がClifford Brownのようなサウンド一辺倒になるのかという一緒だと思う。今のプレイヤーが彼を真似しているとみんなは言うよね。ある意味真実だし、他方ではそうではない。"
"Cliffordはとてもわかりやすく上手な輝かしいトランペット奏者だ。彼はFats Navarroから受け継がれたランペットの演奏を始めた。
ビッグバンドのサウンドをやる限りではトランペットを明瞭に演奏してトップからボトムへ均等なサウンドをだすんだ。おれのように学校で音楽を始めたほとんどの若いやつには講師がいて 'Okay, 大きい音を出さないといけない。' とあれこれ指示するんだ。
最終的に音楽学校の生徒はMiles Davisのような美しいジャズサウンドに行き着くぜ。彼らはレッスンをしくじるんだ。その後他の誰かに向けてスタイルの舵を切るのさ。それがCliffordみたいなプレイヤーだってわけ。
Donald Byrdは学校で学んだトランぺッターだ。彼はその現象から離れている。彼は決して自分の考えを捨てたりすることはできないだろうな。"
1938年4月2日、LittleはTennesseeのMemphisで音楽一家に生まれた。父親はBaptist churchバンドのトロンボーン奏者、母親は教会のオルガン奏者だった。Littleの姉は一時期London Opera Companyで歌を歌っていた。Littleは高校のクラシックマーチングバンドで演奏を始めた。
"最初、おれはクラリネットに興味を持っていたけど、講師はおれにはトランペットがベストだと感じたんだ。なぜなら彼はトランペット奏者を必要としていたからね。
当時のMemphisではジャズレコードはとても少なかったけどジャズに興味を持っているやつらがたくさんいた。George Colemanもそのひとり。彼は町一番の先進的な人間だった。おれのいとこであるLouis Smithもいたね。彼らはジャズを聴いていた。Georgeと同じ高校だったからおれはGeorgeと親しかったよ。彼はレコードを売り始めるくらい頭が良かったっけな。おれは14, 15歳ぐらいだった。彼がおれに音楽を始めさせたようなもんさ。
卒業してからおれは街のいくつかのグループで演奏した。おれはChicago Conservatoryに通った。Chicagoの人間はおれに音楽への素晴らしいキッカケを与えてくれた。彼らは常に抜きんでていたからね。"
音楽学校でLittleはトランペットを専攻し、副専攻にピアノを選んだ。彼は理論、作曲、オーケストレーションをも研究した。
19歳になったLittleはSonny Rollinsを通してMax Roachと出会った。RoachがLittleをレコーディングに呼ぶのに時間はかからなかった。そのころに彼は学校をやめる決意をしたという。
"クラシックミュージシャンが関わっている限り学校にはおれがやれることはそんなに多くないと気づいたから中退したんだ。"
レコーディングは最終的にRoachクインテットに関するレギュラー仕事をもたらすことになる。その仕事はLittleがNew Yorkでフリーランスになるために不在になる1958年まで続いた。
後期のLittleはJohn Coltrane, Sonny Stitt, Slide Hampton, Ed Shaughnessy, Teddy Charles, Mal Waldron, Abbey Lincolnなどとgigやレコーディングを敢行、United Artistsのアルバムにも参加した。1960年代初頭に再びRoachと合流する。
一方でLittleはずっと彼自身のグループをつくる可能性を考えている。このレパートリーは彼の作曲以外を構成するだろう。
"おれはやり方を見つけ出したと思う。自分の楽器を演奏したいし、今はサウンドに集中したい。サウンドを構築したいんだ。"
現在、LittleはCandid Recordsと協定を持っている。彼がEric Dolphyと制作したアルバムでは彼の作曲全体の指揮を執っていた。
我々が話した時点ではLittleはColeman Hawkinsをフィーチャーするアルバムでオーケストレーションで仕事をした。
"自分が今何をどれくらいやりたいのかを反映する作品はCandidのアルバム以前にはそんなに多くないと思うよ。"
Littleが作曲家として成したかったことはこれらに限られることではない。それは彼が名付けた「正統な作曲の側面」の知識と関係する。
"クラシカルミュージックがどう組み立てられるのかを分からないやつらは間違いなくダメだね。これは絶対的な基礎さ。みんなが 'これはこの種類のフレーズで、これはこの応用さ ' と言わなければいけない場所で語られる必要は無いと思う。
頭のどこかでクラシカルミュージックの考えを保つべきだけど、それ自身のアンサーや他の何かをリードする以外にフレーズを捨てるのは違う。
例えばおれはコードを知っていて、それを演奏するピアニストが欲しいとするじゃん。おれは彼にそのアイデアを与える。だけど他の楽器のミュージシャンはそのコードを演奏する必要は無い。
ほとんどの人間が完全に慣習に囚われている。彼らは 'おまえあそこで間違えたノート出したと思うよ' って言うけど、おれは間違ったノートなんて思えないね。"
"実際、おれは間違っているノートを聞かない。
これはノートのまとめ方とそれらの解決法を知ってるかの問題なんだ。なぜならもし2つのノートのどちらかが間違っていると主張するなら、おれはそいつが完全に従来的、技術的な考え方をしていると思うからさ。
あとエモーションを忘れているね。エモーションを重んじることに反対する人間が全音符と半音で構成された演奏をする。従来の全音符のやり方の外側を表現することだったりに達することが不可能だと言ってるわけじゃないよ。フラットで演奏されるノートによって表現できるエモーションはある。でもフラットを演奏する。それはAじゃないしBフラットでもない、その2つの間の音なんだ。そこで音を使うことができるっていうのがもの凄い価値だと思うんだ。Bフラットに対してBナチュラルをぶつけるみたいな。"
"おれはサウンドに対してサウンドを置くことに興味があるし、フリーダムへの興味もある。でもおれにはきっちりしたカタチへのリスペクトもある。
一緒のセクションは時々演奏できると思う。ソロイストを制限しないベーシックアンダーサウンドとかね。歌うコーラスがどれだけいるのかをソロイストに話す必要は無いだろうな。
' しばらくブロウしてくれ、自分のストーリーを作ることにチャレンジするんだ。なんとかしろ。' って言えばいい。おれがCandidのレコーディングでNat Hentoff(プロデューサー)に書いた曲は完璧だったぜ。 アンダーボイスがモチーフを演奏して、おれはそのサウンド上でただ即興をやった。間違いないムードがあったよ。そのムードはおれがトランペットで出しゃばることを認めなかった。"
"たくさんの人が新しいディレクションのことをカタチを破壊しなきゃいけないと思っている。それを感じている人はクラシックのカタチとジャズを繋げるべきだ。クラシカルとジャズには近しい関係がある。
でも必ずしもいろんなものを繋げるためにクラシカルなテクニックを用いる必要は無いと思っている。多くの人がそれに走る一番の理由は作曲に関してジャズが発展していないからさ。
普通、12小節区切りで書かれて、皆が自身の演奏をする。個人的には新しさと何か違ったことを両立させる必要は無いと思う。自覚的に違ったことや新しいことをやろうとする努力は自然な努力には及ばないと思うね。"
"自分の作品では、おれは不協和の可能性に特に興味がある。和音だったら小さくまとまったサウンドになるんだ。もっと不協和音でビッグなサウンドにって具合だな。ホーンをもっと押し出したサウンドでさ。実際、そこにどれだけ音があるのかとかいつも話せないよね。変化はより大きくなれる。不協和音はこれらを達成するツールなのさ。"
LittleはCharles Mingusの作曲に感銘を受けている。
"彼はリズミカルな考え方をしている。リズムを壊す面がおれに興味を持たせてくれたんだ。作曲に関して彼は間違いなくジャイアントのひとりだ。もうひとりのジャイアントであるDuke Elingtonから生まれたのさ。
Dukeはおれのお気に入りの作曲家のひとりだ。彼はサウンドで奮闘していた。絶対にぶれない男さ。彼の音楽性はいつも彼の音楽だと認識させる力がある。
Slide Hamptonが彼自身のエゴよりも他の理由で作曲するとき、おれはとても感動するんだ。Slide Hamptonはとても素晴らしいマインドをもっている。Gunther SchullerはAtlanticのレコーディングでOrnette Colemanと素晴らしい作曲をしていたと思う。"
トランぺッターとしてのLittleは早い段階でClifford Brownから影響を受け続けていたことを認める。
"Yes. ある程度はね。おれは影響があったことが怖いんだ。おれは影響下にある自分を排除したと思うよ。
ChicagoのYMCAに住んでいた頃を思い出すぜ。Sonny Rollinsもそこに住んでいた。練習する地下室に行かなきゃいけなかったし、彼は昔のおれがClifford Brownのレコードを聴いていたのを知っているよ。おれはClifford Brownのレコードを何度も何度も聴いていた。そのせいでSonny Rollinsを怒らせたこともあったと思う。彼は彼自身の練習をしたかったのにおれがレコードばっかり聴いていたからね。Rollinsはおれに何をやっているのか尋ねてきたから、おれは彼に 'おれはこのメロディを学びたいんだ' と言った。そしたら ' 実際に観に行くのがベストだと思うぞ、だってもしレコードで彼の演奏を聴き続けたら、レコードがすり減って音が悪くなるじゃん。それに同じ演奏を聴き続ける羽目になるよ。' って言われた。彼が言ったことは絶対に忘れない。まぁClifford Brownのレコードは聞き続けたんだけどね。
何が起こっているのかを見つけ出す限りおれにとってBrownieは最も仲良くなりやすい男だった。彼自身のラインを演奏する彼が好きなんだ。"
Littleはソロで同質のムードを置くことに夢中になっている。
"Birdが始めたメソッドの結果としてのジャズソロは大いにテクニックに結びつき始めた。
Birdや他の人間はかなりのエモーションに到達した。彼らはほとんどの後続のソロイストよりもはるかに高い位置にある。Sonny Rollinsは同じ境地に達している。多分彼はBirdたちの演奏を肌で感じていたからだろうな。
Rollinsは彼らの演奏を聴くだけじゃなく、'これはAメジャーかDセブンスだな' っていうレベルで彼らがやっていたことを直接聴き込んでいた。彼らの演奏から感じられるエモーションをね。
おれが学んだことを学ぶ男がいるだろうな、例えばブリッジの最初のコードがAマイナーセブンなら、その人が最初にやらなきゃいけないことはAマイナーセブンのすべてのノートを見つけ出すことさ。それを演奏することに関して、そいつはすべてのノートを出せるか確認しないといけない。これが重要だと思うね。ムードを保ち続けることとどっちも重要なんだ。"
"「Blue Monday」を演奏するとするじゃん、演奏を始めたらガミガミ言うことは無い思うんだ。でも繰り返すと、その人は演奏の技術面にとても紐づいてしまうんだ。これって同じことを繰り返しやすいんだ。
Miles Davisは誰もができるだろうというレベルまでトランペットの演奏をミニマムにした。でも多くの人は彼のことを誤解している。
' Milesはトランペットを演奏できない ' とか言う人がいるけど、彼はファンタスティックなマインドを持ったファンタスティックなトランペット奏者さ。MilesはAマイナーコードの感動を与えるため、バンドが欲しているムードを得るために、Aマイナーコードのすべてのノートを使う必要が無かった第一人者のひとりだ。"
"トランペットには使われるエリアがたくさんある。彼らはそんなトランペットの演奏のちゃんとした終わりと関係が無いことはやっていない。
ノートの間にたくさんのノートがある。かれらはそれらを「クォータートーンズ」と呼けど、それらは本当はクォータートーンズじゃない。
ノートってのは上から下まで440個あるんだ。これがMilesがたくさん使っているもので、彼がこのことについて考えているのか怪しく思うよ。"
影響の結果としてClifford Brownは若いトランペット奏者の才能を開花させた。Littleはその呪縛を壊し去り、個性を見つけ出す必要がある深刻な問題が存在すると信じていた。
"この問題はトランペット奏者に限った話じゃない。それにこれはおれがOrnette Colemanや今シーンに出てきている人間をとても良いと思う理由さ。
Ornetteは自身の音楽に関するアイデアを持っているけど、それがOrnetteを語る上で正しいと思わない。彼の音楽が持っているものや、足りないものについて話すのは大丈夫だと思うよ。
おれは彼がやっていることよりも良い音楽を作る因習的なアイデアを持っているし、彼がやっていることについておれは明確に理解しているとはずだ。Ornette Colemanがやっていることは素晴らしい。誠実な努力だ。彼がやっているのは足裏にペンキをつけて、キャンバスを色づけるみたいな感じだね。もし彼が本当にそういう風に感じていたらそういうことだ。"
"純粋な知見から音楽をやる人間と、純粋なエモーションの面から音楽をやる人間がいるとするだろ?時々、両者は同じ地点に達することがあるんだ。BirdはOrnetteより知見に基づいていた。Ornetteは彼がフィールするものを演奏していると思う。ここで言っておきたいのはおれはどっちにも価値があると思ってる。
Ornette自身がCharlie Parkerの価値を持ち合わせているとは思わないけど。Birdは従来の音楽すべてを利用していた。そこからすべては発展したんだ。OrnetteはBirdのようにすべてを利用していないと思う。OrnetteがBirdの演奏を聴いていることはわかっているよ。Ornetteがやっていることはジャズの未来の一部だと思うぜ。"
"ジャズを普段聞いていない人間のほとんどはジャズのことをとめどない音の洪水みたいに言うだろうが、この音楽はおれがフィールできるものなんだ。普通じゃ表現されることのできないたくさんのエモーションがある。人が表現したいフィーリングは限られているし、そのエモーションはビートがあろうとなかろうと良く反映できるだろうな。
今までは、悲しみやムーディーを表現したいならブルースを演奏しただろうが、他の方法でもできるってことさ。"
Littleは自分の状況を他の方法を探っている時期だと考えている。彼の正統性が彼の根深い教養に従来の教えを残していくのかどうかは関係ない。
Littleは彼の音楽をダメなしたり、制限したりすることよりも自身の豊饒な教養を肥やす方法を探し出そうとしている。最新の作品は彼のスキルの成長と本当の功績を達成する演奏者、作曲者としての自身の証明である。
以上です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?