Adam Kahanインタビュー~Rahsaan Roland Kirkの伝記映画(2016)
今回はRoland Kirkの伝記映画「The Case of the Three Sided Dream」の監督Adam Kahanの記事を翻訳しました。
翻訳元の記事↓
それではいきましょう。
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Rahsaan Roland Kirkの最も印象にあるイメージは最低3つの木管楽器を首にぶら下げていることだ。口が塞がっていても同時に、である。彼は因習を打破する人間であるがそれは盲目のジャズミュージシャンがギミックに依っているという印象を与えた。
Kirkは文字通りベルとホイッスル、ハーモニカ、カズー、サクセロ、タンバリン、ガスプ、ノーズフルートを使っていた。彼はそれらを同時に演奏する。
ひとりの伝統主義者であるAdam KahanはKirkの感動的なドキュメンタリー「The Case of the Three Sided Dream」で明らかにする。これはiTunesやその他のストリーミングサービスで利用可能である。秋にはDVDでのリリースも予定されている。1970年代初頭、ラグタイムが演奏されている間にこのような革新的な身なりをできた人間が他にいただろうか?Ellingtonの「Sentimental Jorney」Dvorakの「New World Symphony」のメドレーをやる勇気がある人間はいただろうか?「My Cherie Amour」や「The Inflated Tear」だけをプレイするために「The Ed Sullivan Show」を約束したりする人はいただろうか?
このドキュメンタリーはフェスティバルサーキットの様子を収めている。SXSWの中止やLos AngelesのThe Pan African Festivalも収録されている。Soundtrack Cologne、ホームムービーのSuper 8、アニメーション、1972年のMontreux Jazz Festival、過去のインタビュー(Kirkは1977年に脳卒中により死去)、彼の友人やコラボしたアーティスト、家族のインタビュー、WNET, BBCで伝記を途切れなく紡いだ。Kahanのレンズの中のKirkは多くの姿で映っている。
音楽考古学者、ミュージックストア、アンティークショップに食い込んでいくレコード、そして彼が手を伸ばすことができた様々な楽器。循環呼吸として知られているテクニックの実行者のひとりであり、スポークンワード、健全なアートとしてのジャズを採用した人物でもある(彼は言葉は好んでなかったが)。ミュージシャンを搾取するビジネスマンに対する批判者であり、何と言ってもサウンドの目利きである。"サウンドはおれの視界だ" Kirkはある場面でそう言っている。
映画の中でジャズがどう描かれてきたのかはこの音楽を見守り続けている人たちによってしばしば議論されているトピックだ。そしてジャズには豊饒な歴史がある。その歴史がドキュメンタリーという形の中でベストに表現されている。
記憶に残るワークとしてThelonious Monkの「Straight, No Chaser」、Charles Mingus「Triumph of the Underdog」Art KaneがEsquireマガジンに掲載した写真集「A Great Day in Harlem」、Eric Dolphy「Last Date」、Chet Baker「Let's Get Lost」Ornette Coleman「Ornette; Made in America」が挙げられている。我々はここで高い評価を受けているノンフィクションワーク群に「The Case of the Three Sided Dream」を加えることができるだろう。
Brooklynを拠点としているAdam Kahanは映画やRahsaan Roland Kirkについて、Esquireからの質問に答える時間を確保してくれた。
イ: あなたはビジュアルアーティストであるAndres Serrano, Fred Tomaselli, and Urs Fischerらの短編作品をやってきていたけど「The Case of the Three Sided Dream」はあなたにとって初の長編ドキュメンタリーあなたはRahsaan Roland Kirkの何に惹かれたの?ミュージシャンとしての側面からとか、映画の題材から入ったとか。
AK: おれが最初にRahsaan Roland Kirkを発見したのは1989年のSan Franciscoでのとあるガレージセールで彼のレコードを見つけたときだった。おれが知ってたジャズは当時のおれが興味を持ってたものだけ。おれはその日3枚のレコードを買った。Louis Armstrong, Count Basie, そしてRahsaan Roland Kirkのベスト盤。Rahasaanのアルバムのジャケはただの正面顔写真だった。そこにはおれがのめり込むようなビジュアル的なキッカケは無かったんだ。彼の口には3つのサックスが押し込まれてなかったし、おれが経験する心づもりをしていたイノベーションはちっとも感じなかったんだ。おれはそのレコードに針を落として最初の一音が聞こえてくるころには、完全に持ってかれた。
Rahsaanの音楽をどんどん買って聴いていくとともに彼のことがわかってくるんだ。特に伝説的な音楽プロデューサーのJoel Dornが書いたライナーノーツとかがすごかった。JoelはRahsaanの説明不要なレコードたちが何たるかってことを書いたんだ。JoelはRahsaanと彼の音楽のことを他の人とは違うレベルで理解してたのさ。おれは更に唯一無二、ディープなエモーションアーティストであるRahsaanの音楽を聴き、ライナーノーツを読んだ。そして彼の人生と彼が直面した壁について学んだんだ。全盲、過小評価、小手先として彼の革新性が片付けられたこと、彼の政治的な課題、脳卒中、麻痺、透析、治療、それらすべてをさ。
何年か後におれがNew Yorkに戻ったとき、友達にRahsaanのことを話したんだ。"この男の映画を誰かが作るべきだ" ってね。おれの友達はこう答えた "おまえがやらなきゃだろ!" って。おれがJoel Dornに会いに行って、おれがやりたいことを話したら 彼は "来いよ、これがすべての始め方だぜ" と言った。
イ: Kirkについてリサーチをやってみたり、いろんな人からインタビューをとったことで一番驚いたことは何?
AK: 我々はたくさんのインタビューを敢行したよ。彼の人生の最初期の出来事の多くは、残念ながら映画に使うにはクオリティーが足りなかったんだ。映画に盛り込みたかったストーリーはもっとたくさんあったんだけどね。Rahsaanはアバンギャルドと考えられていたんだ、確かに彼のやったことのいくつかはアバンギャルドなんだけど、Rahsaanのコアはブルースミュージシャンなんだ。彼のやったことのすべては伝統や音楽史からきている。彼は歴史と伝統を頭の中でこねくり回すのさ。Jimi HendrixがRahsaanを "石のように冷たいブルースミュージシャン" と表現したのが本当に的を得てるよ。
イ: 僕はKirkがジャズミュージシャンのテレビ進出を促したことやKirkが「The Dick Cavett Show」を中断させたグループの一員ということを知らなかったよ。Kirkが今日の音楽の視認性を形成したと思う?
KH: 彼は自分のマインドを口に出すことに対してシャイじゃなかった。ジャズの世界を変えたものが多くないってことをわかってたと思うよ。だけどどちらかというとそれは人気面において1940年代のポップミュージックからさらに押し進んだと思う。
Rahsaanは音楽やアーティストのカテゴライズにとても反抗していた人間でもある。もし彼がまだ生きていたら、ジャズという枠を飛び出して、比類のないオールジャンルに行ってただろうね。恐れを知らないイノベーションは彼のトレードマークってわけ。彼は音楽の境界を壊す準備ができていた。クロスオーバーアーティストなんだよ。RahsaanはZeppaやLed Zeppelin、The Grateful Deadらとも共演してた。それにJethro TullのようなアーティストがRahsaanの音楽をレコーディングしている。だけどTullは彼を怒らせた、なぜなら彼らはRahsaanの曲で10回も金を稼いでるからね。ロックミュージックとジャズの間の経済格差の図式なのさ。
イ: あなたの映画でも描かれているように、Black Classical Musicとしてをジャズを考えていたのがKirkだし、その言葉を作ったのも彼だよね。
AK: ジャズという言葉を嫌ったのは彼が最初じゃない。それは他のことだってそうだ。Black Classical Musicという表現が最も正確だと彼は考えたんだ、この音楽はブラックから発生した賜物だからね。もちろんヨーロッパのクラシック音楽も影響している、だけどやっぱここで生まれたからBlack Classical Musicなんだ。今までより今の方がしっくりきてるように思えるんだけど、それが定着してないことに驚きはない。Lincoln CenterのジャズやWhite Houseや美術館でのジャズミュージシャンの演奏、ランドマークになっている偉大なジャズミュージシャンの家... まあなんでもいいんだけどそんなのを見るとき、メジャーなアメリカの文化のようにジャズは権威付けされるんだ。それがRahsaanにとって重要だったのさ。
イ: アプローチやサウンドにおいてKirkはとても特異なんだけど、スピリットの面ではCharles Mingusに最も近かったと思うんだ(Charles Mingusの傑作アルバムのひとつである「Oh Yeah」の共演)。あなたは「The Ed Sullivan Show」でKirkのサイドマンとしてCharles Mingusの映像を使ってるよね。あなたは彼らの関係をもっと掘り下げることを考えていた?
AK: 確かに好きなんだけど、おれらがRahsaanが演奏するMingus作曲の「Goodbye Pork Pie Hat」も含めたのを忘れてくれるな。彼らは二人一組だった。さっき言ったようにとても近いスピリットを持っていた。RahsaanとMingusについてのエピソードは多くのインタビューで見つけることができる。
あなたの質問なんだけど、それはおれが作りたかった映画の種類のことだと思うんだおれはドキュメンタリーの形を取りたくなかった。それは予定調和の破壊者であるRahsaanを理解することに繋がらないだろうからな。おれはもっと心を揺さぶるオーガニックな映画にしたかった。Stanley Crouchや Nat Hentoff、Wynton MarsalisのようなRahsaanの人生や音楽的なアプローチのことを教えてくれるエキスパートはいなかった(この映画には必要なかった)。おれの目的はRahsaan Roland Kirkとかれのレガシーを真に祝福することだった。彼はそれだけの存在。おれは彼をスクリーンに映し出したかった。彼自身の言葉でプレイだったり、彼の歴史を表現するんだ。
イ: 他のインタビューでこのプロジェクトの資金集めが大変だったって言ってたよね(Don CheadleもMiles Davisの伝記について同じことを言っている)なぜそういう状況になったと思う?私を含め世界中の人は映画館でRoland Kirkの2時間が過ごせるなんて最高だと思ってるけど。
AK: このプロジェクトの資金集めにものすごい労力を使ったね。第一に出資者がかなり少なかった。マーケティングやフィルムフェスティバルで苦境に立たされていたんだ。この映画はすぐに音楽ドキュメンタリー映画と呼ばれることを拒まれたんだ。
例えばおれらはSundance Film Festivalに行ったけどかなりナイスだったよ。彼らはこの映画を観て、グレートなフィードバックをくれたんだ。素晴らしいね。だけど制作者がおれに身も蓋もないことを言ったんだ "私たちは一年に2本の音楽ドキュメンタリーについてのプログラムをやりました" ってね。出資者にとっては同じなんだけどさ。出資がX-foldに拒まれるのはそういうとこ、なぜなら彼らが金を出すのはメジャー作品だけなんだ。これはRahsaanが一生をかけて戦ったものなんだ。そのうちジャズが売れにくいっていう事実がわかるぜ。認めたくないけど真実なんだ。Don CheadleがやったMilesの映画のことも理解してるよ。Donは素晴らしい映画を作った。だけど彼の映画の話の筋が気にかかる。あのスト-リーは彼が話したかったことだろ?それにスタジオはあの映画が作られることを認めたのか?こういうのがおれらがやってることのリアリティーなのさ。
イ: あなたとKirkの遺産は共に伝記映画の可能性を探ったってことでいい?あなたは素晴らしいRahsaan Roland Kirkを作れたと思う?
AK: おれはこの出来事を見守ってくれるエンジェルを必要としてる。それにおれは見た人にこの映画の意図を汲んで欲しいと思っている。この映画にタッチしてみなよ!みんなの疑問に答えるためにDave Chappelleを第一指名したんだ。彼はドラマチックな役を見事に演じることをわかってたからね。他にも例を挙げるならRichard PryorとRobin Williamsとかね。だけどもしChappelleが起用できなかったら、おれらは他の人に打診したよ。才能は溢れてる。巷にあふれる素晴らしい役者のひとりにこの役を演じてもらうことも喜ばしいことなんだ。
以上です。
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