Sly Dunbarインタビュー(2017)
今回はレゲエドラマーSly Dunbarのインタビューを訳しました。
翻訳元の記事↓
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Lowell 'Sly' Dunbarはジャマイカで最も評価が高いドラマーである。
レゲエドラマーがロックでいうギタリストと似たような役割を占めるようになった1970年代にSlyは頭角を現した。プロデューサーやアーティストの誰しもからバンドのサウンドに求められる彼は80年代にプロダクションデュオSly&Robbieのひとりになった。Slyはレゲエ、ダンスホール、幅広いポピュラーミュージックに革命をもたらした。
リズムを作ることにおいて、Slyよりも長年にもわたって人々に影響を与えた人間は他にはいない。しかし彼はレゲエドラミングについて話すチャンスがあまりなかった。
Angus TaylorはRed Hill RoadにあるスタジオにいるSlyに連絡した。同じKingstonの大通りにあるその場所はSlyがベーシストRobbie Shakespeareとプレイすることを決めた最初の場所である。一般に彼はドラムマシーンで忙しくし、Anthony RedroseとBunny Brownとのプロジェクトを進めている。Michael Frantiにミックスを行っている。
この議論では前もって準備された質問はなされていない。ジャマイカンドラミングのパーソナルな歴史とSlyに影響を与えたドラマーを探った。
イ: あなたに初めて大きな影響を与えたジャマイカンドラマーは誰?Lloyd Knibbs?
SD: そう、Lloyd Knibbs。当時はJoe Isaacs, Fil Callendar, Mikey Boo, Bunny Williamsのような人々がいたんだ。Bunnyは亡くなってしまったね。Carly BarrettとWinston Grennanもいた。こうした人たちがメインのレコーディングドラマーだったし、おれは彼らをずっと聴いていた。
イ: Lloyd Knibbsはドラムをハードに叩くって評判だったよね。それは的を得てる?
SD: おれはそうは思わないな。だって彼がハードにやっていたなら、あんなロールはできないだろ。それに甘美なサウンドなんだ。なぜなら彼はリストロールみたいなのに根詰めてやってたから。だけどLloyd Knibbsは必要のないロールは絶対にプレイしなかったのをおれはわかっている。彼がリズムを固めたとき、本当に締まるんだよね。
イ: 彼のどの曲があなたに衝撃を与えたの?「Addis Abba」?
SD: それもひとつだね。Lloydはその曲を通してずっと正しいひとつのパターンを演奏していたのが理由だよ。
彼は一般的なスカはプレイしていない。"Boy, こいつはヤバいぜ。これは神から遣われたドラマーに違いねぇ" って言ってしまったよ。彼はその中でアフリカンドラムもプレイしてた。出だしのスペースはビートの着想のためのものにフォーカスされていたんだ。彼は小難しくして理解されないことを避けたかったから、特別な演奏をしようとは考えなかった。Lloydはパーフェクトな曲にパーフェクトなビートを思いついたのさ。
イ: あなたが最初にドラムをプレイしたのはいつ?
SD: 学校に通ってるときはドラムはやってなかった。おれとWilliamsは机をたたいて歌を歌ってたよ。13歳か14歳あたりまでドラムはやってなかった。Yard BroomsっていうバンドでプレイしていたMikey Booをおれは友達は観に行ってた。Mikey Booがいなくなってからそこでドラムを始めた。同時に演奏のことを学んでたんだ。
イ: 初めてドラムセットでプレイしたのはいつ?
SD: あるバンドがリハーサルしてた夜に初めてドラムセットを叩いた。友達と一緒にやったね。おれがドラムセットに座ったら、一人の男がシャウトしてたのを覚えてる。まるでおれが釣りしてるみたいだったよ!
イ: Ansel Collinsと出会ってレコーディングをするようになった経緯は?
SD: Ansel CollinsはOlympic Wayらへんに住んでたんだ。彼はBobby Aitken周辺のミュージシャンのひとりだったし、若いころから多くのセッションを経験してる。
おれはAnselとRnchieとリハーサルに行った。Tin Legがドラムをやってたな、彼はヤバいドラマーだった。Tinがどこかに行ったらAnselが "ここに座って演奏しろ" と言ったんだ。だからおれはプレイした。おれのやり方をAnselは気に入ったと言ってたよ。
多分二週間ぐらい後だと思うんだけど、Anselから "おれと一緒にセッションやってくれない?" って誘われたんだ。"まじ?レコーディング?" って言っちゃった。そんなこんなでFederalに行って、おれらは「Night Doctor」って曲をレコーディングしたんだ。その曲はUpsettersとしてリリースされたよ。プロデュース•作曲はAnselとRanchie。ちゃんとヒットした。当時、おれはKelvinatorで冷凍室の仕事を学んでいた。そこで働いていたほとんどの人間がおれが音楽をやってることを知ってたよ。金曜になるとバンドがリハーサルしている場所に行ってプレイしてた。
その後Anselがおれを呼んでこう言った "これを聴いてみろ" 彼は口でピアノのフレーズを言って見せた。おれは "Wow!" って感じだったよ。それから彼はベースラインを口で演奏した。"良い感じだ" と言った。そしたらAnselが "リハーサルに行ってこいつをカタチにしようぜ" と言った。それが「Double Barrel」になったのさ。
おれとAnselはリハーサルの後、毎晩徹夜で作業した。一週間ぐらい経っておれらはLloyd ParksとBobby Aitkenにそのことを話した。彼らは必ずそれをプレイして "これはすごいな" と言ったよ。Anselは時間を作って、おれらは演奏しに行ったんだ。そのセッションではWinston Grennanもプレイした。なぜならおれらは彼のドラムセットを借りなきゃいけなかったからね。おれはドラムセットを一つも持ってなかったから、おれと彼で二曲ずつやったんだ。おれはLloyd Knibbsが創り出したフライングシンバルをプレイしたのさ。
イ: 「Moonlight Lover」でね。
SD: Yeah. Bobby Aitkenとね。彼はそれを聞いたことが無かったと思う。彼は "おまえがプレイしてるのは何だ?" そしてAnselはBobbyに "彼に絡むな、リハーサルなんだ" と言った。Bobbyがまたプレイするときに言った "なんてこった、この少年はヘビーなプレイをしてやがる。Winstonより良いんじゃね?" Winstonはタバコを買いに行ってたからね。Winstonが帰ってくるとBobbyが "Winston, この少年おまえよりヘビーだわ" って言ったんだ(笑)Winstonはキレてドラムを叩きだしたよ!そのときにドラムはハードに叩かずにただトーンを意識することを学んだんだ。"ああいう風にドラムを叩くことは単純だな" つて思ったな。
おれが「Double Barrel」をやったとき、おれは "Ansel これはミリオンセラーになるぜ" と言った。みんなそれを笑ったけどAnselは決して笑わなかった、なぜならAnselはいつもおれの味方だったから。おれはちょっとした彼の助手だったのさ。
翌日、おれとAnselはスタジオに戻ってリード楽器をレコーディングした。"Ansel, おまえはオルガンとリードが使えないから、ピアノを弾いてくれ。その後に重層的にするためにオルガンを被せればいいんだって。人々はそれをJackie Mittooと信じるぜ" とおれは言ったよ。おれらはダブプレートをカットしてWaterhouseに歩いて行った。そしてそれをかけて "これJackie Mittooっす" と彼らに話した。彼らがダンスでそれをプレイするとみんなが "今流れてるの新たなJackie Mittooの新曲だよ" って言うんだ。Anselは笑ってた。
イ: Winston Grennan繋がりの質問するよ。彼は自分がワンドロップを創り出したって主張してるけど、その憶えはある?
SD: No. おれはそうは思わない。だってスカがワンドロップだったんだ。そうだろ?ただテンポが速かったんだ。SrumbagoやLloyd Knibbsとかもその一部だ。Winston Grennanはそういった人たちが演奏してた時代に出てきたんだ。手放しでその発言に賛成することはできないし、それはまるでストレイトフォーみたいだった。
イ: 人々は何て呼んでたの?
SD: おれがストレイトフォーを作ったわけじゃないからよくわからない。Fil Callenderは「Mr Fix It」でそれをやってたと思う。Fil Callenderは実験してたと言ってた。Coxsoneがやってきて"こいつはいい" と言ったんだ。だからFilがやったとおれは思う。だけど彼はそれを続けなかったんだ。おれがそれを見て気付いたのはリフトグルーヴだね。だけど確かにFil Callenderがストレイトフォーをやったのさ。
イ: Lloyd ParksとInner CircleがJohnny Prettyっていうドラマーのことを話してたんだけど。彼は最近亡くなったんだって。彼の思い出はある?
SD: (笑)Johnny Pretty! 彼はおれの友達さ。やつはドラマーじゃなかったよ。だけど才能があった、なぜなら彼はトロンボーンをプレイしてたし、歌うことだってできた。そしてちょっとだけならドラムも叩けたってわけ。Lloyd Parksは彼をセッションに起用したりもしてたけどAnsel Collinsがおれのやってることをいつも気に入ってくれたんだ。だからAnselはいつもおれを使った。少ししてからおれとLloydはいくつかのバンドで一緒にプレイすることになった。Jofnny Prettyはおれの友達だよ。それもかなり親しいほうのね。おれらは同じ場所で育った。彼は小さなバイクに乗ってGerman Embassyに仕事しに行ってた。だから俺はその後ろに乗ってKelvinatorで落としてもらってた。そうやって冷凍の仕事をしてたんだ。
イ: Joe Isaacsについて少し話してほしい。あなたはいつも彼のことに言及してるからね。
SD: 話題が戻るけど、ワンドロップについて語るならJoe Isaacsはロックステディを作ったんだ。おれとJoeは証人だぜ。
彼はLloyd KnibbsがSkaatalitesを去ったときのことを話してたんだけど、彼とCoxsoneは訳わかんないぐらい速いテンポをプレイし始めたんだ。するとJackieらがブチギレた。Coxsoneは "Boy, ドラマーがテンポを示してるんだ" と言ったんだって。JackieはCoxsoneに "よぉボスよ、ドラマーもわけわかってねぇじゃねぇか。わかるか?" そうしてJackieはJoeに "Alright, 自分が何をやるのかわかってるだろうな?できる範囲のドラムをやれ、そしたらおれらが乗っかるから" って言った。
これは「The Train is Coming Baby」のような曲がスローになった経緯だ。これぐらいの時期がBob Andyの作品が出てきたころでもあるし、Fatty Fattyとかその辺の曲全部だね。注意深く聴いてみると彼のシンバルに気が付くぜ、多くのドラマーはシンバルをクローズドでプレイするんだけど、彼はそうじゃない。
Joe Isaacsの次はBunny Williamsがシーンにいた。「Bang! Signature」という有名なロールで知られてるよね。Bunny Williamsは一番ヤバいロックステディドラマーだと思う。彼は派手ってことは決してないんだけど芯が通ったサウンドを持ってる。「I'm Just A Guy」「Moving Away」「No No No」をやってるのはBunny。彼の演奏してる曲はどの曲を聴いても彼のすごさがわかるはずだよ。彼は安定感がある男だ、テンポを狂わせたりしない。
イ: 過去に何度も質問されてることだと思うけど、レゲエビートのプロトタイプを作ったのは誰だと思う?
SD: (溜息をついて)ええと、Bunny Leeがこんなこと言ってた "「Muma no want Bangarang」が最初のレゲエソングだ" って。間違ってるかもしれないけど おれは「Nanny Goat」だと思うんだ。こんな感じでさ(ダブルギターチョップを口ずさむ)
イ: The Sound Dimensionがギターをずらしてるから?
SD: その通り。ギターもそうだけどドラムスタイルも忘れちゃいけない。ドラムがHugh MalcolmなのかWinston GrennanかDrumbagoなのか今ちょっとわからないんだけどさ。Malcolmが「Bangarang」をやってたんだっけ?ドラム誰だったっけ?Bunny Leeから聞いたんだけどなぁ。「Nanny Goat」でプレイしてたのはFilだったと思う。それにFilは「Real Rock」「Drifter」「Queen of the Minstrel」「Santa」で演奏してるよ。
おれらが見落としがちなドラマーがもう一人いるぜ、Paul Douglasだ。彼はTreasure Isleでたくさんプレイしてる。Lloyd Charmersと一緒にKen Bootheの「Everything I Own」でやってる。「Everybidy Beverley」とたくさんの曲でPaulの演奏を聴くことができる。Maytalsもやってるね。それにKen Bootheの「Freedom Street」のようなBeverleyの曲もいくつかやってる。Paul Douglasはヤバいドラマーだぜ。
イ: また聞かれたことがあると思うけどもうちょっとフライングシンバルのことを話してほしい。Santa Davisが「None Shall Escape The Judgement」でやってたけど彼曰く、彼はそれを人気にしただけらしいんだ。でも人々はSantaがフライングシンバルを始めたと思っていて情報が錯そうしてるからさ。
SD: 偉大なベースプレイヤーであるJackie Jacksonをチェックしたのを覚えてる。おれがまだ子供で彼の演奏を聴いたとき、「Moonnight Lover」って曲があったと思う。おれは "こいつはナイスだぜ" と言ったら、Jackieは "おれは誰が演奏してるのか知ってるけどおまえは?" と言ってきた。"誰?" と尋ねると彼は "Lloyd Kinibbsだ" と教えてくれた。おれはJackieに "What? だから誰が演奏してるのかって聞いてんだよ" と言ったよ。Jackie Jacksonを最初に聴いたのがそんな感じ。たしか彼はまた別の曲も演奏してたと思う。曲名は思い出せないけど古い曲のなんかだった。それを聴いたとき "It's nice" って感じだった。おれがチャンスを得たとき、これを練習したのさ。
おれらが「Double Barrel」をカッティングしたとき、おれが "Ansel, おれはこいつをMoonlight LoverでLloyd Knibbsがやってたみたいにプレイするぜ" と言ったら、彼は "Yeah man, やってやろうぜ、そいつはこの曲にフィットするぞ。" と言ってくれた。そうして「Double Barrel」はビッグヒットになったのさ。その後Al Brownの「Here I Am Baby」って曲を演奏して、Delroy Wilson「It's A Shame」もプレイした。Bunny Leeは「Here I Am Baby」を聴いていて、彼は賢明なムーブをしてこの曲を飛躍させたんだ!これはミュージックビジネスなのさ、わかるか?彼はサウンドをクリエイトして、しっかり仕事をしたんだ。
イ: King Tubbyが彼の最高なフレッシュなハイパスフィルターを使ったからSantaがそのことを話してたよ。
SD: Yeah, そうやってレコーディングされたからそうなったんだよね。「Here I Am Baby」でもそうだったよ。ラウドなのさ。Bunny Leeは後になってそれを聴いたんだ。Dennis SampsonははDickie Wongにレコーディングをやってたひとりだったよ。
イ: 初期のMikey Booのことは言及してたけど、ここのところ彼は群衆や今の世代に向けて演奏してるよね。
SD: Yeah man. Mikey Booは最もクリエイティブなドラマーのひとりさ。マジだよ。おれがまだ楽器をやってなかった頃、彼の演奏を観に行ってたんだ。彼のドラムは特別だった。レコーディングでもそれは聞くことができると思う。彼は整然としたドラマーなんだ。彼のフィルは正確ってこと。MikeyはR&Bのエッセンスをレゲエに持ち込んで、独自のポジションを築いたんだ。例えば「Breakfast In Bed」とか。この曲の彼の演奏はかっこいいぜ。かなりクリエイティブだ。おれはマジで彼に敬意を持ってるし多くのことを彼から学んだね。彼みたいな演奏はできない。Mikeyは独特だったからおれは別のやり方を見つけなきゃいけなかったんだ。他の何かをね(笑)
イ: 70年代初頭にあなたが演奏してたRed Hills Roadは私たちがいたストリップクラブだよね。そういうクラブでRobbieのプレイを聴くことができたときだよね。
SD: Yeah. そういうクラブ全部でね。でも実際はおれらは馴染みのRndyのクラブとか他のとこに行ってたんだよね。すべてのミュージシャンはそこに行ってた。みんな毎日きちんと通ってた。まるで出勤するかのようだったよ。
イ: Idler's Restだ。
SD: Yeah, Idler's Rest. おれがTit-For-Tatで演奏してた時、RobbieはEvil Peopleで演奏し始めていた。おれらはダウンタウンのもう一人を既に知っていたし、話し始めていた。おれとTouterはDennis Brown「Money In My Pocket」のようないくつかのレコーディングをやってた。
TouterはRobbieにおれのことを話したんだと思う。ToughterがRobbieに "おまえはTit-For-Tatに行ってそこのドラマーたちをチェックするべきだ" って感じでね。RobbieはTit-For-Tatに来ておれらは出会って話したんだ。そうして時々おれらはIdler's Restに行くようになり、Channnel OneがRobbieを見出したりしたんだ。なぜならおれはいつもその周辺にいたからな。それにRobbieはAggravatorsとしてプレイしたりもしてたからさ。
Robbieは初めピアノを弾いてたんだ、だってRanchieがベースだったたからね。その後Robbieはギターをプレイした、やっぱりこれもRanchieがギターをプレイしてたことからだね。最初の方のChannnel oneの多くの曲にはベースが多用されてるだろ。Lloyd ParksはSunday sessionをやらなかった。おれらは米と豆とチキンを食ってたからRanchieがベースをやってFraterがギターをプレイしてたんだよ。「It's A Shame」って曲はそうだね。RanchieはChannnel Oneの初期ヒットのうち二曲で演奏してる。Ernest HookimがRobbieにベースをやれと言うまでRanchieがベースを担当してたのさ。そうなってからはRanchieはギターに戻った。
イ: 70年代のレゲエドラムサウンドにおいてスネアのサウンドはどれくらい重要だったの?
SD: スネアのチューニングはかなり重要だね。すべてのドラマーがそれぞれ自分のサウンドを持ってた。なぜならTin Legは "ratatatatatat" みたいなサウンドを持ってて、その後Carlyがほぼその完コピで出てきたじゃん、まぁ少しだけ違うけど。Malcolmも同じように "Brrrrrrrram" ってやってたよね。Winston Grennanはあんな感じじゃなかった。彼はおれが考えるスネアとtomをやってた。おれはpan snareのことが嫌いだったんだ。好きなんだけどそれをプレイするのが嫌いって感じかな。だってあれにはオプションが無いからね。
おれはR&B好きだったからたくさんのR&Bを聴いてきた。Earl YoungとAl Jacksonが好きだったね。スネアのサウンドとかに集中してしまうね。だからErnestにこう言ったんだ "もしPhiladelphia Internationalのようなサウンドを出せるなら、おれらはたくさんの素晴らしい作品を残せると思うぜ。だってpanサウンドに依存しなくていいんだからな。Channnel Oneのスネアのようなサウンドはおれらをネクストレベルに連れてくぜ。"
フライングシンバルはおれがChannnel Oneの「When The Right Time Come」でカムバックしたときにビジネスから姿を消したんだ。おれはあのリズムをErnestに作った。おれらには金が無かったから、何回か彼らにお願いした。4人のミュージシャンと彼らそれぞれが曲をやっていた。おれはErnestに "あんたへのリズムがあるんだけど" と持ち掛けたし、Ranchieにはベースラインのことを話した。おれらはレコードをカットしておれはこう言った "これはErnest, あんたの曲だ" ってね。Ernestはマジで?って感じだったよ。だからJoJo Hookimが来て言ったんだ。
だけどおれの頭の中にドラムパターンがあったんだ。夜、レコーディングのチャンスが回ってきたらどう演奏しようかと考えてておれはベースラインを口ずさんでた。結局チャンスは無かった。おれにたくさんの人が来ておれにSantaのようなドラムをプレイするべきだと言ってきたんだ。おれは "みんなみたいにおれはできない。おれは自分のやり方でやらなきゃいけないんだ" と言ったよ、「When The Right Time Come」の時の話ね。JoJoは "やってみろ" と言った。おれは頭の中で思い描いていたことを始めた。おれがやってからErnestはドラムをプレイした。Channnel Oneのグレートなドラムサウンドだったよ。
以上です。このインタビューにはpart.2がありますが、別リンクになっていたので、これで完結のようなタイトルをつけました。pt.2の方も訳してあるので後々アップしようと思っています。
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